【論文】維新政治の本質―その支持層についての一考察―

  • 冨田 宏治(とみだ こうじ)
    関西学院大学法学部教授

2018年12月12日

月刊『住民と自治』 2018年11月号 より


維新政治の本質とは、大阪に広がる貧困と格差を「分断」へと転化させ、中堅サラリーマン層の弱者への憎悪の感情を組織化し、その「分断」を固定化したものだったのではないでしょうか。

「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」

維新政治の本質について考察する本稿の冒頭に、長谷川豊氏のこのおぞましくも衝撃的な発言を掲げることにしましょう。長谷川豊氏といえば、フジテレビの局アナからフリーランスになり、この発言を表題に掲げたブログ記事(2016年9月19日付)の炎上をきっかけにテレビの世界から姿を消しました。しかし翌年10月、衆議院議員総選挙に日本維新の会の公認候補として、千葉一区および比例南関東ブロックから立候補し、みじめな敗北を喫したことは記憶に新しいところです。

本稿の冒頭になぜこの発言なのか。それはいうまでもなく、「人工透析患者を殺せ」というこのおぞましい発言こそが、維新政治の本質を何よりも雄弁に物語っているからです。千葉一区では、1万5000票余りの得票で供託金没収に終わった長谷川豊氏でしたが、大阪をはじめ各地の多くの維新支持者がこの発言に喝采を送ったことは間違いありません。長谷川氏が大阪府内の選挙区に立っていれば、当選していた可能性も否定できません。いかなる人びとが、どのような思いから、このような発言に喝采を送り、このようなおぞましい発言をする人物を公認候補として押し立てる「維新の会」なる勢力を支持するのでしょうか。そしてその背景には、維新政治が跋扈する大阪という街のどのような現実が横たわっているのでしょうか。本稿の課題は、このような問いに答えながら、維新政治の本質に迫っていくためのささやかな試みにほかなりません。

維新支持層のメンタリティー

最初に、冒頭に掲げた長谷川豊氏の発言を手掛かりに、こうした発言に喝采を送り、こうした人物を公認して憚らない「維新の会」を支持する維新支持層とは、いかなる人びとなのかについて考えてみたいと思います。

維新支持層については、橋下徹氏が自ら語った「ふわっとした民意」といったイメージや、ある種の都市伝説と化した「格差に喘ぐ若年貧困層」の支持という幻想が、いまだ払拭されきれていないように思います。しかし冒頭の長谷川発言からは、こうした発言に共感し、喝采を送る維新支持層の現実の姿が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

そこに浮かび上がってくるのは、「格差に喘ぐ若年貧困層」などでは決してなく、税や社会保険などの公的負担への負担感を重く感じつつ、それに見合う公的サービスの恩恵を受けられない不満と、自分たちとは逆に公的負担を負うことなくもっぱら福祉、医療などの公的サービスの恩恵を受けている「貧乏人」や「年寄り」や「病人」への激しい怨嗟や憎悪に身を焦がす「勝ち組」・中堅サラリーマン層の姿にほかなりません。

彼らの思いを理念型的に描き出してみましょう。

彼らは、大阪都心のタワーマンションか郊外の戸建て住宅に暮らし、かなりの額の税金、社会保険料、介護保険料、年金などを負担しながら、医療、子育て、福祉などの公的サービスの恩恵を受ける機会は必ずしも多くありません。彼らは日頃からジョギング、アスレチック・ジムなどで体を鍛え、有機野菜や減塩レシピなど健康に留意した食生活を送っており、医療機関にお世話にならないよう自己管理を怠りません。ですから、飲酒や健康によくない食生活など自堕落な生活の果てに自己責任で病気になった「自業自得の人工透析患者」たちが、もっぱら自分たちの負担している健康保険によって保険診療を受け、実費負担を免れていることに強い不満と敵意、さらには怨嗟や憎悪すら抱いています。だいたい大阪の街の「地べた」にへばりつくように住んでいる、「年寄り」「病人」「貧乏人」は、税金も、社会保険料も、介護保険料も、年金もほとんど負担することなく、もっぱら彼らの負担した税金、保険料、年金をシロアリのように食いつぶしつづけています。さらにそれを管理する公務員たちも、高給を取るばかりか、さまざまな無駄遣いや不正を働きながら、労働組合運動まで行なって、この食いつぶしに加担しています。少子高齢化による医療、福祉への公的負担の激増により国や府の財政危機が進むなか、このままでは日本は滅びかねません。そうしたなか、「身を切る改革」と「官から民へ」のスローガンを掲げ、自己責任と市場原理主義にしたがって、閉塞した現在のシステムを打ち壊そうとしてくれている「維新の会」は、自分たちが希望を託せる唯一無二の改革勢力にほかならない、といったようなところでしょうか。

こうして見てみると、「勝ち組」・中堅サラリーマン層が、長谷川豊氏のおぞましい発言に共感し、こうした人物を候補に担ぐ「維新の会」を熱烈に支持する感情も、(決して同意できないとしても)理解不能ではありません。長谷川豊氏のおぞましい発言は、「ふわっとした民意」とか「格差に喘ぐ若年貧困層」の現状打破の期待とか、いろいろと語られてきた維新支持層の実態が、こうした議論とはかなりかけ離れたものであることにあらためて光をあててくれたのではないかと思います。

こうした維新支持層の登場は、大阪における貧困と格差の拡大が、「勝ち組」・中堅サラリーマン層と「年寄り」「貧乏人」「病人」といった社会的弱者=「負け組」とのあいだのあからさまな「分断」へと至っていることを現しているのです。

大阪における格差と「分断」

問題は、なぜもっぱら大阪の街において、このような感情をもった維新支持層が多数現れるに至ったかということでしょう。

写真は、この点について、重要なヒントを与えてくれます。大阪市内に林立する高層タワーマンションとその真下の「地べた」にいまだ残存している文化住宅とのコントラストです。坪300万円超の新築高層タワーマンションが即日完売するという大阪市内ですが、その足元には相変わらず長屋タイプの木造家屋が残され、そこには「年寄り」や「貧乏人」のささやかな暮らしが現に営まれています。筆者の暮らす都島区では、都島自治体学校の取り組みのなかで、高層タワーマンションと文化住宅が隣接する地域では、下水道整備がおろそかにされているため、大雨が降ると「地べた」の長屋のトイレが逆噴射するという事態が報告されています。

高層タワーマンションとその真下の文化住宅
高層タワーマンションとその真下の文化住宅

大阪の街では、小泉構造改革以来拡大しつづけてきた貧困と格差が、まさにこのような目に見えるかたちで展開しているのです。貧困と格差のコントラストをここまで明白に見ることのできる街は大阪以外にはないのかもしれません。

先に述べたように大阪市内の都心部では坪300万円超の高層タワーマンションが即日完売するそうです。しかしその一方で、深刻な貧困の実態も報告されています。とりわけ大阪府の子どもの貧困率は、2012年のデータに基づく山形大学・戸室健作准教授の分析によれば、21・8%(全国平均13・8%)と沖縄県につづいて全国ワースト2となっています。大阪府が2018年4月に発表した「子どもの生活に関する実態調査」の結果についての大阪社会保障推進協議会による分析からも、“学校のない日に昼ご飯を食べられない子ども”が全体の約20%に上っていることも報告されています(『子どもの貧困を考えるネットワークニュース』2018年2月号)。こうした子どもの貧困が、母子家庭の貧困をはじめ、大人の貧困の反映であることはいうまでもありません。

子どもの貧困は、学校現場の荒廃や学力低下の問題にもつながっています。2018年春の全国学力テストの結果、大阪市が小中共に2年連続で政令市中の最下位になったのもその現れでしょう。吉村洋文市長は、この責任を現場教師に転嫁して、学力テストの結果を「校長や教員の人事評価とボーナスに反映させる」との暴言を吐き、物議を醸しています。しかしこれは、大阪の子どもたちが抱えている貧困に由来するさまざまな困難に目を閉ざす物言いでしかありません。

しかし問題は、こうした貧困と格差の拡大が、どうして維新支持層の感情に見られるような「分断」へとつながっているのかということでしょう。

その原因はいろいろと考えられると思いますが、もっとも大きな要因は、すでに見たような大阪特有の貧困と格差のコントラストでしょう。だれもがいや応なく貧困と格差の存在を意識せざるを得ないような明白なコントラストが大阪の街を覆っているのです。高層タワーマンションや郊外の戸建て住宅に住む維新支持層は、日々、「地べた」に住む「年寄り」「貧乏人」「病人」の貧しい暮らしを目にし、さげすみのまなざしをもって見くだしています。しかし企業内外に展開する激しい生き残り競争にさらされている彼らは、一つ下手を打てば、文字通り「地べた」の生活に転落しかねない不安定さを抱えているのです。こうした不安定さと「負け組」へのさげすみが相まったとき、社会的弱者への同情や共感ではなく、激しい敵意や憎悪が現れるのです。それは、米トランプ大統領を支持する白人労働者層が、黒人やヒスパニック、さらには移民に抱いているとされる排除と排斥の感情とも共通するものです。維新政治とトランプ政治を、「不寛容なポピュリズム」という本質を共有するものとしてくくることのできる所以はここにあります。

そして維新支持層の多くは、大阪の街に必ずしも強い愛着を抱いているわけではなく、「地べた」に暮らす貧困層や高齢者層とのあいだに地縁的な感情的絆をほとんど持ち合わせていないという点も指摘できるでしょう。痩せても枯れても日本第二の経済都市である大阪には、東京に本社を置く大企業の中堅サラリーマン層が全国から大量に赴任してきています。大阪の住民であるからといって、大阪の街に特別の愛着があるわけではないのです。大阪市の廃止をこそ本質とした「大阪都構想」は、「大阪市をなくさんといて!」という市民の声によって阻止されてきましたが、維新支持者にとって、「大阪市」はどうしても守り抜かれなければならないものではないのです。

最後に、こうした「勝ち組」・中堅サラリーマン層の感情を、希代のポピュリストというべき橋下徹氏が徹底的に煽り、怨嗟や憎悪へと転化させてしまったことも忘れてはならないでしょう。

分断の固定化

維新政治は、新自由主義的・市場原理主義的な政策を「身を切る改革」「官から民へ」のスローガンのもとで強行し、自らを生み出す条件となった大阪における貧困と格差をいっそう深刻化させてきました。また維新政治の一丁目一番地ともいうべき「大阪都構想」の住民投票も含め、府知事選、大阪市長選、堺市長選、その他の地方選、さらには衆参の国政選挙にくり返し挑むなかで、この「分断」を固定化し、維新支持層を強固に組織化してきたのです。この辺りの事情については、他稿でも論じてきたとおりです(『初歩から分かる総合区・特別区・合区』、自治体研究社、2017年7月、第一章などを参照)。

さて、全国政党としての「日本維新の会」と「維新の党」は、「大阪維新の会」を中核としながら、「太陽の党」や「結の党」などとの合併・分裂をくり返しつつ、現在に至っています。その比例得票は、2012年衆院選で1226万票、2013年参院選で636万票、2014年衆院選で838万票、2016年参院選で513万票、2017年衆院選では339万票と軒並み減少し、いまや全国政党としての衰退は目を覆いたくなるようなありさまです。

しかし問題は、大阪における得票の推移です。2014年衆院選と2017年衆院選とあいだには、市民と野党の共闘をめぐって大きな政治情勢の変化がありました。にもかかわらず、「維新の会」は大阪府内の各選挙区で、判で押したように同様な得票数をたたき出しているのです。少なくとも大阪府下に関する限り、維新の支持は減退していません。

衆院選挙区における維新の得票
表 衆院選挙区における維新の得票
(※は含守口市・門真市)

※「当」は当選を示す。
出典:大阪府選挙管理委員会ホームページから筆者作成。http://www.pref.osaka.lg.jp/senkan/date/index.html

政党間の配置の変化にもかかわらず、同様の得票をたたき出す。ここに維新政治が貧困と格差による「分断」を固定化し、「勝ち組」・中堅サラリーマン層を維新支持層として強固に組織化した実態が明確に姿を顕わしています。

大阪府下を中心に百数十人にのぼる地方議員を擁し、彼らに毎日数百本の電話というノルマを課す。こうした「モンスター的集票マシン」と化した「維新の会」の下、維新支持層は組織化され、固定化されてきたのです。

維新政治の本質は、冒頭の長谷川豊氏のおぞましい発言に見られるような、「勝ち組」・中堅サラリーマン層の怨嗟と憎悪の感情を煽り立て、大阪の街に広がる貧困と格差を「分断」へと転化させ、それを固定化するものにほかなりませんでした。こうした「維新政治」といかにして対峙すべきか、その問いは本稿の課題を超えています。他日に期したいと思います。

2018年12月12日

月刊『住民と自治』 2018年11月号 より

  • 冨田 宏治
    冨田 宏治(とみだ こうじ)
    関西学院大学法学部教授

    名古屋大学法学部卒。名古屋大学法学部助手、関西学院大学法学部専任講師、助教授を経て、1999年から現職。日本政治思想史専攻。

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