【論文】「外国につながる子どもの教育の保障と自治体が果たせる役割」

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"日本語指導が必要な"子どもたちに注目した背景

 大阪市生野区周辺は戦前から「韓国・朝鮮」につながりのある人々が多く暮らしています。歴史的な経緯や地域の文脈を踏まえ、大阪の公立小中学校では、「韓国・朝鮮」につながる子どもたちが自らのつながる国の文化を学び、それが自分の一部であることを肯定的に捉えられるようなアイデンティティを尊重する教育実践が行われてきました。諸説ありますが、「多文化共生教育」という語の初出と考えられるものが、1992年、この大阪の在日外国人(韓国・朝鮮人)教育の中に見られます。

 また、「韓国・朝鮮」につながる子どもたちが、通名と呼ばれる日本名ではなく本名で学校生活が送れるよう、「本名を呼び・名のる」取り組みも公教育で行われてきました。これ自体は賛否両論あるものの、マジョリティ側の子どもたちが、日本以外の国につながる子どもたちの歴史的文化的な背景を理解した上で本名を「呼ぶ」ことで初めて「名のる」ことができることを表している、この「呼び」が先にあるところが肝心です。つまり、マイノリティ性をもつ子どもたちへの支援だけでなくマジョリティへの働きかけなくしては、社会的包摂は実現できないことを、教育実践の中で体現してきたと言えます。

 グローバル化が進み、身近にニューカマーと呼ばれる外国につながる子どもたちが当たり前に存在する今日、〝日本語指導が必要な〟という具体的な困り感をもつ子どもに焦点化し、大阪・生野がくぐってきた歴史とそこからの学びがどのように今の子どもたちに反映されているのか、子どもの目を通して今の学校や社会のあり様を捉えたいと考えました。また、子どもを軸に、子どもの周りにいる大人の声を集め、学びと育ちを支える側からの視点も対象に加えました。そして、把握した現状を基に、マイノリティ性をもつ子どもたちの包摂を根っこに据えることが、IKNO・多文化ふらっとが生野という場所で活動していく原点になると考えました。

白書で明らかになったこと

 こうして『生野の〝日本語指導が必要な〟子ども白書』(写真)は、ボランティアの大学生、大学院生や大学教員などの有志メンバーが集まり、外国につながる子どもたち7名及び保護者・関係者へのインタビューに基づき、2022年に作成されました。

 

子ども白書

 その子どもたちのインタビューには、背景にある社会的課題を抱えながら、現実に生きていくしんどさが、それぞれ違う様相で表象されていました。昔から言われている外見や文化的言語的なちがいであるマイノリティ性が排除の対象となる事実は相変わらず存在し、そのため外国につながる子どもたちが日本への同化・適応を志向する傾向が見られました。また、マイノリティ性が包摂されない状況が、直接的,派生的に外国につながる子どもの学びや育ちに大きく影響を与えていました。

 反面、今まで言われていたものとは異なる実態も把握できました。それは、外国につながる子どもの増加とICTの発達が母語・母文化への容易なアクセスを可能にし、同じ言葉や同じ文化的な背景をもつ仲間と共に過ごす時間とそこで得られるつながりが、日本で彼らが自分らしく生きることを後押しする役割を果たしていたということです。つまり、エスニシティ(民族性)の保持と誇りを得られる場が彼らのエンパワメントにつながると考えられました。

大阪の「しんどい子」を中心に据えた教育実践の特徴

 大阪の学校教育の現場では、同和・解放教育の実践から、さまざまな背景を抱えた「しんどい子」を中心に据えた教育実践の重要性が共有されてきました。学校がこうした子どもを一定包摂してきたことで、ニューカマーと呼ばれる子どもたちへの支援の仕組みが教育行政の中で構築されてきました。

 例えば、「日本語指導の必要な子どもの教育センター校(以下、センター校)」での取り組みが挙げられます。現在、小学校8校、中学校8校の計16校内に開設されていて、初期日本語指導を受けることができる場所として機能しています。そこでの特筆すべき活動の一つが「母語教室」です。母語で話し、勉強する機会は、子どもにとってありのままの自分を表出できる居場所になり、自分のエスニシティを確かめる場所となります。学校の枠や年齢・世代を超えた交流は、仲間とのつながり、情報共有だけでなく、ロールモデルとの出会いを生み出します。

 また、他にも、中国語弁論大会、ワールドトーク(多文化スピーチ大会)が挙げられます。センター校において発表に向けて母語で思考し内容を推敲する時間が自文化と自分を見つめ直す機会となり、多様な背景をもつ子どもたちのアイデンティティ確立に寄与する活動となっています。1996年当時、開催を決定した教員は「『母語・母文化を大切に!』は、やはり民族学級の取り組みから学んだことが大きかったと思います」と在日外国人(韓国・朝鮮人)教育との連関に言及しています。

 このように、センター校の日本語指導担当者が、子どもたちの母語・母文化の保持・伸長をも支援することで、日本語指導の場が同化や適応を求める場ではなく、エスニシティの表出を可能にする場として機能してきました。これは子どもたちへのインタビューから明らかにできた内容とも重なります。

 この母語・母文化(継承語・継承文化を含む)を尊重し、その保持や伸長の重要性を認識した上での教育実践は、センター校だけでなく、多くの小中学校においても実施されており、マイノリティ性をもつ子どもだけを対象にするのではなく、彼らの包摂を可能にするためにマジョリティへの働きかけも同時に行われています。そして、これらの実践を教育行政が下支えしていることが大阪の特徴であると言えます。

外国につながる子どもの教育を保障するとは

 近年、外国につながる子どもの教育が社会的な課題として少しずつ認識されるようになってきました。ここで問題なのは、その教育の中身ではないかと白書制作に携わった今、強く感じています。インタビューに応じてくれた7名は、日本語力、つながる国、通学する学校もさまざまでしたが、今、日本語指導を受けている子どもたちはモチベーションが高く未来志向であることが印象的でした。ただ単に日本語を学ぶ場があるというのではなく、その場が居場所となり、エスニシティの表出を可能にする場であることが、原動力になっているように感じられました。それを踏まえれば、外国につながる子どもの教育が予算化され、支援の仕組みや場所ができ、人的配置が行われても、大事なのはそこで何を行うのか、子どもに関わる大人が大切にしたいコトを共有しておくことだと言えるのではないでしょうか。

 岡本智周(2013,pp.120-121 『共生社会とナショナルヒストリー─歴史教科書の視点から』勁草書房)は、共生を「「社会のなかの多様性」の尊重と「社会の凝集性」の実現を同時に果たそうとする概念」であり、「ある一つの社会の位相において、尊重されるべき「多様性」と「凝集性」のあいだに最適かつ固定的な均衡点を見いだすことは、原理的に難しい」と述べています。その言葉を借りれば、教育現場では軸足を「多様性」の尊重に置き、マイノリティ性の包摂のあり方を当事者と共に考え続けることが、結果として「凝集性」の実現につながるのではと考えます。社会のなかで多様性が尊重されるためには、マジョリティにより排除され見えにくくされているマイノリティ性が可視化され、社会で堂々と表出できることが前提となります。つまり、マイノリティに、マジョリティの一員になるよう自助努力を求めるのでなく、マイノリティ性をもったまま暮らしていくことが当たり前にできるよう既存のマジョリティ中心の社会のあり方を問い直す必要があると言えるでしょう。

 これは、外国につながる子どもたちがもつ文化的言語的背景に限らず、どんなマイノリティ性にもあてはまる話だと考えます。人と向き合う中で、ちがいに寄り添い、その包摂を可能にする力は、指導・支援に当たる教師に求められるだけでなく、すべての子どもたちにつけたい力でもあります。ただ、社会に視点を移すと、マジョリティに働きかけるマジョリティのあり方の問い直しは、まだまだ始まったばかりです。

 私たちは少なからず、マイノリティ性を内在しているはずです。そこに目を向ければ、表出が困難である感覚を少しは共有できるかもしれません。いかに自分事として考えていけるか、寛容な社会づくりのためにも行政の果たせる役割は大きく、外国につながる子どもたちのマイノリティ性の包摂を検討することがその契機になると考えます。自治体の施策が、マイノリティの自助努力を後押しするものでなく、マジョリティがマイノリティ性の包摂を可能にするものとなれば、誰もが自分らしく生きることができます。

 その実現には、外国につながる子どもの支援に関わる大人が要となります。そのため、大人のもつマジョリティのルールを身につけることが子どものためになるという固定概念からマジョリティの特権性を自覚し、子どもに寄り添ってマイノリティ性を大切に育める人の養成が肝要です。加えて、教員の働き方改革が進む今、代替案の明示がないままに、教育実践の精選及び学校の役割の見直しが議論されていることに危機感をもっています。学校が担ってきたことを学校以外の場所が引き受けることも視野に入れた社会モデルの構築が求められ、それを可能にする予算配分や情報共有の仕組みづくりも欠かせません。

 外国につながる子どもの教育のあり様が議論される今、大切にしたいコトの共有から始めることが求められているのではないでしょうか。

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山田 文乃

大阪市の教育公務員として23年間勤務。市立小学校、在外教育施設、多文化共生教育相談ルーム、教育委員会での勤務を通して、多様な背景・困難をもつ子どもと関わってきた。現在、立命館大学で初等教職課程に携わる。

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