【論文】夕張市の財政破たん10年―不可欠な「未来への投資」―


財政破たんから10年。緊縮財政は人口と経済の収縮を招き、行政執行体制は崩壊の危機が迫っています。財政再生計画を全面改定し、再生への希望と誇りを回復すべきです。

はじめに

2006年6月、北海道夕張市の巨額債務の存在が新聞報道で明らかになり、全国に衝撃を与えてから丸10年が経過しました。夕張市は2007年3月に旧法の地方財政再建促進特別措置法に基づく財政再建団体に移行し、2010年3月からは、夕張破たんを機に制定された新法、地方公共団体財政健全化法に基づく財政再生団体に移行し、現在に至っています。

夕張市は1888年に、北海道庁の技師である坂市太郎が石炭の大露頭を発見したのをきっかけに生まれたまちです。北海道の石炭産業の中心都市として発展し、炭鉱会社の企業城下町として、労働者の暮らしを会社が丸抱えする独特の地域文化と濃密な地域社会を育みました。19 より、1990年に市内最後の炭鉱の灯が消えました。

財政悪化と赤字膨脹の経緯

夕張市は1970年代末から、地域の基幹産業が消滅し、人口が激減する危機に立ち向かおうと、うち捨てられた廃虚や廃屋の解体・撤去、住宅・学校・上下水道などの生活インフラの整備、そして閉山の負のイメージを払しょくし雇用の場を創出するための観光事業への投資に積極的に取り組みました。しかし結果的にそれが公債費などの膨脹を招き、1990年ごろには財政再建団体への移行が不可避な財政状態に陥りました。

しかし当時の中田鉄治市長(故人)は、国から財政再建団体になるよう助言を受けながらも、地域をそこまで追い詰めた国の責任を問う立場から、財政再建団体化に強く抵抗し、赤字隠しの財務テクニックにより、15年近く問題を先送りしてきました。その結果、夕張市の赤字額は標準財政規模の8倍超の353億円にまで膨張することになりました。

夕張市の赤字隠しが発覚した当時、国や道は口をそろえて「知らなかった」「見抜けなかった」とコメントしました。小泉構造改革路線の下、自己責任論の風潮が広がった時代です。行財政の専門家やマスコミも、「赤字を隠した市が悪い」「行政の悪事を見抜けなかった議会が悪い」「無能な議員を選んだ市民が悪い」という3段論法で、「夕張自己責任論」の流れに加勢し、赤字膨脹の原因究明を求める市民を黙らせることに成功しました。

しかしその後のドキュメント分析などを通じて、国や道は1990年代から夕張市財政の実質的破たんを正確に把握し、そればかりか道は夕張市の苦境に寄り添う立場から、違法な基金貸し付け(無許可起債)で赤字隠しに手を貸してきたこともわかってきました。出納整理期間を悪用した会計間操作による赤字隠し手法も、最近になって、道が同様の手法で赤字隠しを行っていることが明らかになり(いわゆる「単コロ」)、夕張市の赤字隠しはそもそも道の入れ知恵だったのではないかという疑念が生まれています。赤字隠しに手を染めた夕張市をただ責めるのではなく、数奇な歴史のなかで、国や道も財務行政のプロとして赤字隠しに目を瞑り、赤字を膨張させた責任の一端があることを、夕張市民以外の道民、国民は謙虚に受け止める必要があります。

夕張市役所。2016年2月19日、筆者撮影。
夕張市役所。2016年2月19日、筆者撮影。

長くて厳しい緊縮財政

夕張市の財政再建がいかに特異なものであるか、過去の他の財政再建団体と比較した図で確認しましょう。

図 1975年度以降の財政再建団体の実質赤字比率と再建年数

(出典:総務省資料、自治庁(1958)を元に筆者作成)
(出典:総務省資料、自治庁(1958)を元に筆者作成)

財政規模に対する赤字の大きさを示す実質赤字比率(縦軸)が際立って突出しており、財政再建期間の長さ(横軸)も実質20年という異例の長さです。さらに注目すべきは、原点からの傾き(角度)で表される計画の「緊縮度」で、他団体の2倍以上の厳しさです。従来レベルの緊縮度では、夕張市が財政再建を終えるのに60~80年かかってしまい、それではあまりにも長すぎるので、無理やり20年(当初は18年)に圧縮した結果、緊縮度も過去に例のないものとなったのです。

緊縮財政を定めた計画は、公式には市が自ら策定したことになっていますが、策定過程では、「その事業を止めたら人が死ぬのか?」「計画を作るのはあなたたち(市職員)ではない。エクセルだ」といった助言を国や道から受けながら、「全国最低のサービス、全国最高の負担」が徹底的に追求されました。職員は139人が退職を余儀なくされ、破たん前の半数以下となり、給与は平均4割減となりました。消防・水道・生活保護といった国の法令に基づく事務事業は維持されましたが、人の生死に直結しない公園や文化・スポーツ施設、集会施設などは多くが休廃止となり、住民福祉や地域振興にかかわる単独事業も廃止され、ナショナル・ミニマムが引き下げられました。住民負担も住民税や固定資産税の超過課税をはじめ、施設使用料や下水道使用料、各種交付手数料などが引き上げられました。

2010年3月に、新法に基づく財政再生団体に移行した際に、若干の緊縮緩和が図られました。民主党政権下で、地方交付税の人口急減補正の見直しや期間の2年延長などにより財源を捻出し、市営住宅再編事業など地域再生に資する事業の一部が認められました。また2012年度からは国・道・市の事務レベルが夕張市内で懸案事項を検討する「三者協議」が開かれるようになり、未就学児への医療費助成の実現など、一定の成果を挙げました。当初と比べると「財政再建一辺倒」ではなくなったものの、依然として「財政再建最優先」が続いており、普通の自治体のようにまちづくりの予算を組むことには、まだ高い壁が残っています。

住民に見守られながらバス通学する子どもたち。2015年5月19日、筆者撮影。
住民に見守られながらバス通学する子どもたち。2015年5月19日、筆者撮影。

人口と経済の縮小

この10年で夕張市にどのような変化が起きたのでしょうか。

破たん発覚前の2006年6月時点で1万3165人いた夕張市の人口は、2016年6月時点で8949人と、9000人の大台を割り込むまで減少しました。財政破たん直後の2006年後半から20007年にかけて、人口減少率が大きく上昇し、その後破たん前の水準に戻りつつありましたが、2013年ごろから再び高止まりした状態になっています。子育て世帯を中心に市外転出が進んだことで、出生数が大きく落ち込んだ影響(2006年度:59人→2014年度:27人)と考えられます。2015年1月時点の年少人口比率は5・8%と近隣自治体の半分程度で、子どもの数だけで見ると、すでに人口4000人~5000人の自治体なみになっています。

夕張市内で近年懸念が高まっているのは、小学校から中学校、あるいは中学校から高校への進学のタイミングで、市外転出する動きが広がっていることです。高校を例に取ると、かつては地元中学から地元高校への進学率は8割前後で推移していましたが、2010年春に中学校が1校に統合され、1期生が卒業した2013年春より進学率が急低下し、直近では50%近くまで落ち込み、高校存続に一気に黄信号がともりました。

進学率低下の理由として考えられるのは、①学業や部活のほか、②1校化による生徒の顔ぶれ・人間関係の固定化、③「財政破たんしたまちの子」という負のレッテル、④そうした不利な要素を補う市独自の魅力化事業の欠如、などが複合的に作用していると考えられています。危機感を募らせた市は2015年から、ふるさと納税を活用するなどして、財政再生計画の壁を乗り越えて、市独自の高校支援に乗り出しました。

人口減少は地域経済の衰退に直結します。夕張市の課税所得額は2006年度:127億円→2015年度:74億円と50億円以上縮小しました。一人あたり課税所得額も財政破たん直後に急減し、2015年度の78万円は札幌市の60%、東京都港区の14%と全国最低水準です。商業統計の2004年度と2012年度の変化を見ると、商店数は234→114、従業員数は925人→399人、販売額は131億円→87億円といずれも激減。一方、工業統計の2005年度と2013年度の変化を見ると、事業所数は30→17と大きく減少していますが、従業員数は690→712、製品出荷額は109億円→115億円と微増になっています。

これは財政破たんによる知名度向上を逆手に取った積極的な企業誘致が、夕張ツムラなどの進出という形で実を結んだことを示しています。しかしながら、この成果を人口減少の抑制に十分生かし切れていない現実もあります。夕張市内には公営住宅の空き家が多数存在していますが、これらの事業所の従業員の居住に適した民間賃貸住宅が決定的に不足しており、市外からの通勤者を増やす結果を招いています。現役世代の市内定住者を増やし人口減少に歯止めをかけるには、雇用の創出だけでなく、住宅、医療、福祉、教育、交通など、さまざまな施策を総合的に実施していく必要があります。

旧夕張小学校跡に集まってきたエゾシカ。2015年年8月31日、筆者撮影。
旧夕張小学校跡に集まってきたエゾシカ。2015年年8月31日、筆者撮影。

市民の生活と思い

財政破たんから10年も経過すると、市民も財政破たんの問題を日々意識して暮らすということはなくなってきます。風化は、市外の人々が夕張を忘れるだけではなく、市民のなかでも進みます。削減された公共サービスや負担増に、良くも悪しくも慣れてしまい、財政破たんの痛みを声高に訴えることもなくなります。訴えても、財政再生計画の厚い壁に跳ね返されるため、「言っても無駄」と諦めるようになります。生活が苦しくても、それが財政破たんのせいなのか、消費税増税のせいなのか、区別するのが難しくなっていきます。市民はつつましい暮らしのなかで、小さな楽しみや喜びを見いだそうとしながら生きています。市外から夕張を訪ねれば、市民は人懐っこい笑顔で、自然豊かで人情豊かな夕張の素晴らしさを語ってくれるでしょう。

こうした市民の姿を見て、「厳しい緊縮財政といっても、市民の痛みは大したことはない」と短絡的に決めつける人がいますが、それは間違いです。確かに一部のメロン農家など、財政破たんをモノともせず、元気に暮らしている人がいるのも事実です。しかし緊縮財政に耐えきれない痛みを感じた人は、すでに多くが市外に転出してしまっていることにも目を向ける必要があります。2006年度~2014年度にかけての夕張市からの転出者は、延べ5242人に上ります。「声」なき市民の「足による投票」が、緊縮財政の「痛み」を静かに物語っているのです。

市外に転出せず残っている人も、何も問題がないわけではありません。「夕張市民は元気です!」と明るく語った人が、数時間後には「本当はきついのさ」と本音を語り始めます。「大変」といえば、一般市民にまで非難や説教を浴びせたい自己責任論者の餌食になるのがわかっているので、おちおち本音も話せません。とはいえ2016年1月に第三者委員会が「市民の生の声を聴かせてほしい」と市民懇談会を開催すると、想定を遙かに超える約200人の市民が、再生への希望を求めて集まり、さまざまな要望が寄せられました。

財政破たん以降、「行政に頼らず、自分たちにできることは自分たちで」と、市民活動に取り組む市民も増えました。「ゆうばり再生市民会議」という新しい市民活動が生まれ、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」も市民らの手で復活しました。休廃止になった公共施設も、市民の自主管理で維持・存続しているものが少なくありません。炭鉱時代から「会社依存」「行政依存」といわれてきた市民気質はこの10年で確実に変化し、「住民自治」の市民文化が芽吹きつつあります。

とはいえこの間、さまざまな活動を担ってきた市民のいっそうの高齢化が進むなかで、市民の負担にも限界が見え始めてきています。今後さらに10年間、財政再建最優先の行政で、市民に負担を強いるならば、せっかく芽吹いた「住民自治」の文化が立ち枯れてしまいかねません。動きをさらに後押しするためにも、行政が市民主体の活動に一定のサポートを行えるようにすることが求められます。

「攻めの廃線」として、市が地域公共交通体系構築への協力を条件に廃止(2019年3月。現在は、運行中)を容認した石勝線夕張支線。JR夕張駅。2016年2月19日、筆者撮影。
「攻めの廃線」として、市が地域公共交通体系構築への協力を条件に廃止(2019年3月。現在は、運行中)を容認した石勝線夕張支線。JR夕張駅。2016年2月19日、筆者撮影。

行政執行体制の危機

緊縮財政の痛みを最も直接的に味わってきたのは市職員です。夕張市は職員の定数と給与の削減による人件費の削減で、赤字解消財源の約半分を捻出してきました。職員は財政再建団体移行時に半数以上が退職し、職員数は266人から127人に半減しました。その後も計画を上回るペースで退職者が出たため、2009年度から新規採用を再開しましたが、中堅・若手職員の中途退職者が後を絶たない状況が続いています。頑張っても報われない低い処遇、職場環境の悪さ、将来的な改善見通しのなさによる不安や絶望感が、財政破たん後も残って頑張ってきた職員の心を折り、最近では自殺者が出る悲劇まで起きました。職員給与は当初の平均4割減から少しずつ復元してきましたが、全国市町村の最低水準が維持されており、新規採用で補おうとしても、処遇の低さから内定辞退者が続出してしまう現実があります。

職員不足を補う上で大きな力となってきたのは、道や東京都などからの派遣職員ですが、こちらも10年が経過するなかで、道以外の支援を受けるのは難しくなってきています。財政破たん後の行政を支えてきた幹部職員らの定年が近づくなか、行政執行体制を維持できなくなる「第2の破たん」が、「今そこにある危機」として迫っています。「財政破たんの責任を負う職員の負担が重いのは当然だ」という見方もありますが、行政が崩壊すれば、結局そのツケは市民に回ってきます。当たり前の市民生活を守るためにこそ、職員を守らなければならないということが、夕張では強く意識されるようになっています。

また現在の職員の約6割は、財政破たん時は無役の係員であり、破たん後に入庁した職員がすでに約3割を占めています。彼らには財政破たんや赤字隠しの責任はありません。時間の経過とともに責任主体の空洞化が進むなか、夕張自己責任論への固執は、公平性の面からも効率性の面からも意味をなさなくなってきており、ただ惰性や嗜虐性を正当化する空疎な観念となりつつあります。

財政破たんの一因となった遊園地跡。SL館の建物などがわずかに残る。2015年10月30日、筆者撮影。
財政破たんの一因となった遊園地跡。SL館の建物などがわずかに残る。2015年10月30日、筆者撮影。

不可欠な「未来への投資」

2015年10月、夕張市は破たん10年の節目を迎えるにあたり、「夕張市の再生方策に関する検討委員会」(座長:小西砂千夫関西学院大教授)を設置し、筆者も委員の一人として参画しました。委員会では、10年に及ぶ財政再建のプロセスが地域と自治にどのような影響を及ぼしたのかを客観的に検証し、夕張市の再生を確かなものにするために実施すべき方策を検討しました。2016年3月に鈴木直道市長に提出した報告書は、財政再建最優先の財政再生計画を、地域再生をより重視したものに全面改定するとともに、市の自主裁量権を回復することで、市の再生が新たな段階に移行したことを市民や職員が実感できるようにすることを要請しました。鈴木市長はこの報告書を国や道に提出し、国や道の理解を得て、2017年3月の計画全面改定に向けて作業を進めています。

長期に及ぶ厳しい緊縮財政と破たん自治体のレッテルは、人口や経済の縮小を加速させ、市民や職員の希望と誇りを奪い、地域の再生をより困難なものにします。「緊縮財政と地域衰退の悪循環」を回避するには、たとえ財政再建下であっても地域再生の視点を持ち、これからの時代に必要とされる新型のインフラや人への投資を続けることが重要です。

夕張市は今回の計画改定で、コンパクトシティ構想に基づく新たな都市拠点づくり、地域公共交通システムの再構築、地域エネルギー資源の活用、子育て・教育環境の改善、職員研修の強化など、未来への投資の着実な実行を目指しています。と同時に、破たん自治体のレッテルの長期化につながる「期間延長」を、国や道の財政支援の強化により回避することで、再生への希望の灯をともし、破たん・縮小しても生活の質や幸福度の高いまちを目指してほしいと思います。

今年からゆうばり国際ファンタスティック映画祭のメイン会場になった廃校活用の宿泊施設。旧メイン会場の市民会館は、財政破たん後市民が自主運営してきたが、昨春ついに閉鎖となった。2016年2月26日、筆者撮影。
今年からゆうばり国際ファンタスティック映画祭のメイン会場になった廃校活用の宿泊施設。旧メイン会場の市民会館は、財政破たん後市民が自主運営してきたが、昨春ついに閉鎖となった。2016年2月26日、筆者撮影。