【ZOOM IN】長良川河口堰運用30年―今とこれから

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「環境破壊・無駄な公共事業反対」の抗議の中で、運用開始された長良川河口堰。30年を経たいま長良川の環境はどうなったのか、無駄なダム建設は止まったのかを検証し、これからを考えます。


長良川河口堰の建設

今年2025年7月6日、長良川ながらがわこうぜき(三重県)の運用30年を迎えました。長良川河口堰は1960年代高度経済成長期、伊勢湾工業地域の水需要を賄う水源施設として計画され、1968年、国の木曽川水系水資源開発基本計画(木曽川水系フルプラン)に位置付けられました。

しかし、この時すでに水多使用型産業構造からの転換や節水技術の向上から、水需要の大きな伸びは望めず、三重県工業用水は長良川河口堰建設事業からの離脱を希望しました。事業に参画する三県一市(愛知、岐阜、三重、名古屋)の協議の結果、三重県工業用水の開発水量を毎秒8・41立方メートルから毎秒6・41立方メートルに減らし、その分を愛知県と名古屋市が引き受けることとなりました。着工にこぎ着けることができたのは計画から20年後の1988年でした。

河口堰建設によるの消滅と流れの遮断がヤマトシジミ漁や回遊魚のアユ漁を崩壊させるとの危惧から、漁師の大きな反対運動が起こりましたが「漁業補償」の提示のもとで建設に合意させられました。

しかし、工事着工を目の前に「ダムのない長良川をまもれ!」とカヌーイストの野田知佑のだともすけ、小説家の開高かいこうたけしら著名人が呼びかける中で、建設反対の市民運動はまたたく間に全国に広がり「環境破壊・無駄な公共事業反対」の世論は、河川行政を揺るがす社会問題に発展しました。対立が激化する中、建設側と建設反対の市民側からなる「円卓会議」も開催されましたが。対立したまま1995年、強行に運用が開始されました。

河口堰運用年で
長良川の環境はどうなったのか

河口堰のゲートが閉鎖され、全国的にも有名であった河口のシジミ漁は漁師の様々な努力にもかかわらず存亡の危機にひんしています。長良川のシンボルであるアユの漁獲高は中下流の2漁協で「2004年には約30トンと、最盛期のおよそ20分の1、せき運用直前と比較してもおよそ10分の1にまで減少」しました。

河口堰建設により堰上流側は長い淡水湖に変わりました。高いままの水面はヨシ原の9割を消滅させました。サンカクイなど多くのが減少・消失しました。汽水域に生きてきたベンケイガニなどの姿やヨシ原に依存するオオヨシキリの声は消えました。長良川下流域の生態系の破壊が鮮明になりました。

河川行政へ批判が高まる中、1997年に河川法が改正されました。これまでの河川管理の目的であった「治水」「利水」に「環境」を加えるとともに〝地域の意見を反映をさせる制度〟(「公聴会の開催等関係住民の意見を反映させるために必要な措置」)の導入もうたわれました。

2010年、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の名古屋市での開催は、生物多様性の保全の気運を広げました。愛知県は2011年に長良川河口堰の検証プロジェクトチーム(PT)を立ち上げ、検証を開始しました。2012年PTは河口堰の開門調査を提言する「報告書」を知事に提出。現在、愛知県長良川河口堰最適運用検討委員会が検証を進めています。

その間、国土交通省では2011年から「長良川河口堰の更なる弾力的運用」として「アンダーフローによるフラッシュ操作」で環境改善を図っています。しかし「堰上流側に一切海水を入れない」限定的なもので、汽水域回復ではなく生物環境の改善にもつながっていません。愛知県長良川河口堰最適運用検討委員会は、国土交通省が設置している専門家の会合との合同会議を求めていますが、国側はその設置に消極的で、設置されないまま今日に至ってます。

河口堰により川と海を行き来ができなくなった長良川のアユは現在、漁協による移動や放流によって支えられています。この状況に地元の岐阜市は、2015年レッドリストで「準絶滅危惧種」に指定し保全を目指しましたが、経済を優先する漁協の圧力で2023年にサツキマスと併せてリストから削除されました。現在、長良川のアユの漁獲高は人工受精卵の孵化ふかと放流事業によって支えられていますが、多くの専門家が遺伝子資源の多様性を奪う行為であると警告しています。

伊勢湾においては、堰により川からの「流れの弱まり」が、栄養供給の低下と海域の貧酸素化を助長しています。全国最大の漁獲量を誇った愛知県のアサリの漁獲量は激減し、春の到来を告げるイカナゴ漁も禁漁が続いています。愛知県漁連は2022年に「長良川河口堰に関する要請書」を提出し、愛知県知事に対し開門調査などを求めました。

河口堰運用後の30年、
無駄な公共事業は止まったのか

水資源開発施設として建設された長良川河口堰ですが、水需要は伸びず、むしろ減る現在、開発水量毎秒22・5立方メートルの16%しか使われていません。最大の目的であった工業用水には一滴も使われず、使う予定もありません。

河口堰に続く徳山とくやまダム建設事業は1973年木曽川水系フルプランの全部変更で位置付けられました。オイルショックの年、経済成長の折れ点となる年でした。木曽川水系においては1983年の木曽川総合用水事業(木曽川大堰、岩屋いわやダム建設など)の完成をもって水需要を満たす状況となりました。

名古屋市水道の1日最大給水量は、1975年に124万立方メートルを記録して以来減り続け、今日では80万立方メートルを切る状況となっています。長良川河口堰に設定した毎秒2立方メートルの水の一滴も使っていません。導水計画もありません。水資源機構へ支払う23年の建設費ローンは完済しましたが、年間約10億円かかる河口堰管理費の分担金は、水を使わなくても河口堰が存続する限り支払わなければなりません。

河口堰を運用開始した1995年に、国は事業見直しも視野に入れた徳山ダム建設事業審議委員会を設置しました。これを受け名古屋市は同事業で確保する水利権毎秒6立方メートルの半分を返上することを表明。返上された毎秒3立方メートルは引き受ける自治体もなく、問題をあいまいにしたまま、2000年に徳山ダムは着工されました。

ところが2003年、徳山ダム事業費1000億円増額の決定を機にすべての利水者が部分撤退を表明。計画当初の開発水量毎秒15・0立方メートルのダムが半分以下の毎秒6・6立方メートルのダムに変身。穴となった分は「異常渇水時の河川環境改善」など新たに「つくられた」目的で埋められました。財源は国民の税金です。

徳山ダムは2008年に完成しましたが、上水・工業用水ともにどの自治体も使うめどすらついておらず、今日に至るまで1滴の水も使われていません(洪水調節と発電用としては使われています)。

愛知県・名古屋市の取水口がある木曽川に、徳山ダムがある揖斐川いびがわから導水する「木曽川水系連絡導水路」は、計画決定から18年になりますが着工していません。まだ1メートルも工事をしていないにもかかわらず昨年事業費が約2・5倍に増額されました。その事業費2570億円の66%は「治水」ですが、洪水対策ではありません。異常渇水時の環境改善(10年に1回を超える規模の渇水時のアユやヤマトシジミの生息のため)という理解しがたい目的です。「飼い場の直上流ちょくじょうりゅうに徳山ダムの水を放水する」計画に岐阜市民は不安と怒りを抱いています。導水路は毎秒20立方メートルを流す内径約3・5メートル、延長43キロメートルの長大なトンネル工事となり、リニア中央新幹線のトンネル工事で地下水枯渇、地盤沈下の甚大な被害を受けている岐阜県民の不安を募らせています。

このように長良川河口堰で犯した水資源政策の失敗を、この30年徳山ダムから木曽川水系連絡導水路事業に拡大深化させているのが現実です。本来、失敗した事業に対して、それ以上の費用増加をしないよう「損切り」をして事業から撤退するのが正しい姿ですが、我が国の公共事業では「損切り」で出費を抑える考え方がありません。

私たちは河口堰運用から30年の今、「木曽川水系連絡導水路中止」という公共事業の「損切り」を実現するために運動を進めています。長良川市民学習会ホームページでリーフレット『STOP! 徳山ダム導水路』をぜひご覧ください。

河口堰のこれからを考える

河口堰の開門調査を求める私たち「よみがえれ長良川実行委員会」(以下、実行委員会)は、これからの長良川河口堰を考えるシンポジウム「長良川河口堰運用30年」を本年7月6日(ゲート閉鎖の日)、岐阜県図書館において開催しました。立場や世代を超えて「これからを考える」ものになるようパネリストに宮本博司氏(元長良川河口堰建設事務所長)、森誠一氏(岐阜協立大学地域創生研究所教授・所長)、三石みついし朱美あけみ氏(元国連生物多様性の10年市民ネットワーク)、蔵治くらじ光一郎こういちろう氏(東京大学大学院教授)を招いて開催しました。約200名の市民が参加しました。

河口堰運用30年を踏まえたそれぞれの活動・研究から議論が交わされました。河口堰建設をめぐってはきわめて激しい闘争があったためその傷跡は深く、行政は河口堰問題を「はれもの」に触るがごとく避けてきました。また、発言するものは反対派、賛成派の色分けに遭遇し、話がかみ合わないまま過ぎてきました。こうした歴史の中での各パネリストの苦渋や思いも吐露される感動的なシンポジウムとなりました。今後、「対立」から「対話」への流れをそれぞれの立場で作っていこうという認識を、会場の参加者を含め共有できたことは大きな成果でした。

韓国ナクトンガン(洛東江)
河口堰開放に学ぶ

昨年秋、実行委員会は2022年に常時開門に運用を移行させた韓国のナクトンガン河口堰を視察しました。実行委員会は、釜山プサン広域市(以下「釜山市」)と2016年以来「河口堰開門めざして」情報交換を続けてきました。釜山市役所で担当者のレクチャーを受けたり市民団体との交流ツアーも積み重ね学んできました。

よみがえれ長良川実行委員会視察団。2024年9月30日ナクトンガン河口堰をバックに(筆者提供)

ナクトンガンは、1987年の河口堰運用開始、1990年代の上流の工場・都市排水による汚染、2009年からの四大河川改造事業による自然破壊で深刻な状況に陥りました。

釜山市は2012年に環境省に汽水生態系回復を提案し、2015年河口堰開放宣言をしました。環境省との協力で河口堰開放と生態系への調査研究が進み、開門と塩水遡上そじょうのシミュレーションも2016年には完成しましたが、実際にゲートを開けて海水を入れる実証試験は、国土交通省の反対でできませんでした。しかし、ナクトンガン河口堰開放を公約に掲げたムン・ジェイン政権が2017年に誕生したことにより、2018年から海水を入れる実証試験ができるようになりました。実証試験によってシミュレーションが実際と一致することを確認し、2022年「常時開門」の運用に移行しました。

また、ムン政権のもと政府組織法が改正され、河川管理が国土交通省から環境省に移り、河口堰を運用する韓国水資源公社も環境省の管轄となりました。2021年には環境省、国土交通省、海洋水産省、釜山市、水資源公社など5機関が参加する「ナクトンガン河口統合運営センター」が設立され水門開放効果や塩害なども集中的に分析されるようになりました。

私たちは河口堰と統合運営センターを訪問し、水資源公社の職員から運用状況の説明を受けました。現在、ナクトンガンの生態系回復のために河口堰の門の一つを開門し海水を流入させて「汽水域を造成」しています。堰上流15キロメートルにある農業用水の水門から塩水が入らないよう、堰上流12キロメートルで潮が止まるようコントロールしているとのことでした。

河口堰開放に反対していたのは「塩害」を危惧する農民でした。塩水の地下水侵入についても52カ所のリアルタイムの塩水濃度測定とデータの公開で、実証試験以降、農民の抗議デモはなくなりました。徹底したモニタリングと情報公開、そしてステップ・バイ・ステップの進め方は、開門に反対する人々にも理解されることがよく分かりました。

一方、漁民のヒアリングによると、堰の開門によるウナギなどの回帰で回復の光は見えましたが、四大河川事業で上中流に8カ所もダムがつくられたダメージは大きく、漁業を安定した生業として成り立たせる状況にはなっていないとのことでした。

おわりに

様々な問題を抱えながらも本流の上中流にダムを持たない長良川は、40万都市の岐阜市の真ん中を流れ、身近にアユの産卵が見られる清流です。「清流長良川の鮎」は世界農業遺産にも登録されています。河口堰を開門し、山から海までとうとうと流れる自然の川、世界一の清流によみがえらせて次世代に手渡したいと思います。

【参考文献】

武藤 仁

1950年岐阜市生まれ。2010年名古屋市上下水道局退職。技術士(上下水道部門)。1980年代から木曽三川のダム・水問題の市民運動に参加。2007年から長良川市民学習会事務局長。

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