タマの風vol.33 今、生きている場所

(NPO)多摩住民自治研究所
神子島 健(成城大学非常勤講師,多摩住民自治研究所『緑の風』編集委員)


タマの風vol.33 今、生きている場所

南三陸の乙女のネコ、アキちゃんと吾輩の会話は佳境に入ってきたようだにや。吾々は今、南三陸のとあるカフェの建物の脇にいるのだが、明朝、カフェの前の駐車場に坊主頭が車で迎えに来る。その時に吾輩がここにいニャければ、多摩に帰れニャい、つまりこの南三陸に骨を埋める、ということににゃる。

『タマの風』をいっそ『東北の風』にでもしてもらって、ここから連載を書くのもありかにゃどと頭をよぎったが、よく考えると吾輩は自分でペンを持ったりキーボードを打ったりできないので、やはり多摩研に戻らニャいと連載は終わってしまう。今回で最終回だろうか……?

アキちゃんに、南三陸に残ったらという意味のことをいわれた吾輩は、ここに残るか悩んでいる。いや、むしろ残るほうに吾が心はグラつき始めているのだにや。「んー…」とアキちゃんは何か考えている。「タマさん迷ってるべ。ってことは、やつばり向こうに帰りたい気持ちもあるわけだべ?」「ついさっきまで、ここに残るにゃんて考えてもいなかったんだからにゃあ」アキちゃんはわざとらしくすねた感じでいう。「ま、どうせ、向こうにいいお相手がいるんだべ?」「そんなことで迷っているんではニャいのだよ」「ふーん」

「にゃんだな、アキちゃん。いっそ吾輩と一緒に多摩に来ないかにゃ?」「また、タマさん、そんな気ニャいくせに」「いやいや、本当に。吾輩のいるところはネコ好きの人ばっかりだから問題ニャいよ」「えー…」といったところで、カフェのドアが開いて女性が出てきた。「あれー、アキ、見ないネコねえ」「ミャー」とアキちゃんが応える。「ここのカフェのオクサマだべ」と吾輩に耳打ちする。左手に小魚とキャットフードの入ったお皿を持ってアキちゃんに近づいて、右手で額をなでる。「アキの友だちかねえ?初めて見たけど」「にゃーごろ」と吾輩も挨拶しておく。「まあ、どっから来たのかねえ?」といいながら、彼女は吾輩の頭と首のあたりをなでている。まさか東京からやってきたネコが猫生(=人生)の岐路の話をしているとは思うまい。吾輩は彼女が持ってきたアキちゃんの夕食を半分もらう腹積もりなので、とりあえずなでられるがままにしておく。そしてうみゃーうみやーと二匹で言いながら仲良く夕食をいただく。

「まったく困ったわねー」といいながら彼女はカフェに戻っていく。この分ならエサの追加を用意してくれるのは間違いニャい。「わりと若い人だにゃー」「そうだべ。夫婦とも三十代くらいじゃねえかな?」「このへんの集落だと、高齢者の割合が多そうだけどにゃー」「まあ、どこも大変だけど、ここの集落は、比較的若い連中が結束して復興を盛り上げてきたんだ」吾輩は無言で相づちを打つ。「オラ、3・11の時にはまだ小さかったんだけど、ひたすら怖かったことはよく覚えてる。ドーンと揺れがきて、オラ、もうパニックだったけど、ママが「アキ、泣いてるヒマなんか無いわよ!」って怒鳴って、オラの首根っこ口でくわえて、高台のほうつれてったんだ。防災用のサイレンがウンウン鳴ってよお、人間も大慌てだ。そしたらものすげえ津波で、それ見ながら、寒いのもあったけど、むしろ恐ろしくてふるえてたんだ」「うん」

「その辺の家とか車とか漁船とかどんどん流されて」吾輩はただ聞くしかできニャかった。「津波が引いた後は家の破片とか、家具とかが散乱してるし、その辺の道路が破壊されちまって、この集落は孤立しちまったんだ」

しばし沈黙が流れ、うつむいているアキちゃんに吾輩は軽く触れて(人間の感覚だと軽いハグのようなものだにゃ)「みゃあ」とはげましの合図をした。辺りは静かで波の音だけが聞こえていた。ギイとドアが開く音がして、二匹ともそこで我に返った。

さっきの彼女が追加の食べ物と水を持ってきてくれた。「あんた、ずっとここにいる気なのかねえ?」と皿を置く彼女に、吾輩はイエスともノーともつかない「みえー」と発声した。もっとも吾輩がどちらかの答えを示したとしても、人間にはわかるまいが。

吾々が食べ終わるのを見届けて彼女がカフェに戻り、吾々二匹はまた会話を続ける。

「この集落、孤立してたから、しばらくは救援物資が届かなかったべ。オラたちネコは沢の水でいいけど、人間は飲み水が足りなかったみてえだな。あと、流れてた食べ物で大丈夫そうなのを洗って食べてた。人間様はその辺、ネコよりデリケートだから大変だな」「アキちゃん、すごい光景を目の当たりにしたんだにゃ」「うん。でも、この辺のネコ同士じゃ、みんな同じ体験してっから、そんな話しねえべ。オラ、この話したの初めてかもしれねえ」

「ふむ、さっき(前回)話した畠山重篤さんという人がね」「はあ」「カキの養殖をしている人だから、津波で船とか養殖施設が全滅しちゃったわけにゃんだが、震災直後に「「それでも海を信じ、海とともに生きる」といったそうだにゃ」「ほー」「この海辺で暮らし続けてるアキちゃんも、この辺の集落の人も、同じじやニャいかな?」

「そんなもんか?」「ここに残った人たちは、この土地と、海と、周囲の山々と、地域の人たちと、そうしたつながりのなかで生きていくことを改めて選択したのではニャいだろうか。もちろん、一人ひとりの思いのなかで違う部分や迷いもあるだろうけど、吾輩には、震災を経てもやっばりここで生きていく、という人の思いからは、そんな静かな決意を感じるにゃー。それまで当たり前に故郷で暮らしていたという人でも、あらためて、海とともにここで生きていくという決意が強まったんじゃニャいのかな? ま、ネコの手前勝手なざれ言として聞いてもらえればいいけどにゃ」

「んー」とアキちゃんはしばらく考えたあと「そうかもな。ま、人間のことはわからねけど、オラ、やっばり、あんな思いした場所だからこそ、ここで生きていきたいんだべ」「うん、そうかにゃ」「自分の今、生きている場所で幸福になれねえなら、どこへ行ってもきっと同じだべ。どっかに理想郷があるはずがねえ。今、この場所に問題があるんだったら、自分たちでこの場所を変えてけばいい」

「なんだか、アキちゃんすごい恰好いいにゃー」「え、そうか?照れるな」自治の基本を語ってくれた気がするにゃ。

「で、タマさんは、どうすんだ?」「え?」「どこで生きてくんだ?」

しばし沈黙。しかし以上のやり取りを経て、答えは決まっている。「アキちゃんがここで生きる決意をしたように、吾輩もやっばり多摩で生きるのだにゃ」「そうか、オラ、来る者は拒まず、去る者は追わず、だ」「この空も、陸も、海も、南三陸と多摩でつながっているのだにゃー。離れていても、我々はともに生きるにゃー」

お互いそうはいいつつ、おそらくは寂しさを残しにやがら(少なくとも吾輩は内心悲しかったにゃ…)、二匹は翌朝駐車場にて分かれて、吾輩は多摩へと帰っていったのだにゃ。

千葉の友達、ガンちゃんだにゃ。