【論文】沖縄県民の覚悟と英知 玉城デニーさんが新知事に


翁長雄志知事の急逝による沖縄県知事選挙は、2018年9月30日に投開票が行われ、翁長知事の支持母体が推す玉城デニー・元衆議院議員が、沖縄県知事選挙史上最多の39万6632票を獲得し、自民・公明・維新が推す佐喜眞淳・前宜野湾市長に8万票余りの差をつけて、新知事に当選しました。

翁長知事は、2014年11月の知事選挙で36万票余りを獲得、自公が推す仲井眞弘多・元知事に約10万票差を付けて圧勝しました。しかし、その後の4年弱、翁長知事が掲げた「オール沖縄」の民意により、名護市に米海兵隊辺野古新基地建設を阻止する政策は、苦難の道をたどりました。オール沖縄は、県内各地の市長選で連敗し、2018年2月には辺野古阻止のシンボルでもあった稲嶺進・前名護市長まで敗北しました。勝ったのは、唯一、南城市長選ですが、これはオール沖縄や辺野古阻止の訴えとは関係が薄い、市の自治を問う選挙でした。

2014年には、経済人も辺野古反対に加わったと喧伝され、「イデオロギーよりアイデンティティー」の訴えが県民に浸透した証しと見られてきました。しかし、経済人の翁長支持は、当初に立ちあがった人たちからまったく増えず、それどころか、2018年に入り、経済人2トップの一人と目され、目立った広報役であったホテルグループ経営者が、オール沖縄離脱を表明、同グループは今回の知事選挙も自主投票で臨みました。

また、離党者が出ることが期待された自民党県議会議員も、副知事に任命された浦崎唯昭氏一人に終わり、那覇市長であった翁長知事の足元の那覇市議会で、翁長支持に転じた元自民党市議のグループは、その後壊滅状態です。こうして、オール沖縄を構成する勢力は、衰退してきたと見られていました。さらに、2014年知事選挙、2016年宜野湾市長選挙、2018年の名護市長選挙で顕著になった、30代までの若者が、保守系候補者への支持を強めている世代分断も進んでおり、今回も、出口調査では、その傾向は進んでいました。

政党支持を見ても、前回知事選挙で自主投票であった公明党、独自候補・下地幹郎・現衆議院議員を出し、約7万票を取った維新が、今回は佐喜眞支持に転じ、それだけですでに玉城票は5万から10万足りません。

なぜ、この予想を覆す玉城圧勝の結果をもたらしたのか。最大の要因は、翁長知事の急逝に伴う「遺志を継ぐ」弔い合戦の訴えかけです。保守政治家としての立場と、国の辺野古建設強行を止める立場の間で、翁長知事は苦しみました。翁長知事を支持する「オール沖縄」は、さまざまな政治的考えを含み、そのすべてを納得させることは、不可能です。だから彼は、「腹八分」あるいは「腹六分」ということをいっていました。仲井眞・元知事の決めた埋立承認の撤回を、本当に最期に至るまで決定しなかったことで、辺野古反対運動内からの批判が出る一方、インターネット上の「辺野古に反対する翁長は、中国の回し者」という、根拠のない非難、沖縄に対するヘイトスピーチに類するような言説が、投げかけ続けられただけでなく、県内の若い層にも受け入れられてしまった事態がありました。

当選後、いつかは仲井眞・元知事のように、金との交換で辺野古を受け入れるのではないかと疑われていた翁長知事は、しかし、膵臓がん発症・手術後も、国の圧力に屈することなく、辺野古を止める姿勢を貫き、壮絶な最期を迎えました。その姿が、多くの県民の心を打ったのは、間違いありません。また、急逝という予期せぬ事態のなかでも、時間をかけずに後継者選びができたこと、遺言の録音があったことで、玉城デニー氏を後継者に、という合意に容易に達したことも、勝因となりました。

当選後のインタビューを受ける玉城デニーさん。湧田廣撮影
当選後のインタビューを受ける玉城デニーさん。湧田廣撮影

選挙戦で顕著であったことは、玉城支持の若者たちによる、自主的な動きの活発さでした。選対本部には仕切る力はなく、YouTubeへの動画投稿、Twitterによる発信など、自覚した若者による活動が目立ちました。

また、今回の選挙で敗れると、日本会議直系の知事を、沖縄県が選ぶことになる、という危機感も、多くの県民を駆り立てたでしょう。何よりも、命を賭けた翁長知事の闘いの姿に駆り立てられたのだと思います。

佐喜眞陣営は、名護市長選挙、また、その 前の宜野湾市長選挙で成功した、辺野古争点隠しで、三匹目のどじょうを狙いましたが、そのもくろみは県民による懲罰的投票行動の対象となり、ついえました。米軍基地の存在を問題視しない若い世代が育っていることから、筆者は「同化政策の最終勝利段階」と見て、危機感を募らせてきました。しかし、いまもまだ辺野古を重大争点と考える県民が多かったのです。国の思いどおりになる沖縄にはなっていませんでした。沖縄のために、本当によい結果でした。

佐喜眞陣営は、国との協調で、国からの財政支援による子どもの貧困対策をはじめとする県民の経済状況を向上させる政策を前面に出しました。もし、県民がこれを支持していれば、沖縄は、子育て、福祉、教育という、人権を守る根幹の責任を、基地との交換の金に委ねることになります。それは、永続的に国の意思に隷属しなければならなくなる選択でしたが、県民はそれを明瞭に拒絶しました。苦しくとも、自主性を強く持つ県政運営を選んだのです。

玉城デニー新知事にとり、辺野古を止めるのは、難しい仕事になります。法廷闘争の外で、「辺野古が唯一」という政府の大うそを覆す努力が必須です。また国の意向に左右されない財政制度の確立も目指さねばなりません。挑戦すべき課題は多く重いです。しかし、米海兵隊員の、いまだ会ったことがない父と、沖縄人の母の間に生まれ、別な育ての母の下で成長した、沖縄社会で決して恵まれた地位にいなかったデニーさんが、「差別のない、多様性を受け入れる、皆が皆を支え合う優しい社会を作ろう」と訴え、知事になったのは、沖縄にとり、また日本にとり、歴史的画期をなすことです。沖縄県民の覚悟と英知に心から敬意を表します。

佐藤 学

1958年東京都出身。早稲田大学、米国ピッツバーグ大学を経て2002年政治学博士号取得(中央大学)。同年以来、沖縄国際大学法学部教授。専攻は地方政治、米政治。