【論文】軍部化する自衛隊の現状と陸上イージス配備


安倍晋三内閣による集団的自衛権行使の決定(2014年7月)、安保関連法の強行可決(2015年9月)によって、自衛隊の〝暴走〟が始まった。もはや現行の文民統制では歯止めがかからなくなっている。安倍首相が繰り返す東アジア地域の緊張激化を口実に、先に公表された2019年度の防衛予算(概算要求)も5兆3000億円に達する。地域社会の活性化、被災地の早期復興、高齢化社会に対応する社会福祉の充実など、課題山積にもかかわらず、いうところの安全保障への対応を最優先する予算編成そのものが、現在の歪んだ日本政府の姿勢を示している。戦後最高額の防衛予算の下で変貌する自衛隊の現状を中心に紙幅の許す限り触れておきたい。

自民党改憲案と自衛隊

自衛隊の暴走の起点は一体どこにあったのか。その一つが自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年7月24日公表)に示された「国防軍」の創設であろう。とくに第2次安倍晋三内閣成立以後、国防軍創設に向けた動きが活発となる。その背景には、安倍首相が戦前政治への回帰を志向し、戦後憲法をないがしろにすると同時に対米自立志向と、それを物理的に担保する「国防軍」創設への意欲を露骨に見せ始めたからである。

そうしたもくろみは、安倍首相自身が抱く国際政治への受け止め方にも深く関連している。すなわち、安倍首相は、国際政治が依然として力の論理、すなわち力と力の対立と対決を特徴とする冷戦システムで動いている、と思い込んでいるようだ。あまりにも戦略性を欠いた視野狭窄の視点である。

「国防軍」創設意図の深層には、安倍首相自身の内にある国家主義の思想があるようだ。短・中期的には、日米安保体制強化による軍事同盟路線を踏襲するとしても、同時に独自の軍事力を構成して独立国家としての体裁を整えたい、とする欲求が潜在している。

自民党が結党以来、一貫して追求してきた自主憲法制定の動きは、現行憲法がアメリカに「押し付けられた」憲法であり、独立国家日本にはふさわしくない、とする認識がある。当面はアメリカと協調しつつも、そのアメリカに「押し付けられた」憲法を放棄し、自らの手で自主憲法を制定することが、真の独立国家へと脱皮する必然とする、かたくなな姿勢を崩そうとしない。

こうした政府および自民党の動きに、当のアメリカはとくに国務省を中心にして警戒感を隠していない。自衛隊が果たすアメリカ軍を補完する役割を、そのまま「国防軍」が担うのかについて、その創設意図からして疑問視しているのである。その点を憂慮する一群も、自民党内には確かに存在する。これら党内外のせめぎ合いは、水面下で現在でも続いていると思われる。2018年9月の自民党総裁選は安倍晋三対石破茂との一騎打ちの格好となったが、自衛隊国軍化への道筋を最初に着けようとしたのはほかでもなく石破であったことを考えると、どちらも似たり寄ったりである。

ただし、安倍首相などがもくろむように、自衛隊の国防軍化は一気呵成に事は運ぶことは困難となっている。自民党内にこの点で意志一致ができているわけでないからである。その理由は国民の反発を回避したい思惑と同時に、先に触れたようにアメリカが自衛隊の国防軍化に必ずしも好意的でないからである。アメリカは安倍政権を両刃の剣と捉えているのだ。そうしたアメリカの姿勢を踏まえて、安倍首相が唐突とも受け取れる形で表明したのが、現行憲法第9条に「9条の2」を入れ込むことである。9条の1項と2項はそのまま保持し、自衛隊を別建てで入れ込もうとする姑息な改憲案だ。

「新軍部」の成立の現段階

「国防軍」創設計画が安倍政権下で確実に具体化されつつある。それは戦前の軍部に代わる戦後版の軍部、すなわち〝新軍部〟の成立過程と称しても良いよう危険な事態である。それを決定づけたのが防衛省設置法第12条の改正である。それまでの条文内容は、防衛大臣を補佐する背広組(文官)と制服組(武官)の役割において、文官の優位性を明確にした内容であった。これは、旧日本軍において軍部が統帥権独立制度を盾にとって政治介入し、やがて軍部主導の政治体制が創られてしまったことを教訓としたものである。

防衛大臣を直接補佐する内局の防衛次官・官房長・局長らが所掌を超えて大臣を直接補佐する参事官を兼ねる防衛参事官制度は、いわゆる日本型文民統制であり、これを文官統制と呼んできた(傍点筆者)。2009年6月3日に公布された「防衛省設置法等の一部を改正する法律」(法律第44号)において、防衛参事官制度を廃止することが盛り込まれ、同年8月1日に施行された。また、今回の防衛省設置法第12条改正案は、2015年6月10日に参議院本会議で可決成立している。制服組は文官統制を事実上廃止しただけでは飽き足らず、制服組と背広組とが防衛大臣の下ではまったく対等・同格の存在として法制化するに及んだ、とするのが事の真相である。文字通り、文民統制の基本原理である文民優越を否定したのである。

防衛大臣も背広組の意見を聴取することなく、直接に各幕僚長に部隊運用を含めて直接指示が出せることになる。防衛大臣の権限の強化ともいえるが、政治家である防衛大臣であってみれば、事実上背広組の判断に一任するケースも多くなり、制服組に対する政治統制も効かなくなることも十分にあり得る。その反面で制服組の要求や判断が独り歩きする危険性も出てこよう。

そこでは内局の官房長・局長(背広組)が、防衛大臣の行う幕僚長(制服組)への「指示」、「承認」、「一般的監督」に関して補佐するという仕組みである。つまり、内局の文官が防衛大臣の行う幕僚長に対する指示・監督などを「補佐」という形で実質的には、防衛大臣に代わって実行していたのである。ところが改正案では、この大臣への補佐を二つに分けて、内局の文官の補佐は「政策的見地」からのものに限定し、「軍事専門的見地」からの補佐は制服である幕僚長に一元化する、というものであった。

さらには、自衛隊部隊の運用に関しては、文官が介入する余地をそいだ格好となっている。これでは、自衛隊の運用や軍事知識が十分でない文民の首相や防衛大臣が、制服組の意向に沿った形で判断を下すことになってしまう恐れがある。それゆえに、これまではそのノウハウを持つ防衛官僚(文官)が制服組より優位な位置を占めて、これを統制することが合理的である、と考えられできたのである。それが完全に否定された。そのことが〝新軍部〟成立と呼ぶにふさわしい制度改正であり、ここに日本の文民統制は事実上崩壊したとさえいっても過言ではない。

さらにいえば、2018年8月末に公表された『防衛白書』も、そして同年の年末に公表が予定されている「防衛計画の大綱」、またそれと抱き合わせの格好で公表が予測される自衛隊の「統合防衛戦略」も極めて注目される文章である。後者は、2014年度段階ですでに策定済みであるが、公表が一貫して見送られてきた。それは自衛隊とアメリカ軍の共同作戦構想を扱った公文書であり、公表されれば自衛隊史初の出来事となる。

こうした一連の文書はすでに大枠では明らかとなっているが、防衛大綱の見直しと連動して検討されている国家安保戦略の策定問題をも含め、この国は再び非常に柔軟性を欠いた21世紀型軍事国家として変貌しようとしていることは間違いない。国家防衛を口実にして、それでは市民社会の軍事化が進行していけば、戦争自体がたとえ起きずとも、自由・自治・自律の精神と思想に裏打ちされたわたしたちの市民社会は、根底から音を立て崩れゆくであろう。

着々と進む文官と武官の対等化

以上の制度改編のなかで、自衛隊統制の制度であった文民統制が形骸化していると指摘したが、戦後日本の文民統制は、国会統制や内閣統制が効いているという建前で自衛隊組織の正当性や組織強化を図ってきた。そこでは、文民統制という周知の制度でありながら、実際にはある種の概念以上のものではなく、現実的に自衛隊統制には文官統制のシステムを起動させることによって、統制の実を挙げてきたのが実情であった。

この文官統制が従来から文民統制としての機能を事実上果たしてきた(傍点筆者)。この点からいえば、国会統制や内閣統制が健全に機能するのであれば、文官統制が事実上廃止されたとしても、広義の意味における文民統制が、それだけで形骸化されるわけではない。しかし、国会統制も内閣統制もこれまで必ずしも文民統制としての実を挙げてきたわけでもなかっただけに、文官統制が十分に機能することで、日本の文民統制が存立し得た。

背広組と制服組とのせめぎ合いは、いまに始まったことではない。その第一幕は、1997年6月、橋本龍太郎首相時代に制服組に国会や他省庁との連絡を禁じる「事務調整訓令」が廃止されたことにより、政治家と自衛官との接触や交渉が解禁となり、さらには、2004年6月16日の防衛参事官制度廃止への動きが活発化していった。

それは、石破茂防衛庁長官(当時)をはじめ、防衛庁内部部局の主だったメンバーと、統合幕僚会議議長を筆頭とする制服組の主だった幹部たちが一堂に会する場で、出席者の一人である古庄幸一海幕長(当時)が、「統合運用体制への移行に際しての長官補佐体制」と題する文書を示し、背広組が制服組を統制する日本型文民統制の見直しを迫ったのである。

海幕長は、日本型文民統制そのものである参事官制度を事実上廃止し、さらには防衛庁背広組のトップである防衛事務次官が持つ自衛隊に対する監督権限を削除し、新設の統合幕僚監部の長が担うとする要求を出したのである。文民でもある防衛事務次官の監督権限削除要求は、文官統制だけでなく、文民による統制を排除しようとするものであった。

制服組と背広組とのせめぎ合いの、いわば第二幕として、2008年12月22日に防衛省は、省改革・組織改編のため、「22年度における防衛省組織改革に関する基本的考え方」をまとめた。それによると、防衛政策局を「文官と自衛官を混合させる組織」として拡充すること、運用企画局を廃止して、自衛隊の運用に関する権限を統合幕僚幹部に集約すること、内局と陸海空三自衛隊に跨っている防衛力整備部門を統合することなどが挙げられている。こうして、2009年6月3日、文官統制の根拠とされた防衛参事官制度の廃止や、これまで法律上明記されてこなかった防衛大臣補佐官の新設などの改正が打ち出された。

以上の経緯で、決定的であったのが既述の防衛省設置法第12条の改正案の提出ということになる。第12条の改正案は、2015年6月10日、参議院本会議の場で賛成154票、反対77票で可決成立した。この結果、背広組と制服組のせめぎ合いは、最終的には制服組の権限強化を担保する法システムの立ち上げの結果に終わった。文民統制の原則がほごにされ、文官・武官の事実上の対等化が図られたのである。

陸上イージス配備と住民自治

現在、秋田県新屋地区と山口県萩市むつみ地区とに配備計画が持ち上がっている陸上イージス配備問題は、日米同盟の本質を極めて具体的に示す事例である。すなわち、配備の背景にはアメリカ軍産複合体の強い要請がトランプ政権に突き付けられている現実がある。長期的には減速が明らかなアメリカの産業界にあって、依然として活発化しているのは軍需産業界であり、アメリカの産業はこの軍需産業が主役を演じているのが実態だ。

そのアメリカは中国や北朝鮮の〝脅威〟を口実にして日米同盟の深化を謳い、その証明として日本が対中国・対北朝鮮の最前線として武装大国化を容認する。それを担保するために日本に向けて高価な武器を売りつけているのだ。本当に中国と北朝鮮が脅威なのか、朝鮮半島情勢の変容を前向きに受け止め、緊張緩和に日本も主体的に乗り出すべきときに、その努力を怠ったまま、アメリカの要請に唯々諾々と従う日本の没主体的な外交防衛政策をあきれてばかりはいられない。

アメリカが主導するイージス弾道ミサイル防衛システム(イージスBNDNシステム)に完全に取り込まれている日本では、現在海上自衛隊が配備するイージス艦に搭載されているが、その陸上版が陸上イージスである。現時点で明らかになっている運用経費は2基分でおよそ4664億円、基地施設建築費などを加えると1兆円近い莫大な予算が必要となる。

陸上イージス導入計画の背後には、アメリカの軍需産業や日米同盟の問題に加え、陸上自衛隊内にも海自のイージス艦、空自のPAC3など高度技術のミサイルシステムをも整備したい、とする陸自内の競争心も手伝って、その軍事的実用性への疑問が軍事専門家から提出されているにもかかわらず、かなり強硬に進められてきた経緯がある。

防衛省は、導入予定地域の住民の反発を受けて、近々ではこの二地区以外にも配備を検討中と不確定要素を多分に含んだ情報を意図的に流し始めている。これは導入予定地区住民の反発を回避する狡猾な情報操作といえる。そこまでして莫大な予算を投入し、軍事的実効性に疑義のあるミサイルシステムを導入するかについて、今後日本の安全保障を真剣に考えるなかで批判的に議論を進めていく必要がある。そこでまず優先されるべきは、住民の自由・自治・自立を阻害してはならない、という民主主義社会の基本原理である。陸上イージス導入問題は、まさにこの基本原理を封殺する反民主主義の行為である。住民の自治を剥奪しようとする国家が、本当に国民・住民の安全を保障するとは到底思われない。

小論で述べてきたように、安倍政権下で押し進められる新たな軍事化が、結局は戦前と同様に、住民の自治を奪うものであることを、わたしたちは確りと肝に銘じるべきであろう。

纐纈 厚

1951年岐阜県生まれ。一橋大学社会学研究科修了。山口大学名誉教授・元理事兼副学長。著書に『暴走する自衛隊』筑摩書房・新書、2016年。『権力者たちの罠』社会評論社、2017年など多数。