【論文】「大阪都」構想住民投票と橋下大阪市政の暴挙


大阪維新の会が強引に進める「大阪都」構想は、住民投票の五月実施が確実になりました。ここで賛成票が反対票を上回ると、もう元へは戻せません。

いわゆる「大阪都」構想は、大阪府・大阪市の代表で構成される協議会(いわゆる法定協議会)において、本年一月一三日、その制度設計に関する二度目の協定書がまとめられました。この協定書は、これから府議会・大阪市会の承認を経て、五月中旬に大阪市民の住民投票に付される見通しです。しかし、協定書に示された「大阪都」構想の内容は深刻な問題を抱えていて、これを推進する大阪維新の会(「維新の党」大阪府総支部)を除く各会派からは、さまざまな疑問や批判が提起されてきました。「都」構想はそれらを押し切って強引に進められていますが、万一このまま住民投票で「賛成」票が上回ると、もはや後戻りもやり直しもできなくなるという重大な局面を迎えています。

「大阪都」構想とは

1「大阪都」構想の内容

「大阪都」構想は、政令指定都市としての大阪市を廃止し、それに代えて大阪市域に五つの特別区を設置するという自治体の再編策です。大阪市には二四の行政区がありますが、これらを五つにまとめる単なる合区ではなく、特別区はそれぞれが法人格をもつ基礎自治体で、公選制の区長と区議会が置かれます。その点、特別区は機能的にほぼ「市」に相当しますが、特別区の置かれた全域についての行政の一体性・統一性を確保するため、通常なら「市」に配分される事務の一部(消防など)が広域自治体である「都」の事務とされ、特別区はその分だけ「市」よりも権限が縮減される点が異なります。また、「都」には特別区相互間で生じる財政力格差を調整するための財源と権限が付与されることから、特別区の運営は通常の「市」よりも強く「都」に従属することになります。そのため、「大阪都」構想とは、実質的には、大阪市のもつ主要な権限・財源を「大阪都」に統合する意味をもちます。

東京市と東京府を合体させて東京都が生まれたのは、戦時下の一九四三年でした。それ以降、東京以外の「都」も制度上は可能と解されていましたが、二〇一二年に「大都市地域における特別区の設置に関する法律」が制定され、東京以外で実際に「都」制を導入する道筋がつきました。「大阪都」構想も、同法の定める手順によっています。もっとも、この法律では「大阪府」の名称は変わりません。橋下徹大阪市長(維新の党最高顧問)は「大阪都」への改称も望んでいますが、それを実現するためには別の法律の制定が必要になります。

2「大阪都」構想が提唱される背景

大都市としての大阪が直面する諸問題への対応策としての大阪都構想は、以前にも存在しました。しかし、現在進行中の「都」構想が登場した直接のきっかけとしては、まず、橋下市長が二〇〇八年の府知事就任直後に「財政再建」を旗印に取り組んだ、大阪府・市の水道事業統合や、大阪府庁を老朽化した現庁舎から大阪市保有の赤字ビル(WTCビル)に移転する案が、大阪府・市の連携の不調から失敗したことがあります。このような、大阪府と政令指定都市として大阪府に匹敵する権限をもつ大阪市が同種の行政施策を重ねる「二重行政」の解消や、大阪府・市の連携の不調からいずれの政策も滞るという「府市合わせ(ふしあわせ)」克服の必要性が、「都」構想の意義として強調されます。

また、橋下市長は、大阪経済の再生に向けて、国際的な拠点都市としての競争力強化という成長戦略を描くのですが、その実現のために、産業インフラ整備などの権限を「都」に一元化し、強力なリーダーシップの下に成長戦略を推進する必要があるとします。府・市の「都」への合体は、都市間競争のために権限や財源等を「都」に集中させる集権的体制「ONE大阪」の構築を意味するのです。

他方、「大阪都」構想において大阪市が解体され特別区を設置することについては、特別区に“中核市並み”の権限を付与し、さらに区長が公選制となることで、身近な行政に民意が一層反映されやすくなるというメリットが喧伝されます。

「大阪都」構想の問題点

「大阪都」構想の法定協議会は二〇一三年二月に設置され、さしあたり大阪市域に特別区を設置する構想をめぐって話し合いが始められました。そして、昨年七月、特別区の区割りや「都」と特別区の事務配分等に関する最初の協定書が、後で述べるような強権的なやり方でまとめられました。そこに至る議論の中で指摘されたものを含め、現在の「都」構想には次のような問題点が内在しています。

1「二重行政」批判は的外れ

「二重行政」という言葉は、一方では非効率に対する批判として、他方では、府市の連携の乏しさに対する批判として連呼されますが、必ずしも府・市を合体して解消することが望ましいとは限りません。例えば、府立・市立の体育館は複数あっても常にフル活用されていますし、異なった運営主体による施設が住民サービスの質等の向上を多様な観点から追求することは、全体の底上げにもつながります。行政のムダな重複や府市の連携不足は、克服されるに越したことはないながら、地方自治が都道府県と市町村の二層制とされた以上、ある程度は想定もされるところです。それゆえ、過度のムダや政策の不整合は、府市の合体によらなくとも、住民という基盤が重なる両者の協調努力で抑えられるでしょうし、「都」構想=府市合体という解消策では、逆に集権化の副作用が無視できなくなります。

実際、維新の会が「大阪都」で実現を目指すのは、一方では高度成長の再来を期待されつつも破綻(は たん)を重ねた大規模開発計画の類(鉄道・高速道建設や研究機関誘致など)であり、他方ではカジノ誘致のような怪しげな経済政策です。成功の覚束ないこれらの政策に財源等が優先配分されるため、特別区が担当する住民生活に関する事務は必然的に後回しされてしまいますが、これに対抗する力を特別区はもたないのです。しかし、そもそも自治体が、生存を賭けた競争を民間企業のごとく演じること自体が不適切であり、ボーダーレス化したグローバル社会においては、ライバル都市とも共存共栄を追求するしか途はありません。

2「大阪都」構想は、分権や住民自治に背を向けた

地方分権や住民自治の観点は、大都市制度の改革に欠かせませんが、「大阪都」構想はもっぱら効率性を追求した集権的な改革であり、およそこの観点からの評価には値しません。

第一に、協定書は特別区を五つ設置する構想です。しかし、維新の会は現行の二四行政区で区長公選制が導入されるかのような宣伝から始め、その後八区案を示し、七区と五区の案を並べた後で五区案を採りました。区の数が次第に減るのはコストを重視したためで、その結果、三つの区の人口は鳥取県(五八万人余)並み以上です。区割りも、過去の分区の経緯以上に財政力の均衡等を考慮した機械的な区画法によっています。

第二に、各区の区議会議員定数は、全体で大阪市会の現行定数と一致するように定められました。そのため、大規模な自治体ながらも議員定数は一二~二三人と町村並みとなり、多様な民意を代表しつつ行政をチェックする機能を果たすためには不十分です。議会を蔑視する橋下市長の特異な民主主義観を表しているといえるでしょう。

第三に、特別区の権限は“中核市並み”と予定され、その限りでは東京の特別区よりは幅広いものの、十分な保障がありません。というのも、「都」と特別区の事務配分は法律の定めによるのではなく、条例による事務処理の特例(地方自治法二五二条の一七の二)や事務の委託(同法二五二条の一四)といった協力方式による実現が予定されているだけだからです。詰まるところは自治体間の合意に基づく事務配分であり、将来的には「都」と特別区との力関係次第で安易に変更されるおそれも懸念されます。

第四に、協定書では特別区による一部事務組合の設立が予定され、それも極めて大規模なものです。対象となる事務が、国民健康保険・介護保険事業、水道事業、住民情報系システムの管理、入所型福祉施設や市民利用施設の管理などとされ、多岐にわたるのも異例です。一部事務組合では特別区が事務に直接携わらないため、各区住民の意向を運営に反映させることが難しいのですが、そこでの事務の範囲が広すぎるのです。ちなみに、東京には清掃、区職員の人事厚生、競馬の三事業についての個別の一部事務組合があるだけです。

最後に、維新の会自身の掲げる道州制実現という政策が「大阪都」構想と矛盾していて、「都」構想の将来が見通せません。道州制は都道府県を廃止する改革案であり、仮に「大阪都」構想に続き道州制が実現するならば、大阪市も大阪都も消滅してしまうのです。

「都」構想の強引な進め方

橋下市長と維新の会による「都」構想の進め方は、強権的で性急でした。法定協議会の設置された当初は、およそ月二回のペースで会合が開かれてきました。しかし、二〇一四年一月の会合で、橋下市長による区割り案絞り込みの提案が否決されると、露骨に強引な手法をとり始めます。橋下市長は、当初予定の二〇一五年四月「都」制移行に間に合わせるべく、市民の信を問うとして市長を辞任してしまいました。その後五カ月以上の間、法定協議会は開かれませんでしたが、七月に入っては三週間で四回という強行日程で会合が開かれ、最初の協定書が作成されました。

しかも、この過密日程による協定書作成を押し切るため、六月末、維新の会は府議会での過半数の勢力を背景に法定協議会から非維新系委員を排除しました。その結果、最初の協定書は維新所属の委員だけで作成されたのです。維新の会から離党表明する議員も現れた府議会では、七月から八月にかけて、非維新系各会派が共同して条例の制定により法定協議会の委員構成を会派比例に復元しようとしましたが、臨時府議会招集の請求を松井一郎府知事(維新の党幹事長)が二度にわたり違法に拒絶したり、可決された条例案に拒否権を行使したり等で、結局、法定協議会の運営を正常化して協定書の内容を修正することはできませんでした。

「都」構想の協定書は、法律の定める手続では、大阪府議会・大阪市会の双方で承認が得られた後に、大阪市民の住民投票にかけられます。そのため、七月に作成された最初の協定書も、府市両議会に付議されたのですが、一〇月二七日、両議会の双方で不承認となりました。それでも、住民投票でなら勝算ありと見込む橋下市長は、議会の議決権を首長が代行する専決処分権限を発動して住民投票に持ち込む可能性を示唆していました。しかし、その発動要件が厳格に限定されているため(地方自治法一七九条)、それを強行突破するために橋下市長が考え出したのが、法定の住民投票の実施を求める住民投票(いわゆるプレ住民投票)を条例を制定して実施するという奇策でした。それも、市民が署名を集める直接請求のかたちをとり、市議会が条例案を否決した場合の専決処分権行使をチラつかせるという強引な手法でした。

ところが、一二月の総選挙後、突然に公明党が「都」構想に対する方針の転換を表明しました。同党は、最終的には住民投票をもって住民が決定すべきだとの理由から、府市両議会で協定書の承認に賛成し、本年五月の住民投票実施を認めるといい出します。それを受けて法定協議会が再開され、本年一月一三日の会合では公明党の賛成も得て二度目の協定書が作成されました。もっとも、新しい協定書は、維新所属の委員だけで作成した最初の協定書に微修正を加えたものに過ぎず、そのような協定書の内容には公明党も反対だとしています。

協定書の内容に反対しながら、それでも「都」構想についての最終判断を住民投票に委ねるというのは、政治行動としておよそ不可解なだけでなく、政治責任を住民に丸投げしてしまう、政党として極めて無責任な態度です。住民投票は民意を確認する手段として有意義ですが、「都」構想のように複雑な政策判断について、熟慮する時間的余裕を与えないまま住民投票にかけるというのは乱暴で、このような住民投票は、民意を的確に反映しないばかりか、多様な意見を圧殺する非民主的な機能を果たしかねません。

公明党のこの不可解な方針転換をめぐっては、総選挙に際して橋下市長や松井知事が当初公明党現職区から出馬する意向を表明し後に撤回したという経緯があったため、裏に公明党と維新の会との間で何らかの密約が存在するとの見方もあります。

住民投票に向けて何ができるのか

現在の「大阪都」構想は、問題を多々残したもので、二〇一七年四月という「都」制移行時期も、橋下市長が合理的理由なく勝手に決めたに過ぎません。それでも、維新の会が強引な手法をとってまで「都」構想の実現を急ぐのは、維新の会が退潮傾向にあって、先になるほど実現可能性が薄れると見込まれるからにほかなりません。現在は維新・公明両党で府市両議会の議席の過半数を占めるため、二月議会で協定書が承認され、五月に住民投票にかけられることはほぼ確実な情勢です。ただ、その前の四月には府市両議会の議員選挙が実施されます。その結果次第では、改選後の議会で情勢が変わる可能性も否定できないでしょう。

住民投票では、「賛成」票が上回った場合に後戻りする途は存在しませんが、逆に「反対」票が上回った場合でも、将来改めて都構想を検討する余地まで排除はされません。だから、住民投票に臨んでは、今回の「都」構想が理解しきれない場合に棄権したり白票を投じたりするのではなく「反対」票を投じるよう呼びかけることが必要になります。

橋下市長は「都」構想の住民投票について「憲法改正の予行演習」だと述べました(一月一五日)。安倍首相も、橋下市長との連携関係を強化して、来年の参院選後と目している憲法改正に向けて維新の党に先導的な役割を期待している模様です。もはや「都」構想の住民投票の持つ意味は、ただ「都」構想の帰趨を左右するだけではないことに留意しなければなりません。