【論文】野生生物を軸にした多元的価値の創出―コウノトリの野生復帰を事例に―


はじめに

近年、野生生物との共存に向けて、人為的な介入により何らかの望ましい自然を「再生」する能動的な手法が加わるようになりました。2003年に自然再生推進法が施行され、2016年度末までに25の自然再生協議会が設置されています。同法に基づいているわけではありませんが、兵庫県豊岡市を中心とする但馬地方ですすめられている絶滅危惧種コウノトリの野生復帰プロジェクトは、日本における自然再生の先駆的な取り組みです。2005年9月24日、5羽のコウノトリが放鳥され、現在では約90羽が野外で生息するに至っています。

コウノトリの野生復帰をすすめるためには、飼育下でコウノトリを増やす必要があります。それらをソースとして野外に放していきます。野外に放しても生息できる環境が整備されなければ、生きていくことは難しく、生息環境の再生が不可欠となります。コウノトリは、田んぼや里山といった人によって管理されている環境、いわゆる「里」を生息環境とするため、生息環境の再生は、人と自然のかかわりを再生していくことにほかなりません。しかし、農山村の活力が低下したこともあり、田んぼは維持できなくなり、里山の手入れも重ねられなくなっています。田んぼや里山を管理するためには、農山村の活力が不可欠です。コウノトリを地域の生態系の象徴として位置づけることで、地域の自然とかかわる営みを再生し、多元的な価値を創出していくことができます。多元的な価値を創出することで、自然とかかわる地域の営みが維持・再生されていきます。

このように、コウノトリの野生復帰は、コウノトリの生息環境の再生に限定されるわけではなく、コウノトリを軸に多元的な価値を創出することを目指した総合的な取り組みなのです(菊地2017)。本稿では、わたし自身が長年かかわっているコウノトリの野生復帰を事例に、野生生物を軸にした多元的価値の創出について紹介し、そのポイントを示してみます。

コウノトリの生態

コウノトリ(学名:Ciconia boyciana)は全長が約110㌢㍍、翼長が2㍍前後、体重が4~5㌔㌘になる水辺に生息する大型鳥類です(12㌻写真)。繁殖地であるシベリア東部と越冬地である中国揚子江周辺や日本を行き来する渡り鳥です。生息数は全世界で3000から4000羽程度と推定され、各種条約や法律によって保護されています。

食性は肉食性で、ドジョウ、フナなどの魚類、カエル、バッタ、ミミズなどを餌とします。巣は松の大木などの樹上に、小枝で直径1~1・5㍍ほどの大きなものをかけます。豊富な餌生物と豊かな里山を必要とする生き物であり、生態系の状態を表す環境指標となる種です。日本においては、田んぼを主な餌場の一つとし、里山の松の木に巣をかけていました。人と密接な関係をもつ「里の鳥」であり、人々はコウノトリと多様なかかわりを持っていました(菊地2006)。

コウノトリ
コウノトリ

コウノトリの保護と再生の歴史

コウノトリは江戸時代後期には日本各地に生息していましたが、明治になって狩猟により個体数は大幅に減少し、但馬地方にしか見られなくなりました。但馬地方の生息地が天然紀念物指定され(紀は当時の表記)、給餌場の設置など保護措置によって個体数は増加し、1935年ごろには60~100羽ほどが生息していたと思われます。しかし営巣地の国有林が伐採され、その後も農薬の使用や耕地整理などにより、個体数は減少し続けました。そのため、1955年から官民一体となった保護運動が行われ、1965年からは捕獲して人工飼育も開始されました。こうした努力にもかかわらず、1971年に豊岡で最後の一羽が死亡しました。繁殖する集団が消滅したことから、基本的には野生下では絶滅したといえます(菊地・池田2006)。

コウノトリの絶滅要因は、①明治期の乱獲による分布域の減少、②圃場整備などによる低湿地帯の喪失や営巣場である松の減少といった生息環境の消失、③農薬など有害物質による汚染、④個体数の減少した時点での遺伝的多様性の減少、が考えられています。これらは、いずれも人と自然のかかわりの変化によって引き起こされたものです。里を生息域とするコウノトリは、人と自然のかかわりの変化による影響をさまざまな形で受けてしまうのです。

1985年、ソ連(当時)のハバロフスクから贈られた6羽の幼鳥からペアが生まれ、人工飼育開始から24年たった1989年にヒナが誕生しました。これ以降、飼育下繁殖は、動物園と連携しながら順調に進んでいます。コウノトリを捕獲したのは、安全な環境で人工繁殖をおこない、野生に戻すためでした。1999年、野生復帰の拠点である兵庫県立コウノトリの郷公園(以下、郷公園)が開園し、野生復帰プロジェクトが始動しました。郷公園は、絶滅の危機にあるコウノトリを飼育下で繁殖させ、野生復帰させることを目的とした施設です。飼育員、獣医、環境教育スタッフ、研究員といった多様なスタッフが集い、「コウノトリの種の保存と遺伝的管理」、「野生化に向けての科学的研究および実験的試み」、「人と自然が共生できる地域環境の創造に向けた普及啓発」などに関連する取り組みを実施しています。

2005年の放鳥から2年後の2007年7月31日、野生下では46年ぶりになるヒナの巣立ちが観察されました。2011年には、放鳥したコウノトリの孫である第3世代が誕生しました。野外での繁殖は順調に進み、2017年4月現在、野外で約90羽が生息するに至っています。

野生復帰を軸にした多様な活動

(1) 利用することと保全すること

コウノトリの野生復帰は人里を舞台とするため、関係者は多様化し、コウノトリをめぐる価値も多元化していきます。そのため、多様な利害や関心をもつ人びとの協働と合意形成の促進が不可欠となります。コウノトリを利用することが保全することにつながり、保全することが利用することにつながります。利用することにより保全への投資が促進され、保全することによって資源の付加価値が高まっていきます(図)。こうした「利用することと保全すること」の循環的なサイクルを形成し、多元的な価値を創出することが実践的な課題となります(早矢仕ほか2017)。

利用することと保全すること

以下では、関連する取り組みの一部を紹介します。

(2)コウノトリ行政

まず行政の展開をみてみましょう。2002年、豊岡市企画部にコウノトリ共生推進課(現在はコウノトリ共生部)が設置されました。おそらく日本で初めて生き物の名前が使われた行政組織です。同年には兵庫県但馬県民局にコウノトリプロジェクトチームも発足しました。兵庫県と豊岡市は2003年度から、田んぼをコウノトリの餌場として活用する「コウノトリと共生する水田自然再生事業」を実施してきました。

豊岡市は「コウノトリが棲める環境は、人間にとってもいい環境」というキャッチフレーズを掲げ、行政施策にコウノトリを取り込んでいます。豊岡市基本構想(2002)、豊岡市コウノトリ環境条例(2002)、豊岡市環境基本計画(2002)、豊岡市環境行動計画(2003)、豊岡市環境経済戦略(2005)、いのちへの共感に満ちたまちづくり条例(2012)といったコウノトリを象徴とする関連した条例や行政計画が住民参加のもと策定されています。

その一つである環境経済戦略は、相反すると考えられていた「環境」と「経済」を共に発展させることで、コウノトリと共存する地域づくりをすすめていこうとするものです(豊岡市2007)。具体的な方針としては、①豊岡型地産地消(ひょうご安心ブランドなどブランド作付けとその市内消費を目指す)、②豊岡型環境創造型農業の推進(コウノトリ育む農法など)、③コウノトリツーリズム(修学旅行生の誘致など)、④環境経済型企業の集積(太陽光発電パネルを生産する企業など)、⑤自然エネルギーの利用促進です。

次に、農業者の取り組みをみてみましょう。

(3)コウノトリ育む農法

農業者の取り組み

コウノトリの餌生物となる水生動物の生息環境を整えると同時に安全で付加価値の高い米を生産する技術体系として提案されたのが「コウノトリ育む農法」です(西村2006)。コウノトリ育む農法は「おいしいお米と多様な生き物を育み、コウノトリも住める豊かな文化、地域、環境づくりを目指すための農法(安全なお米と生き物を同時に育む農法)」と定義されています。野生復帰という物語を農業に取り込み、生物多様性に寄与することよって生産物に高付加価値がつき、高付加価値がつくことで農業が維持されます。このサイクルを形成することで、野生復帰と農業の両立の実現を目指しているのです。

コウノトリの野生復帰が報道などで広く知られるようになり、高価ではあっても販売実績は好調です。コウノトリ育む農法は、生物多様性の向上に寄与する農法として注目されるとともに、生産物は高付加価値のブランド米としても注目されています。農家、豊岡市、豊岡農業改良普及センター、JAたじまといった多様な人や組織の協働により、耕作面積は、2015年現在で約366㌶にまで拡大しており、豊岡市の水田耕作面積の1割を超えるようになりました。栽培面積は放鳥後の2006年に急増しており、放鳥の社会的インパクトがうかがえます。豊岡市が実施した調査によると、コウノトリ育む農法に取り組むことにより、水田生物は増加する傾向にあります。自然再生と経済効果が相乗的に効果を生んでいる好例といっていいでしょう。

この農法の拡大は、農家、豊岡市、豊岡農業改良普及センター、JAたじまといった多様な人や組織の努力と協働によるところが大きいと考えられます。コウノトリは農業という営みの中で新たな価値を帯びた生き物へと変貌しつつあります。

(4)コウノトリの観光資源化

2005年の放鳥以降、郷公園の来園者数は年間30万人前後で推移しています。わたしたちが実施した郷公園来園者へのアンケートの結果によると、コウノトリは観光領域における重要な地域資源となっています。大沼・山本(2009)はコウノトリの観光面での豊岡市の経済波及効果を年間約10億円と試算し、地域経済に寄与していることを明らかにしました。再訪者が多いことから、効果が継続する可能性が高く、生物多様性の保全と経済が両立している好例といえます。

コウノトリの観光資源としての価値は、生息環境の維持・再生に貢献する農業者によって創出されている側面が大きいです。今後の課題は、観光からの利益を農業分野や湿地再生の担い手などに還元することです。それにより生息環境の整備が進展し、その結果コウノトリの地域資源としての価値が向上するとともに、持続的な利用が可能となります(菊地2017)。

郷公園内にあるコウノトリ文化館に豊岡市が設置したコウノトリ基金には、約880万円が寄せられています(2015年度)。豊岡市はこの基金をビオトープ水田の設置や大規模湿地の維持管理研究、小中学校での毎日の米飯給食とコウノトリ育むお米使用拡大などに活用しています。観光客による募金を原資とした還元によりコウノトリの生息環境の再生がすすみ、担い手が支えられています。その結果、観光資源の価値も向上するとともに、持続的な利用が可能になるでしょう。

(5)市民・住民による小さな自然再生

2009年4月に開園した豊岡市立ハチゴロウの戸島湿地は、ハチゴロウとよばれる野生のコウノトリが滞在したことをきっかけに、圃場整備中だった田んぼの一部をコウノトリの生息環境として整備した湿地です。戸島湿地の管理・運営は、NPOコウノトリ湿地ネットが担っています。コウノトリ湿地ネットの活動もあり、2008年から毎年コウノトリの繁殖が観測されています。

豊岡市北部の田結地区では、耕作放棄された田んぼをコウノトリが餌場として利用したことをきっかけに、地元住民と行政と研究者、コウノトリ湿地ネットが協働で放棄水田をコウノトリの餌場とする湿地作りが進んでいます。地域住民とよそ者の協働により、コウノトリの生息環境として放棄水田が再生され、コウノトリと地域への誇りと愛着という新たな価値が創出されています(菊地2017)。

多元的価値創出に向けて

これまで見てきたように、豊岡市は環境と経済の共鳴を目指した政策を展開し、環境創造型の農法は拡大しています。コウノトリに関心ある市民のネットワークが形成されていますし、コウノトリは観光資源としての価値を持ち、多くの人を魅了するようになっています。コウノトリを軸にして、さまざまな価値が併存している状態が創り出されています。先に述べたように、利用することと保全することのサイクルを形成し、多元的な価値が創出されているのです。

こうした取り組みは、「コウノトリが棲める環境は、人間にとってもいい環境」という分かりやすく、共感できる物語を共有しながら、研究機関や行政機関、既存の地域組織が、それぞれに濃淡はあってもコウノトリの野生復帰の論理を取り入れることで進められてきました。言い換えると、関係者たちは、必ずしもコウノトリのことを第一に考えて取り組みを進めているわけではありません。では、なぜ野生復帰では、大事にする価値が異なっていても、こうした差異を維持しながら多面的な取り組みを創発することが可能となっているのでしょうか。

そもそも、コウノトリの価値は、人びとがどのようにかかわるかによって異なります。農業再生の鳥であったり、経済効果を生む鳥であったり、科学的な対象であったりします。コウノトリとのかかわりによって、地域の多様な側面の見つめ直しが行われるとともに、コウノトリはそれぞれの関係者の論理のなかに意味づけられていきます。こうしたプロセスにおいて、コウノトリによる多元的価値が創出されていくのです。

最後に、環境社会学者の宮内泰介の議論をもとに、多元的価値を創出していくためのポイントを示して本稿を終えようと思います(宮内2013)。

第一に試行錯誤とダイナミズムを保証することです。単一ではなく、複層的な仕組みにすること、曖昧な領域を確保することで、硬直化を避けることができ、仕組みを動かし続けることができます。「コウノトリが棲める環境は人間にとってもいい環境」という表現の曖昧さによって、一つの価値に縛られない多様な関係者の参加を保証することができるのです(菊地2017a)。

第二に多元的な価値を大事にし、複数のゴールを考えることです。野生復帰や自然保護には矛盾する内容も含まれています。そのことを認めた上で、価値の単一化や対立化ではなく併存を志向していくのです。

第三に多様な市民による調査活動や学びを軸としつつ、「大きな物語」を飼いならして、地域の物語にすることです。生物多様性保全や絶滅危惧種の保護、そして農山村の消滅といった大きな物語は、大枠では正しくても地域社会の文脈に必ずしもそうわけではなく、場合によっては争いを生む可能性もあります。大きな物語をそのまま受け入れるのではなく、地域にあった小さな物語に書き直す必要があります。たとえば、本稿でみた小さな自然再生は、決して生物多様性の喪失といった大きな物語に従って進められたわけではありません。少子高齢化に悩む村の将来を見据えて、生物多様性の問題を地域に取り込んだものといえます。

野生生物と共存する地域に向けて必要なことは、科学、環境、生物、経済、愛護などさまざまな価値を大事にし、それらを試行錯誤しながら、緩やかにつなげていくことなのではないでしょうか。

【引用文献】

  • 早矢仕有子・中川元・菊地直樹・涌坂周一・田澤道広・高橋満彦(2017)「シンポジウム『知床・羅臼町でシマフクロウの観光利用を考える』報告」『知床博物館研究報告』39:49-66頁
  • 菊地直樹(2006)『蘇るコウノトリ-野生復帰から地域再生へ』東京大学出版会
  • 菊地直樹(2017)『「ほっとけない」からの自然再生学-コウノトリ野生復帰の現場』京都大学学術出版会
  • 菊地直樹・池田啓(2006)『但馬のこうのとり』但馬文化協会
  • 西村いつき(2006)「コウノトリ育む農法」鷲谷いづみ編『地域と生態系が蘇る水田再生』家の光協会、125-146頁
  • 大沼あゆみ・山本雅資(2009)「兵庫県豊岡市におけるコウノトリ野生復帰をめぐる経済分析-コウノトリ育む農法の経済的背景とコウノトリの野生復帰がもたらす地域経済への効果」『三田学会雑誌』102(2):3-23頁
  • 豊岡市(2007)『豊岡市環境経済戦略─環境と経済が共鳴するまちをめざして』
  • 宮内泰介(2013)「なぜ環境保全はうまくいかないのか─順応的ガバナンスの可能性」『なぜ環境保全はうまくいかないのか-現場から考える「順応的ガバナンス」の可能性』新泉社、14-28頁