【論文】「賢い迷い」が都市と民主政治を守った 大阪「都構想」住民投票

  • 加茂 利男(かも としお)
    大阪市立大学名誉教授

2015年6月15日

月刊『住民と自治』 2015年7月号 より

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はじめに

「大阪維新の会」が発行した「維新Journal」の投票日5日前の号を読みました。「大阪都構想の議論がかみ合わず、住民の皆様にはご不安をおかけしております」と、お詫びの言葉が書かれていました。市民に理解できるかみ合った議論ができないまま、投票に入ることを「維新」は自覚していたようです。「都構想」の財政的効果を、維新は4000億以上だといい、反対派は、効果額はせいぜい1億円、代わりに住民サービスの方は下がる、といっていました。「維新Journal」は、「住民の皆さんは何を基準に判断すれば良いのか」と自問しながら、それでも「『賛成』の方も投票しなければ『反対』することと同じになります」として賛成票を投じるよう呼びかけたのです。

「大阪市をなくすのか残すのか」を決めるのだということはわかっていても、その当否を判断する基準がよくわからないまま、とにかく「賛成か反対か、選べ」といわれたことになります。こんなに訳の分からない住民投票で、市民に選択させるというのは、民主主義の乱用だったのではないでしょうか。

投票日翌日の『朝日新聞』は、「悩みぬいてNO」という見出しを社会面のトップに掲げていました。意味がわからないまま、大阪市をなくすことに踏み切れなかった市民の迷い・逡巡を伝えたのだと思います。この迷いと逡巡が大阪という都市と日本の民主政治を、首の皮一枚でつなぎとめ生き残らせたのです。崖っぷちで一歩踏みとどまった大阪市民の「賢い迷い」を重くうけとめるべきでしょう。

大都市制度の改革としての「都」構想

住民投票がおわったいま、あらためて大阪市民が求められた選択は何だったのかを、考え直しておいたほうがいいかもしれません。

一つには、これは大都市制度をどうするかの問題でした。経済のグローバル化とともに、ヒト、カネ、情報の国境を超えた移動が進み、国内でもグローバル世界への出入り口となる都市に、人口や企業が移動し集中する。これはいまの世界で広く起こっている現象です。

たとえばニューヨーク市は最近35年間で人口が130万増え、大ロンドン市は、21世紀最初の10年で人口が100万増えています。東京都の人口も2002年~2015年の間に130万増えています。グローバル経済の結節点である「世界都市」では、際限のない集積の作用が働き、「世界都市」を持つ国が国力をつけているという見方が有力になっているのです。そのため、超巨大都市(メガ・シティ)といわれる大きな都市的集積をつくることが21世紀の国家戦略だと考えられています。イギリスの大ロンドン戦略も、アメリカのニューヨーク政策やトライステート(ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット)圏域政策も、日本の世界都市東京戦略も、制度や手法はちがっても、こうした広大な大都市圏域を作ろうとするものです。

問題はこうした大きな都市的集積を統治、運営する制度をどのように設計するかです。ニューヨークの場合人口800万を超えるニューヨーク市自体が巨大都市ですが、その周りに3つの州にまたがる千数百の自治体、公社・公団・シンクタンクなどがあり、それらがゆるやかに連携しながら圏域計画にもとづいて、このメガロポリスを運営しています。

ロンドンは、サッチャー政権の時には人口700万を擁する大ロンドン市が廃止され、特別区(バラ)が自治体として自立するとともに、地下鉄や上下水道など区を超えた広域事務は、中央政府が設置した準政府機関や区の合同委員会などが運営することになりました。しかし、この制度では大ロンドン全体を効果的に統治できないというので、労働党ブレア政権の下で、大ロンドン地域を管轄する、公選市長と議会からなる新しい政府(GLA)が設置されました。警察・消防・交通、開発など全市にまたがる事項はGLAで、その他の政策は区で行われることになったのです。

東京は1943(昭和18)年に東京市が廃止され、東京都と特別区・市町村に再編成されました。他の道府県とは格の違う「都」がつくられ、首都機能がおかれただけでなく、業界など諸団体の本部が集められ、企業本社も集中して今日に至る東京一極集中の端緒をつくりました。東京市が、自ら市制を投げ捨てて「都」に合流していった結果でした。

赤木須留喜さんの『東京都政の研究』は、東京市が市を解体して「都」に合流するにあたって、「東京市翼賛市政確立協議会」の堀切善次郎会長が述べた「談話」を紹介しています。

「大東亜戦争は……これを勝ち抜くために国家総力の基底たる地方自治体が堅固でなければならぬことまたもとよりでありますが、とくにわが東京市は対大東亜共栄圏の盟主たる帝国の首都として政治、経済,文化の中心であります……。然るにこの一大世界都市の市政は、従来遺憾ながら必ずしも完癖だったとは申されぬ」(赤木須留喜、『東京都制の研究』未来社、1977年、p.663)。

今日の「大阪都」構想とは何の関係もないようにも見えますが、東京市と東京府を解体して、別格の「帝都」である「都」に合流する発想、またこの都市を「一大世界都市」と位置付けてそれにふさわしい大都市制度を実現しようというアイデア、どちらも今回の大阪の「都構想」に通じるものがあるのではないでしょうか。東京はこの時に「都」になったから、世界都市としての発展を遂げた。大阪市は市にとどまり、府との「二重行政」を余儀なくされ、長期の「地盤沈下」に悩まざるを得なくなった。この境遇を脱するには大阪も「都」になるほかはない。これが「維新」の発想だったのではないでしょうか。そう考えれば、「大阪都」構想は実は古色蒼然たる発想だったようにも見えてきます。

筆者もいっとき橋下氏のようなアイデアを持ったことがあります。東京の「都」と「特別区」がそれぞれ、中枢機能・国際機能とまちづくり機能を分担している姿は、「政令指定都市」という中途半端な大都市制度より優れているように見えました。しかしやがて、東京と大阪の落差は、大都市制度の違いからくるものではないと思うようになりました。政治経済システムが変わらない限り、都市制度がどうあろうと東京一極集中は続き、「セカンド・シティ」大阪の地位低下も続くほかはない、と思うようになったのです。

戦時下に作られた東京一極集中は、戦後も働き続けました。加えて市場メカニズムが東京に圧倒的な集積の利益を発生させました。この国土構造を転換しない限り、どんなに大都市制度を変えても、東京と大阪の格差は開くほかなかったのです。戦後の早い時期に東京の「都」制度を廃止し、政治行政的首都機能を分散して大都市を平等に位置づける制度をとっていたら事情は違っていたかもしれませんが、現実にはいつの間にか東京集中は、雪だるま式に進み、大阪が何をやってもしょせん周回遅れで「リトル東京」をつくるだけになってしまった。これは、「日本型政治システム」の問題であり、都市制度の問題ではなかったのです。

いずれにしても日本は東京への集中・集積によって成り立つ国になってしまっていました。本当に首都を移転して東京への集中を壊してしまったら、日本は国力の低下に直面するほかはない。だから首都機能の分散とか移転といいながら、それは画餅に終わってきたのです。橋下氏と「維新」は、大都市制度の改革が手遅れになったあとで、「都構想」を掲げて走りはじめたのだと思います。

もし1万700票という「間一髪の差」が逆に出て、「都構想」が実現の方向にむかうことになっていたらどうだったでしょう。これから大阪は大規模な制度改革や公共投資で、人も組織も施設も模様替え、優秀な人材も少なからず失われることになったのではないか。その喪失感から目をそらすようにカジノが夜な夜な虚栄の光を放つことになったのかもしれません。大阪市を解体しても旧市域に共通する公共サービスは必要です。それをこなすために120の一部事務組合をつくる案が得てきましたが、これはサッチャーが大ロンドンを廃止したとき、区を超える多くの事務を行うために、多くの準政府機関や区合同委員会を作らなければならなかったのとよく似ています。形の上で大阪市を廃止しても大阪という都会はなくならないのですから、無数の共通事務がでてくるわけですが、それをバラバラに一部事務組合化してしまったら収拾がつかなくなるところだったのです。

新しいポピュリズム政治の実験

橋下政治は、「都」構想を実現しようとしただけのものではありませんでした。この間に多くの人が、橋下氏の言葉とアクションにひきつけられ、「都」構想だけでなく、橋下氏が考えていたらしい「改憲」政治にも引きつけられていました。人々をわかりやすく、インパクトのある言葉で引きつけ、その言葉の真偽を知らないまま一定の方向に導く、「言葉の魔術」のような技術を持つ政治家のことを「デマゴーグ」といいます。

ドイツの社会学者マックス・ウエーバーは『職業としての政治』のなかでこういっています。「政党が登場して以後の西洋の政治のなかで、弁護士が重要な意味をもったのは決して偶然ではない。……事柄を利害関係者に有利なように処理することこそ、まさにベテラン弁護士の腕というものである。その点で弁護士は……『官吏』よりも優っている。……今日の政治の大半は公開の場で、口頭または文書、ようするに言葉という手段を用いて行われるが、この言葉の効果を計算することこそは弁護士本来の仕事の一部であって専門官吏のそれではない」(『職業としての政治』岩波文庫、p39~40)。このように「言葉」を計算し、事柄を有利に処理する人のことをウエーバーは「デマゴーグ」と呼んでいます。「嘘」というより、嘘も本当も取り混ぜた言葉の技術で、いつの間にか人をひきつけ論敵をやっつけるというのが、デマゴーグなのです。かつての田中角栄氏も小泉純一郎氏にもそういうところがありました。ヒットラーもそうでした。言葉やパフォーマンスで人々を引きつける。別名「ポピュリスト」「劇場政治」です。必ずしも嘘で人をだますのではなく、自分も自分の言葉に酔いしれるので、だから余計に説得力が出るのです。

政治家や官僚がモタモタとわかりにくいことをいい、ものごとがさっぱり決められないなかでポピュリスト・デマゴーグが登場してくると、政治はひとたまりもなく動きます。橋下氏が弁護士出身でテレビ・タレントでもあったことはけっして偶然ではないのです。

改憲をもくろむ首相周辺が、橋下氏との合流を望んでいたのは、いまの自民党にないポピュリスト政治で、改憲への流れを作りたかったからだと思います。安倍首相の原稿棒読み演説や菅官房長官の陰鬱な記者会見では改憲の雰囲気など簡単につくれそうにありませんから。

おわりに

橋下氏の敗戦会見も結構見ものでした。疲れた顔に笑顔を浮かべて、政界引退を語った彼にさわやかな印象を持った人も多かったでしょう。政治家の去就についての発言の重さを橋下氏は語っていました。それを信じたい気がしますが、もし彼がやはり「デマゴーグ」なら、どうなることか予断は禁物でしょう。

2015年6月15日

月刊『住民と自治』 2015年7月号 より

  • 加茂 利男(かも としお)
    大阪市立大学名誉教授

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