名古屋城天守閣木造復元について 鉄筋コンクリート造り天守閣は‟市民の宝”

東海自治体問題研究所
山口 由夫(東海自治体問題研究所事務局次長)


名古屋城天守閣の木造復元が、河村市長の独断専行で進められようとしている。現在、各区でタウンミーティングが開催され、あたかも市民の意見を聞きとるような体裁をとっているが、最初に開催された熱田区に参加して、開催区の区長あいさつそのものが河村市長を持ち上げるおべっかであったこと、さらに、発言者には3分しか発言時間を与えないのに、答弁する市長はいいたい放題で、不規則発言連発の場となっていること、応援団と思しき人々の動員と景気が良くなるとの市長への迎合発言の横行、司会者の恋意的な進行など、目に余るものになっていると感じました。

天下普請=名古屋城築城の歷史

名古屋城は、徳川氏が江戸に幕府を開いたのち、まだまだあなどれない力を有していた大坂方へのにらみを利かせるとともに、いざ合戦が起きた時の防衛線として、脆弱と思われた清州から、地形上有利な地として選ばれた名古屋の地へ拠点を移すために、慶長14年(1609年)に家康の命令による天下普請として築城された城である。

名古屋城築城普請助役の帳場割(「名古屋城HP」より
豊臣家恩顧の西国・北国の大名の力を削ぐため、20の外様大名に普請が命じられ、1610(慶長15)年5月に縄張が完了して、6月に本丸の根石置き工事が始まり、9月末までにはほとんどが完了して帰国し、最終的には年末までかかった個所もあったと伝えられている。

天守台の石垣(「名古屋城HP」より)

最新鋭の城→名古屋城

その城郭構成(縄張)は、家康の自信と狙いが反映された堅固な構造で、虎口(城の囲いの入口)での堅い造り、四隅の巨大な楕、多門構の規模も幅7メートル程もある壮大なもので、城の偉大さ、品格の高さを誇るものになっている。また、天守台の石垣は、加藤清正が特徴的な扇勾配の優美で堅固な石垣を、たった3カ月で完成させました。その後、天守閣については、小堀遠州が総取締役として当時の築城技術の粋を凝らした最新鋭の城として完成させたものである。従って、その存在は、日本の築城史のなかでも有数のものであり、貴重な文化財であることは論を待たないものである。

市民の願いに応えて再建された鉄筋コンクリートの名古屋城天守閣

1945(昭和20)年5月の名古屋大空襲の際、天守閣および北東隅櫓・本丸御殿が焼失してしまった。戦後、天守閣のない状態の名古屋城は、集客のために菊やサツキなど花の愛好家による展示会が開催されるなど、市民の憩いの場として親しまれていた。そのなかで天守閣を再建しようという市民の声が上がり、建設費6億円の内2億円の寄付が寄せられるなどの大きな盛り上がりのなか、昭和34年に「二度と再び燃えないように」との市民の願いを込め、当時の最新技術を駆使した鉄筋コンクリート造りの天守閣が完成したのであった。この造営の様子は、あの“中島みゆき”のテーマソングで有名なNHKの「プロジェクトX」で放送されたので、記憶に残っている人も多いと思う。当時造営のために寄付された人たちの名前を記した銅銘版が、大天守閣の天井裏に人知れずひっそりと掲げられている。

名古屋城は、築城以来その本来の目的である戦闘に使われたことのない“平和の城”であった。そのお城が、明治以降の日本の侵略戦争の最終の結果とした空襲で焼けてしまい、“二度と焼けないよう”にという思いで建てられた。この思いは、時代の背景として二度と戦争はしないと定めた憲法の思いに通じるところがあるのではないだろうか。鉄筋コンクリートの天守閣は、現在の“平和の時代のお城”として、名古屋市民の誇りの賜物なのではないだろうか。

“レプリカ本丸御殿"の二の舞はごめん

従って、現在の名古屋城天守閣は、河村市長の感覚でいえば木造でないから“偽物”ということになるらしいのですが、名古屋市民にとっては鉄筋コンクリトート造の天守閣こそが、市民の貴重な財産であり、文化財なのである。ちなみに、名古屋城と同時期の1960(昭和35)年建設された名古屋大学の豊田講堂は、登録有形文化財に指定されており、名古屋城天守閣も申請すれば、登録される可能性のあると思われる。今、耐震性に問題があるとすれば、現在の最新の技術を駆使して、耐震基準にあうように修復して活用することが、先人たちの労苦を引き継ぎ、実らせることになるのではないだろうか。木造で天守閣を復元しても、本物ではなく木造のレプリカなのである。このことは、現在一部公開され、建設中のピカピカの本丸御殿で経験済みなのではないだろうか。

河村市長は、東京オリンピックに間に合わせるように工事を強行しようとしているが、このために、天守台の中に埋め込まれている鉄製のケーソンは撤去せず、空襲で焼石となって射区体力がなくなっている天守台の石垣工事を行わず、木造天守を造営するように技術委会に図ろうとすると伝えられている。しかし、これでは、文化財として貴重である「礎石」にカバーを被せて、その上に建てられた本丸御殿と同様に、近世の建造物の忠実な復元という文化財修復の基礎をないがしろにした建造物が、また一つ名古屋城内に増えるだけなのではないだろうか。

木造天守閣より先に考えるべきは重要文化財の保存と「多聞権」復元

河村市長は、天守閣の木造復元により、名古屋城への集客が今にも増して図れ、300万人を目指すと豪語しているが、名古屋城を良く知る人たちのなかでは、『名古屋城総合整備計画』に基づいて、現存する重要文化財である西北隅櫓始めとした三つの隅櫓の保存修理万全に行うことや、さらに焼失した「北東隅槽」の再建や三つの隅櫓と天守を結ぶ幅7メートルの内堀の上に建つ「多聞権」の復元により、姫路城にも匹敵するような「白亜の城」の様子を再現した方が、外国人観光客を始めとして、お城好きの集客に結びつくのではないかといわれている。果たして観光客が、木造天守閣だけの魅力で恒常的に毎年300万人も訪れてくれると本気で考えているのだろうか。

狭い階段を“もっこ”で上がる? 冗談じゃない!

木造復元による利用上の問題点も幾つか指摘されている。現在は、鉄筋コンクリート造りなので、建物外のエレベータと天守台のエレベータにより身体障害の方への配慮がされているが、木造になれば階段による昇降にならざるを得ない。新聞報道によれば、市長は、大学生からの「障害のある人たちが利用できなくなるのでは? 」との質問に、「ガイドがもっこ(しよいこ)で担いで昇ればええんでにやーきやあ」と答えたとされているが、公開されている名古屋城の実測図によれば、階段の幅は、最大でも7尺ちょっと、つまり2メートル程で、昇り・降りを考えれば1メートル弱しか使えないのである。とても、市長が資料に基づいて真剣に考えているとは思われない。

松本城のような3階建ての小振りな天守閣でも、階段の昇り降りで観覧者の渋滞が発生しており、木製の階段を降りる際に足を滑らせて、ひやっつとした経験があるのではないだろうか。現在名古屋城でも、西北隅櫓・東南隅槽の公開の際には、来城者の履き物の管理や、階段での転倒、落下の危険対策に苦慮しているのが現状である。

さらに、木造で復元する場合は、照明等も創建当時の状態が基本になると思われるが、五層五階建てで、一階ごとの床面積が姫路城の3倍ほどの広さがある名古屋城の天守閣において、天守閣の壁にある小さな窓(本来の目的は彩光ではなく、防御施設としての要素が強いため小さくなっている)からの光だけでは、薄暗がりのなかを観光客が移動することになる。曇りの日などは真っ暗に近い場所が発生するのではないかと思われる。

木造建造物の維持管理には多額な経費と労力が必要

市長は、タウンミーティングでの「福祉を大切にするために、不要不急の大型事業はやめて欲しい」との市民の発言に対して、木造天守の復元で観光客をたくさん集めて、その儲かった金で福祉を充実させるという趣旨の発言をしている。しかし、この集客数の根拠については、市議会でも根拠があまりにも楽観的過ぎるとの指摘がされている。さらに、経費の支出は建設の際の400億円だけではなく、木造五階建て、銅版暮き屋根、漆喰壁の大小天守閣のメンテナンスに、毎年どれだけの経費が恒常的に発生することには触れられていないのは、片手落ちではないだろうか。

名古屋城天守閣縦断面図(「「名古屋城HP」より

希望的な集客数を上げるだけの「獲らぬ狙の皮算用」ではなく、収支を正確に把握して、市民に提供する義務が、名古屋市当局にはあるのではないだろか。

「博物館相当施設」ではなくなってしまう

現在の天守閣は、大天守の展示施設に加えて、小天守閣のなかに重要文化財である「本丸御殿の障壁画」などを保管するために必要な「恒温恒湿の収蔵庫」を有しているため「博物館相当施設」に指定されており、専門の学芸員が配置されて、重要文化財である「本丸御殿の障壁画」などの展示が天守閣内で容易に行えるようになっている。しかし、木造天守となった場合は、名古屋城外に同等の施設を確保する必要が生じるのであるが、このことは検討すらされていないのではないか。

工事現場だらけの名古屋城内

現在、本丸御殿の復元工事が行われている名古屋城内は、西北隅櫓の改修工事も行われており、とても観光客をお迎えして“おもてなし”する施設状態ではなく、この上、天守閣の解体工事が始まれば、観光客は3年から5年間は工事現場だらけの仮囲いのなかで、一体名古屋城らしさを、どう観光すればよいのだろうか。

材木の調達や伝統技術の伝承について

木造天守閣の建設に際して必要となる材木について、「金城温古録」によれば、棒(けやき)角物(408本)、檜(ひのき)角物(2,085本)、松角物(9,796本)と記されている。河村市長らは、これらの材料を確保するのは大変で、今、早急に確保しなければ木材確保の道が閉ざされてしまうかのように述べている。しかし、専門家の中には、名古屋城の構造は、他の城の様に太い大黒柱で支えるようなものではなく、比較的細い部材で構成されているため、木材の確保にはいわれている程の大きな困難はないとの見解を示されるかたもある。早急に決めなければ時期を失するかのように叫び、いたずらに市民の危機感をあおるようなことは慎むべきではないだろうか。

さらに、木造天守閣の造営を今やらなければ、伝統技術が途絶えてしまう、技術の伝承のためにも早急にとも叫ばれている。現在行われている本丸御殿の復元工事が決まる際にも技術の伝承が課題としてあげられ、関係者からは期待されていた。しかし、実際のところは、現在施工を行っている業者の閉鎖性の問題(他の事業者の見学を認めないなど)について指摘する声があがっており、請け負った業者にとっては、ノウハウを積極的に他の業者の技術者に教えるようなことはしないので、現在の工事のやり方では、業界全体の技術伝承の意図が貫かれる保証はないのであろう。

鉄筋コンクリート天守閣の耐震補強こそ最善の道

以上色々考えてみたが、私は当面は現在の鉄筋コンクリートの天守閣の耐震改修を行うことが最善の道だと考える。先日、震災で半壊した建物を再生して、強度も耐震性もアップさせる「リファイニング建築」という技術がある事を知り、これだと思った。市民の願いにより当時の最新技術で建てられた天守閣を、現在の最新技術で補強する、これこそ今選ぶ道ではないでしようか。そして、木造復元については、歴史的建造物の専門家等による検討委員会を設置して、急がずじっくりと検討を行った後、市民に正確な情報提供を行った後、「住民投票」で市民の賛同が得られ場合に行うことが望ましいと考える。