長野県住民と自治研究所
傘木 宏夫(NPO地域づくり工房代表理事)
大町市が2017年6月4日から7月30日(57日間)に開催を計画している「北アルプス国際芸術祭信濃大町食とアートの廻廊」(以下、国際芸術祭)をめぐって、市議会の議論では「地域活性化の起爆剤」となることを期待する声が出されている。実際、この事業の予算は国による地方創生関連の交付金等の財源をあてにしており、企画概要(2016年2月25日)においても事業実施による観光誘客や経済波及効果が大きく望めることを説明している。
本論では、そのような経済的な効果が期待できるのかどうかを、大町市が模倣事例としている「瀬戸内国際芸術祭」と「大地の芸術祭〜越後妻有アートトリエンナーレ」とを、主催者資料や関係する統計資料から分析した結果を紹介する。
瀬戸内国際芸術祭実行委具会「瀬戸内国際芸術祭2013総括報告書」(2013年12月13日)の13頁に示された表によると、107万人は14会場の合計数である。開催期間は計108日間(春33日・夏44日・秋31日)に及び、大町市の計画の倍近い期間設定である。
その注釈には、芸術祭のために来た人を「計測することは困難」であるとして、集落に設置した複数の基準施設の来場者の合計を来場者としたと説明している。たとえば、島の出入り口である港に作品を設置してある場合、島に来た人は全て来場者にカウントされることになろう。最多は直島の26万人、次に小豆島の19万人で、最少は大島の4千人である。
そのため、日本政策投資銀行・瀬戸内国際芸術祭実行委員会「「瀬戸内国際芸術祭2013」開催に伴う経済波及効果」(2013年12月9日)は試算の前提を30万人にしている。イベントの経済波及効果の算出は、それに投入した資金と入込者数をべースに産業連関表を使って行うため、入込者数は最も重要な要因である。
しかし、30万人の根拠となっている直島の展示物は港にあって、見学を意図せずに通過した人が来場者になっている可能性がある。そのため、このイベントのあった年にどの程度観光客が増えたのかを統計から見る必要がある。
そこで「平成26年香川県観光客動態調査報告」(2015年7月)を調べた。小豆島エリアの観光客入込数を見ると約100万人余がコンスタントに来ている。これを、芸術祭の開催年の前後の年と比較すると(表1)、差は約7万人で、これが芸術祭による寄与であると推測できる。なお、翌2014年は全県では観光入込客は大幅に増えたのに対して、小豆島エリアは減少していることについて、同報告は「国際芸術祭の反動」と分析している。
小豆島エリア | 県内主要観光地合計 | |||
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年 | 人数 | 2013年比 | 人数 | 2013年比 |
2012年 | 105.9 | -6.7 | 472.3 | +1.9 |
2013年(開催年) | 112.6 | 0 | 470.4 | 0 |
2014年 | 105.3 | -7.3 | 503.3 | +32.9 |
約7~8万人の観光客がもたらす経済効果は少なくない。しかし、107万人や30万人といった数字で誇張することは実態とあまりにもかけはなれている。「瀬戸内国際芸術祭」の経済波及効果132億円の内実はその3分の1程度であると見るのが妥当であろう。
新潟県十日町市を拠点とする「大地の芸術祭〜越後有妻アートトリエンナーレ」は、一連の野外での大型作品展示を特徴とする北川フラム氏(上越市出身)による仕掛けの出発点であり、2000年から3年毎(トリエンナーレ)に開催され、2015年に第6回を数えた。
ここでは第5回(2012年)の総括報告書(2013年3月)をもとに、イベントの経済波及効果がどのように記載されているかを見る。
第5回展は、十日町市と津南町を拠点として、2012年7月29日から9月17日までの51日間にわたって開催された。総括報告書によると、総入込者数は48万8848人で、その経済波及の総合効果は46億5000万円であったとしている。
総入込者数の大半を占めるのは作品鑑賞者数47万1758人で、資料編をみると25作品の鑑賞者の総合計である。前出の瀬戸内国際芸術祭と同じ手法である。作品別の鑑賞者数の最多は「越後有妻里山現代美術館キナーレ」の9万3174人で、次に多いのは「越後松之山「森の学校」キョロロ」の5万3178人、最少は「畦の花館」の2682人である。
作品鑑賞パスポートは6万3801枚(学生用4131枚、小中学生無料券7835枚)が発行され1億5744万円の売上であった。そのうち地元割引券の売上枚数は8491枚(学生用279枚)である。
また、「個別鑑賞券」というくくりで、所管団体や施設で発行した鑑賞券(2回目以降の半額入館者を含む)やイベント入場券などが6万395枚発行され、3264万円を売上げている。
パスポートと個別鑑賞券の合計は12万4196枚(1億9008万円)である。
大地の芸術祭の場合は、瀬戸内国際芸術祭のように交通拠点を展示場所として来場者数をカウントする要因は少ないので、前出のような観光統計を使った分析を行う必要はない。大地の芸術祭の総来場者数は、パスポートと個別鑑賞券の合計数(12万4196枚)を使うのが妥当であろう。
一方、大地の芸術祭の総括報告書における経済波及効果に関する記載には、根拠とした入込者数の記載はない。公式な総来場者数(48万8848人)がそのまま使われている。そのため、大地の芸術祭の総括報告書が試算した地域に対する経済波及効果46億5000万円の内実はその3分の1程度であると見るのが妥当であろう。
それでは、大地の芸術祭を2000(平成12)年より計6回重ねてきたことは、地域の所得の向上として統計に表れているのであろうか。
そこで、インターネット上から入手可能な2000年から2012年までの新潟県の統計情報から、十日町市民(合併前の川西町·中里村·松代町·松之山町を含む)の一人当り所得の推移と、その比較対象として新潟県民一人当り所得の推移をまとめてみた(表2・図1)。これによると、大地の芸術祭が住民所得に影響を与えた形跡は見られない。所得の増減は全県的な傾向と並行して動いている。そして、むしろ県平均との差は広がる傾向にある。このことから、大地の芸術祭は十日町市民の所得を増やすことに貢献していないことが伺える。もし、公的な経済波及効果の試算結果46億5000万円が地域に還元されていたとすれば市民一人当り7万7500円になる。それが3分の1であったとしても2万5800円になる。しかし、統計上はそれが現れていないのであれば、経済波及効果は一部の市民に吸収されてしまったか、地域の外部に流出してしまった可能性がある。
少なくとも、地域経済上の「起爆剤」としての効果はなかったと断言することができる。
西暦 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 |
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新潟県 | 2,000 | 2,754 | 2,715 | 2,709 | 2,692 | 2,772 | 2,733 | 2,721 | 2,614 | 2,523 | 2,632 | 2,668 | 2,707 |
十日町市 | 2,408 | 2,278 | 2,311 | 2,278 | 2,212 | 2,314 | 2,251 | 2,134 | 2,094 | 2,016 | 2,109 | 2,098 | 2,170 |
差 | 746 | 476 | 403 | 431 | 480 | 458 | 482 | 587 | 519 | 507 | 523 | 569 | 538 |
開催年 | 開催年 | 開催年 | 開催年 | 開催年 |
※新潟県「データハンドブック」の市町村編の各年度より筆者作成。 公表されている県民所得及び市民所得を書く人口数で割ることで一人あたり所得を算出した。 十日町市2004年度までの数値は、旧川西町・中里村・松代町・松之山町の分を分を含んでいる。
大町市議会での議論では、国際芸術祭の開催により、外国人来訪者(インバウンド観光)の増加が期待されており、その受入れ態勢の整備を唱える発言もあった。外国人製作者による作品がある点で「国際」ではあるが、これにより外国人観光客が増えると期待するのは妥当なのかどうか、これも統計データから検証することとした。
そこで、新潟県観光動態の概要(平成17〜21年)上新潟果觀光入送客統計(平成22~26年)をインターネット上より入手し、各年調査結果にある外国人宿泊数を分析した。ただし、ここでは十日町市などの市町村に細分化された数値は公開されていない。そのため、大地の芸術祭が拠点とする十日町市や津南町を含む「魚沼地域」での外国人宿泊数と、比較対象として新潟県全体における数値とを見た(図2)。
その結果、魚沼地域における外国人宿泊数の変化は、大地の芸術祭の開催年とは関係なく推移しており、その傾向は新潟県全体の傾向と並行して進行している。むしろ、全県的なインバウンド観光の進展に追いついていない。また、統計書の記述内容から、近年の外国人観光客の入込みの増加はスキー客の増加によるものであることが伺えた。
こうしたことから、大地の芸術祭は、インバウンド観光に対して量的な意味での貢献はしていないと言える。ここで、「量的な意味」とことわったのは、外国人製作者と地元住民との交流という「質的な意味」については計測しかねるからである。
※新潟県観光動態の概要(平成17~21年)と新潟県観光入込客統計(平成22~27年)より筆者作成。
本調査は、インターネット上で収集しうる情報に基づく簡易な調査であるが、以下の3点については、断定的な評価を行って差し支えない。
①2つの「芸術祭」が公表している来場者数とそれに基づく経済波及効果は、誇大宣伝によるものであり慎重に受け止める必要がある。
②15年間6回の実績を持つ「大地の芸術祭」に関して言えば、その経済波及効果により十日町市民の所得にプラスとなる効果を与えた形跡は見られなかった。
③同様に、インバウンド観光に及ぼす「量的な効果」も見られなかった。こうした調査結果より、同じ業者が同じ手法で行おうとしている「国際芸術祭」が、大町市に対して「経済的な起爆剤」としての効果を期待することは難しいと断言することができる。
芸術・文化行政は、住民の文化的な生活(特に「心の豊かさ」)を涵養するために、住民の付託により共有の財源を使って執行されるものである。そのような行為を本論のように経済指標により評価するのは間違いである。しかし、大町市の説明や市議会での議論は経済的な効果に力点が置かれているために、このような間違った論点を立てざるを得なかった。
経済的な利益を求めるのであれば、中央(東京)の業者に依存した国際芸術祭という手法を用いるのではなく、もっと地域内再投資力のある事業を地域で開拓するべきである。
そうではなくて、住民の文化的な生活を向上させるために行うのであれば、企画そのものが住民主体で行われるべきである。資金の使われ方についても、随意契約により一業者に集中したあり方を見直すべきである。
大町市が進めようとしている「国際芸術祭」の数多くの問題点の一つは、政策判断が他地域での事例についての情報が主催者発表資料を「丸のみ」して、これの裏付けをとる努力を、住民の代理者でありながら、行っていないことである。また、判断材料を「丸のみ」した上で、企画そのものを一業者(判断材料の提供者)に「丸投げ」していることである。
本稿が掲載された後、第6回展「大地の芸術祭2015」の総括報告書(2016 年3 月)が公表された。
その最新データは、本稿の指摘をさらに裏付けるものとなっている。
過剰な入込客数で経済波及効果を試算していることは踏襲しており、第6回展の入込客数510,690 人は、第5回展と同様、作品鑑賞者数総計である。その数は、第5回展を21,842 人上回っており(104.5%)、そのことをもって同実行委員会は「成功」と評価し、大町市議会視察団にもそのように紹介している。
しかし、第6回展は、前回比3 億1,000 万円増の資金を投入し、作品数は過去最大の378 作品(前回比11 作品)となったにもかかわらず、実質入込客数とみなすべき【パスポート+個別鑑賞券の発行枚数】は122,138 枚で、前回比で2,058 枚減少(98.3%)している。会期中の十日町駅乗降人員数も前回比10,572 人減少(90.3%)となった。また、メイン施設「キナーレ」の入館者数も、前回比36,025 人減少(61.3%)である。つまり、「地方創生」の掛け声に乗じてカンフル剤を投入したものの、効果は得られなかったのである。
ちなみに、第6回展が行った「経済波及効果」の試算は、新潟県『産業連関表利用の手引き』(2011年3 月)をもとに逆算すると、やはり作品鑑賞者数総計を基にしていると推測される。そこで、【経済波及効果総額50 億8900 万円/作品鑑賞者数総計510,690 人=9,965 円】に、実質入込客数(パスポート等発行数)を乗じて得られた金額は約12 億1,700 万円であった。これは、全体事業費約11 億7,500万円に対して1.04 倍でしかない。
一方、「北アルプス国際芸術祭」は総事業費2億円で来場者数2万人が目標とされている。「大地の芸術祭」の試算方法を使うと、その経済波及効果は1 億9,930 万円で元が取れない勘定となる。しかも、大町市が文化庁に提出した実施計画書にある「参加者数9,000 人、経済波及効果4,500 万円」は、参加者一人当り経済波及効果を5,000 円として算出している。その試算であれば、参加者2万人が得られたとしても1億円の経済波及効果しかない。「地域経済の起爆剤」と宣伝するにふさわしくない。
参加者数2万人は、北川フラム氏が「あまり大きな目標を掲げると後で失敗したと言われる」との助言を受けて、大町市長が判断した目標値であることが、情報公開により得られた議事録でわかっている。失敗と言われることを怖れて設けた目標値が、その経済波及効果のなさを露呈してしまった。
住民有志による監査請求により、「北アルプス国際芸術祭」をめぐる経理は「不適切だが、違法とはいえない」という内容の監査結果が出され、請求か却下された(今年6月)。これに対して、行政訴訟も準備されているとの情報もあり、芸術祭を1年後に控えて、まだ混迷は続く可能性がある。