【論文】憲法と地方自治の70年 

  • 紙野 健二(紙野 健二)
    名古屋大学名誉教授

2017年9月27日

月刊『住民と自治』 2017年9月号 より

印刷用PDFファイル▼


地方自治はだれでも知っている語ですが、正しい理解をしているでしょうか。むしろ逆方向の制度改革が充満する下で、憲法と地方自治の原理論をふまえて、きちんと考えたい。

憲法と地方自治制度

日本国憲法が施行されて70年になります。地方自治法も同じ1947年に公布施行されていますから、両者はこの70年を共有していることになります。このことは単なる偶然ではありません。この憲法に至るまで、日本に地方自治というものは存在したことがありませんでした。都道府県や市町村は戦前からあったし、首長も議員もいたではないかというかもしれませんが、それらは国の統治のための地方制度であっても、いまでいう地方公共団体ではなく、公選も限定されていましたから、そもそも地方自治を目的とする地方自治制度はなかったのです。この意味で、憲法第8章における地方自治の明記は、今日の地方自治制度の根幹をなし、それ自体、そしてこの国の民主主義と基本的人権の保障にとって画期的意義を持つものでした(注1)。旧来の地方制度は地方自治制度となって根本的に存在目的と内容をあらためられ、その整備が、大戦後における日本の法制の大きな転換的意義を持つ改革となりました。とはいえ、一国の地方自治制度の整備は、それをめぐる状況の変化も相まって容易なものではなく、今日に至るまで長年の課題であり続けています。それは、生活基盤の整備などに一定の成果をあげつつも、一方では中央集権的政治行政の維持と復活、とりわけ貧困な地方税財政体制の放置と補助金の活用、それによる地方の利権構造と国の開発政策への従属があり、他方ではこれらに対抗する民主主義的諸制度活用の未成熟と抑制縮小によって、その趣旨を歪められてきました。その結果、開発と産業優先の国土交通政策によって地域生活環境の悪化が生じ、社会保障が削減され、さらに今日原発の設置や稼働をめぐって、あるいは基地の建設供用をめぐって国の政治と地方自治のかかわりが根本的に問われています(注2)。この70年間の地方自治は、出発点の画期的意義をさらに発展させる実践的意義と、その効果を減殺するとともに国の開発政策の手段とそこから生じる弊害の緩衝地帯として補完物にとどめる諸力とのせめぎ合いの場であったといえますし、今日もなおそのことは続いています。

そこで、本号の特集はこの70年の今日的状況をのべ、今後の展望を示そうとするものです。分権改革については、別稿が予定されていますので、本稿では、70年にわたる憲法上の地方自治の位置を現時点に立って確認しておきます。

地方自治と地方自治制度

地方自治とは何か

地方自治とは何かという問いに対しては、具体的文脈を越えて、まずそのことの根本的な意味を再確認する必要があります。地方というのは中央または全体に対する部分を意味します。東京も限られた地方です。そして、自治とは、他から干渉されない自主的で自律的な運営という意味です。したがって、地方自治というのは、一定の限られた区域に、国とは別の統治団体の存在を認め、このための自主的自律的な組織と活動を認めることを意味します。国とは異なる地方での統治といっても、それがどのような範囲のものかという問題があります。たとえば司法を含むのか否かです。また、国と地方との関係をどのように考えるのか、あるいは内部での自律的な民主主義の保障をどう構成するのかという問題が出てきます。これが団体自治と住民自治といわれるものです。

地方自治制度とは何か

地方自治が必要なのは、身近な事柄は身近な主体による解決に委ねたほうがよいからであり、そのこと自体が人権と民主主義の内容をなすからです。そうはいっても、地方だけで決めるべき事柄がそう多いわけではありませんし、地方で決める場合も、そのことが可能で有意味になる条件を整備しておかねばなりません。それこそが地方自治の保障のための制度なのであって、ただ地方におかれた制度を縷々説明するだけでは、地方自治制度をのべたことになりません。あたりまえのことですが、地方自治制度は、地方自治のための制度であって、国の干渉や関与のためのものではないのです。冲縄県辺野古の事例にみられるように、国が地方にとって決定的なことを勝手に決め、それを地方に押しつけて「抵抗」をつぶし、司法にくつがえさせたりするようなことは断じて許されてはなりません。

憲法と地方自治法

憲法の定める地方自治

地方自治は、国の統治を限定してもう一つの統治をおくことによって、民主主義と人権をいっそう豊かに実現しようという趣旨を含んでいます。地方自治に関する事項をすべて憲法で定めるという選択肢がないわけではありません。しかし、日本国憲法は、92条から95条で、地方の組織運営については地方自治の本旨にもとづく法定主義を採用し、首長議員などの直接公選制、条例制定権および地方特別法における住民投票の義務付けについての定めをおくにとどまります。地方自治の本旨というキーワードを置くことによって(注3)、その中身の充填を期待し、具体的保障の多くを地方自治法に委ねました。この意味で、憲法と地方自治法は一体的なものと位置付けられたことになります。

ここで重要な論点がいくつかあります。一つには、法定主義の意味です。憲法における地方自治の法定主義は、旧憲法時代の勅令主義を廃して、国民の意思の表現である法律にもとづくことに固有の意味を見いだしました。しかし、このことは、内容上の制約を看過し、法律で定めれば何でもできる、地方自治に対する介入でさえ特段の制約はないかのような国優位の法律万能の思考を生み、立法政策を正当化しつづける土壌を生むことにもなります。それを助長したのは、中央によるさまざまな地方支配の経路であり、とりわけ地方の財政的基盤を脆弱なままにとどめ、それを利用しての国の政治的財政的支配誘導であり、これへの地方の従属の構造があります。

もう一つは、人権の地域的保障の拡大です。自由と平等のみならず政治的権利を含むいわば古典的な人権はもとより、現代的あるいは新たに観念される人権の多くは、地域に住み労働し生活する者の権利として生成し、かつ展開していることを正しく認識する必要があります。そこに、新たな地域と住民の観念も登場し、身近な権利保障の担い手としての地方の役割が一層重視され、そのような観点からの地方自治の検証こそが、憲法上重要な課題となるはずです。

地方自治70年の見方

地方自治法は地方自治に関する基本法であって、地方自治の原則、地方公共団体の種類と通則的事項、条例、直接請求制度、議会と執行機関、財務と財産、国などとの関係を定めています。これらを総称して地方公共団体の運営と組織に関する定めといいます。地方税財政は別の法律により、さらに、地方公共団体の職員のうち、地方公務員法の他、警察法、消防組織法および地方教育行政の組織運営に関する法律などにも地方公共団体内の組織と職員に関する定めをおいています。地方公共団体は、これらにもとづいて、個別法(条例を含む)を根拠とする権限を行使します。枚挙にいとまがありませんが、都市計画と建築を含む土地利用、道路や公共施設の管理と利用、学校教育のための人的物的条件整備、生活保護、環境保全さらには災害の防止と救援などです。これらは国と地方を通じて一つの団体のみで完結的に行う事務はほとんどなく、ほとんど何らかの連携と協力の下に行われます。ただ、国の定める個別法の主管は国の個々の省庁ですから、国には地方公共団体は国の監督の下の事務執行機関にすぎないという伝統的な優位の思考が残存し、地方の側にも、判断がすぐにつかないことは、自らの責任において考えることなく、すぐ県や国に「問い合わせる」という行動様式も残っていると聞きます(注4)。このような旧来の機関委任事務的発想の残存と克服は、国のみならず、むしろ地方においても自覚的な研究と対応能力が問われる課題です。自己の職場で生じている問題や課題が、全国のどこでも生じているものではないか、どのような解決があるか、さらにはその底流が何かを、自分でよく考え検証してみる必要があるのです。

ところで、この観点からすると、総務省のホームページには興味深いものがあります。そこでは、明治維新からの地方制度の整備を地方自治制度の歴史としています。そこで旧憲法にふれないのはともかく、日本国憲法の意義にふれず、その後の地方自治法改正をかいつまんで説明しています。日本国憲法を登場させないで、地方自治を欠落させた旧憲法下の思考で地方自治法の改正をあとづけています。これが、いかなる意味において「地方自治制度の歴史」となるのか、理解に苦しみます(注5)。ここには憲法の、そして地方自治法の70年という思考がないか、あっても法律の単なる名称か、それとも地方公共団体の再編のことしか理解していないのには驚く他ありません。わが国の政府が、いかに地方自治を理解していないかを示すものです。

地方自治制度とは、日本国憲法が明記した地方自治の枠組みのことであって、国の法律の地方的執行の仕組みのことではないのです。

むすび

憲法と地方自治の70年を迎えるに際して求められるのは、地方自治とは本来何のためのものであったかを、これまでの成果と残された課題を検証し、今後と将来に向けてより豊かな民主主義と人権保障を展望することのはずです。光をあてられることのなかった地道な功労者を表彰することに異論はないのですが、国であれ地方であれ、地方自治を豊かなものにするためのこれまでの努力の真摯な回顧と将来に向けての責任の重さの再確認こそが、まずは必要でしょう。

周知のように、政権与党が国会の3分の2を占めたことにより、憲法「改正」が現実性を増しています。ここでは、政権与党にとって積年の課題であった9条のみならず、人権諸規定の見直し、天皇の地位、さらには立憲主義さえも俎上にのぼるというケタ外れの時代錯誤的な内容が示されています。このような状況が影響してか、地方自治関係団体のなかにも憲法第8章の諸規定の改正の論議に加わる向きがあります。ここでは、近代的憲法に関する人類の歴史的英知や公法学の蓄積をふまえた冷静な対応を改憲論議に対して求めるべきであって、バスに乗り遅れまいと狼狽するさまは、歴史的な愚行でしかありません。このような局面での学者の役割も、あわせて問われねばなりません。

【註】

  • 1 日本国憲法草案の作成の際の、松本案、GHQ草案および日本政府の「3月2日」案、憲法改正草案要綱ならびに帝国憲法改正案を参照。憲法に地方自治を明記することにより、地方制度は従来の国のためのものから、地方自治のためのものに代わったということを意味します。
  • 2 分権改革と辺野古基地建設問題との接点につき、白藤博行「地方自治法施行70周年─地方自治は活かされているか」『自治と分権』68号64㌻以下。一般的に、白藤博行『地方自治法への招待』(自治体研究社、2017年)を参照。
  • 3 近時の地方自治の本旨の意味付けにおいて、国地方の機能と役割分担の強調が顕著なことも、その前提としての地方の固有の位置づけの軽視とあわせて、これをみておく必要があります。この点、分権改革とからめて岡田正則他『地方自治の仕組みと法』30㌻(自治体研究社、2014年)地方自治法1条の2の意味につき、村上順他編『新基本法コンメンタール地方自治法』15㌻(渡名喜庸安)参照。
  • 4 付言しておけば、マスコミの地方自治についての無理解も相変わらずです。地方で創意的な取り組みや公務員の不祥事があった場合、その都度国の省庁の見解を取材し、「聞いたことがない」といった類いの無意味なコメントを付け加える例が少なくありません。地方の問題を取り上げ、それを批判するか否かはともかく、これに対する省庁の評価まで確認する合理性などどこにもないはずです。
  • 5 http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/bunken/history.html
〈地方自治制度関連略年表〉
〈地方自治制度関連略年表〉
筆者作成

2017年9月27日

月刊『住民と自治』 2017年9月号 より

  • 紙野 健二
    紙野 健二(紙野 健二)
    名古屋大学名誉教授

    専門は行政法。主な編著書に、『辺野古訴訟と法治主義』日本評論社、2016年。『行政法の原理と展開』法律文化社、2012年。辺野古訴訟において、沖縄県を支援する全国の13人の行政法研究者からなる「辺野古訴訟支援研究会」の代表を務めている。

印刷用PDFファイル▼

▲ ページの先頭へ戻る