「講師選定指針」が示すもの

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「公序良俗に反する言動や行動を行っているなど、公共・公正性をかんがみて講師としてふさわしくないと判断した者は選定しない」。これは、ある自治体の行政内部で作成された「講演会や学習会等(市の主催、共催等)における講師選定指針」なるものからの引用です。この指針にはさらに、講師依頼について「内容に疑義がある場合には当該講師の講演会傍聴や資料提供の依頼を行い、具体的な講演内容の確認を行う」とまで書かれていました。私は少し前に、この行政内部の文章が実際に、住民の学びに影響を与えていることを知りました。住民側から提案された市民大学講師の人選案に対して、教育委員会事務局の担当係長から「講師に問題があるので変えてほしい」と言われたというのです。それを断ろうとすると「それでは、申請は受けられない」と言われ、やむなく応じたことが複数回ある、とのことでした。その際に根拠として示されたのが、この講師選定指針だったというのです。

講演会や学習会を実施する場合、そのテーマ設定や講師選定が重要な事項となることは言うまでもありません。そして現行法では、教育が「不当な支配」(教育基本法16条)に服してはならないことが規定されており、教育委員会の権限と首長の権限は、明確に分けられています(地方教育行政の組織及び運営に関する法律1条の三)。しかし、この自治体事例に示されているように、講演会や学習会を自治体主催や共催として実施する場合には、「公金を使っている」などの理由により、行政内部で作成された講師選定指針なるものによって、講演内容や講演者が制限される場合が少なくないのかもしれません。

「市民と行政の協働」は現在、市民大学のような生涯学習事業だけではなく、地域と学校の連携や各種のまちづくりの取り組みとしても広がっています。いくつかの自治体では、公民館をまちづくりセンターに変えて、教育委員会管轄から首長部局に移管させる政策が推進されようとしています。その場合、世論が分かれているテーマの取り扱いは、誰がどのように決めているのでしょうか。日本国憲法と国際人権規約などで保障されているはずの住民の学びは、自治体主催や共催事業の場合には制限されて当然なのでしょうか。講師選定指針に書かれている「公共・公正性」という言葉によって、自由であるべき学びが制限されてよいのでしょうか。

この自治体で起こっていることは、教育機関である公民館を特定公民館として市長の管轄に変えたことによって起こった、埼玉県所沢市のまちづくりセンター設置条例改定をめぐる紛争事例と重なるところがあります。さらに言えば、教育委員会を任意設置に変えようとした2014年の地方教育行政の組織及び運営に関する法律改定が実際に実施されていれば、どこの自治体にも起こっていたことでもあるでしょう。すなわち、教育委員会が首長部局の一部門にされ、教育機関も首長部局によって管理されるようになっていたら、「講師選定指針」と同じようなものがどこの自治体にもつくられた危険性が高いのです。

住民一人ひとりが自由に表現し学べることは、地方自治のあり方と深く結びついています。この基本的人権を、社会で支えていける仕組みをつくり、それを維持していく取り組みが求められます。自由な表現と学びは、地方自治のあり方と結びついているのです。

荒井 文昭

だれが教育を決めているのか、決めるべきなのかを研究している(教育政治研究)。『教育管理職人事と教育政治』(大月書店、2007年)他。NPO法人多摩住民自治研究所理事長。

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