【インタビュー】原子力に依存しないエネルギーを自分たちの手で―会津電力の取り組み―


酒造会社代表が会津電力社長に

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佐藤さんは、2011年東京電力福島第一原発の事故に遭遇した福島の人たちが、原子力に依存しないエネルギーを自分たちでつくりだそうとする運動の中心になり、2013年会津電力株式会社(以下、会津電力)の設立にあたって代表取締役に就かれました。大和川酒造店という酒蔵会社の当主でありながら、なぜ電力会社を立ち上げたのか。会津電力だけではなく福島県内各地、飯舘電力株式会社(以下、飯舘電力)など再生可能エネルギー会社設立に関与することになった経緯からお聞かせください。

佐藤

わたしは福島県喜多方市の造り酒屋の9代目です。大和川酒造店は1790年(寛政2年)に創業して、228年目です。喜多方は会津盆地にあって、先代、先々代からここはいいところで自給自足ができる、よそからなにひとつものを持ってこなくても生きていける場所だと教わってきました。

会津盆地は、南北に約34㌔㍍、東西に約13㌔㍍。四方が山に囲まれて水が周囲から来ます。海抜200㍍ですからあらゆる農産物がとれます。東西南北に歩いて行く先には山があって、春は山菜、秋はキノコがとれます。山には森林資源があって、山で炭にして持って来ることができます。まさに自然エネルギーがあり、昔はコメもムギもダイズもつくっていました。それから酒です。コメはいい酒になるし、ムギとダイズで味噌、醤油をつくっていました。昔はエネルギーと食料を地元で賄っていたところ。豊かな歴史を重ねて生きてきた場所です。そういうところだから、大事にして、次の世代にもちゃんと渡していきなさいと教えられてきたんです。

そういうすばらしい環境をさらに次の世代に渡していかなければいけないと思っていたところだったんですが、2011年3月、東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故がおきました。

あのときの恐怖は忘れられません。風が南東から吹いて、北西の方向に流れていったんです。東京の人は運がよくて避難するほどの放射性物質は行かなかったんですが、残念ながら、福島県浪江町や飯舘村に高い濃度の放射性物質が落ちました。原発のお金と全然関係ない飯舘村にもいきなり放射性物質が落ちてきて、雪と雨で張り付いて住めなくなりました。農地もだめだし、水もだめ、空間放射線量が高くて全村避難を余儀なくされました。もしこの放射性物質が会津に降ったら、代々やってきた酒屋もだめになるし、農業もみんなだめになると思いました。原発事故はいままで人間社会のなかでおきてきた事件や事故をはるかに超えるものです。地域の全歴史を無にしてしまいました。

原発は安全安心といっておきながら、ふたをあけてみたらまったくうそだらけです。強力な力でお金をばらまいて電力会社が地域をおさえてきたのが見えました。これじゃだめだという反省の上に立って、エネルギー、環境のありかたについてみんなで地域の勉強会をやってきました。

2013年環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さんたちとヨーロッパに勉強に行きました。旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所事故のあと、ヨーロッパでは再生可能エネルギーの技術とその利用が日本よりはるかに進んでいるわけです。ヨーロッパではエネルギーを利用した地域づくりをしていました。日本は完全に国と電力会社にだまされていたと気づきました。いろいろ勉強して、2011年の東日本大震災の約2年半後の2013年8月に会津電力を立ち上げました。

会津の発電能力は十分にある

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福島は原発で有名になってしまいましたが、もともと水力発電量が非常に多いですね。

佐藤

津波のときに海外のメディアは、暴動を起こさない規律正しい日本人なんて書いていましたけど、みんなおろおろして何もできない日本人だったんですよ。国のいうことを聞けばなんとかなるだろう、県のいうこと、役場のいうことを聞けばなんとかなるし、国や県がやってくれるという考えがしみついていました。

これではだめだ。自分たちの電気くらい、自分たちでつくろうと勉強を始めました。計算してみると、福島県全体でそのころに使っていた電気が154万㌔㍗。約200万(現在は約190万)人の福島県民のうち会津は27万人で約7分の1ですから、電気も25万㌔㍗あれば間に合います。福島県は猪苗代湖や只見川・阿賀川水系で約500万㌔㍗の発電力があります。原発の最大発電量は1基で100万㌔㍗なので、原発5基分に相当する発電力になるんです。

福島県の電気は原発なんかに頼らなくても水力で賄えます。ましてや会津の人口全部をオール電化で賄っても水力発電能力の20分の1で間に合うのに、電力会社にとられてしまって使えません。電気の売り上げは電力会社がごっそり持って行きます。1㌔㍗10円で計算しても、3100億円くらいになります。いまは電気が余っているわけですから、会津に返してくれたらいいのに奪われています。売り上げは全部持って行って、地元自治体に落とすのは、ほんの少しの固定資産税と電源三法交付金しかありません。

福島の県内総生産のうち会津は8000億円弱です。単年度の一般会計予算は喜多方市が250億円、会津若松市が400億円で、会津の17市町村を合計しても一般会計予算は1000億円に満たないのです。特別会計を入れてもその倍くらいです。でも、一番大事な水を電力会社にみんな持って行かれてしまいます。

自治体や地域の銀行も共同出資

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自分たちの力で再生可能エネルギー会社を立ち上げようというときに地元の人たちの受け止め方はどうでしたか。

佐藤

当初、自治体も銀行も再生可能エネルギーの話はわからなかったけれど、原発事故後は経済産業省も固定価格買取制度を進めてくれたおかげで、わたしたちもそれに乗りました。会津の17市町村のうち8つに出資してもらいました。金融機関では東邦銀行、大東銀行、福島銀行、会津信用金庫、会津商工信用組合も出資してくれて、会津の全地元金融機関が出資してくれました。地元の上場している会社も中小の社長も含め44人が出資してくれました。

資本金も1億円を超えるほど集まりましたが、1億円を超えると税法上の大会社扱いになってしまうので、多い分は資本準備金として置いておいて資本金は4100万円にしました。間もなく会津の17市町村すべてが入る方向ですが、わたしたちの会社はいわゆる第三セクターとは違って、民間の電力会社に自治体が参加・出資する逆の形になっています。

会津電力は公益的株式会社と思っています。協同組合型でやればいいかもしれません。金もうけの論理が入ってきているからおかしくならないように、僕らだけでなくてみんなでやるのがいいということです。利益追求の株式会社ではなく、公益的、共有的な会社です。ただ、原発はもうぜったいだめです。

佐藤彌右衛門 会津電力株式会社代表取締役社長
佐藤彌右衛門 会津電力株式会社代表取締役社長

地酒づくりと再生可能エネルギー

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エネルギーの地産地消をどう見ていますか。

佐藤

目標は、地産地消で会津をもう一回見直し、まずは自治力をつけることです。そのために必要な費用を自分たちで稼ぐことです。いまの地方自治体でお金がかかるのは厚生関係です。お金の面でみると、自治体が250億円の予算を組んでも、税収は5分の1の50億円くらいしかありません。独自の税収が少ないわけですから、村で1割自治もなく、町で2割自治、市で3割自治にも満たないのが現状です。地方交付税交付金でやっとまわっています。地域の経済もそんな感じで、まちには郊外型の量販店がならんでいて、富が地域に回って来ません。そういう状態を転換しないと自治体の自治力はだめになると思っています。

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受け身ではエネルギーの地産地消はできないということですね。

佐藤

最近は電力会社も守り一本になってきました。行政だけでなく住民もそうなっています。いままで原発と石油エネルギーでいけるということでしたから、自治体で再生可能エネルギーを考えているところはほぼ皆無といえます。要するに経済も政治も「公」はみんな一緒で、あれをやっちゃだめ、これをやっちゃだめ。「民間」のほうがいいとなってしまいます。自分たちでやればできるのに、「だれか」に依存してしまっているという、立ちんぼの日本人ですね。

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地酒づくりと再生可能エネルギー事業に共通する点を教えてください。

佐藤

地酒づくりは、昔は自分の井戸で水をくみ上げて、地元のコメを使って地元の人たちが作っていました。明治の出稼ぎ労働のころに杜氏集団が地酒づくりに入ったこともありますが、いまはもとに戻っています。火力は山の木と炭を使い、水車をまわして動力にしてきねをつきました。地酒は、自分のところの豊富な資源でつくるものです。

会津電力の理念は「地域内で資金を循環させ、地域の自立を実現すること」です。そして「少なくとも10年内に県内のエネルギーを再生可能なエネルギーのみで供給する体制をつくりあげる」という目的の下に「原子力に依存しない安全で持続可能な再生可能エネルギーの普及とその事業をおこない、 同時に地域の資源を利用した多様な地域分散型エネルギーの創造と、その提供を通じて地域の経済や地域文化の自立に向けた地域社会の創造」を事業とすることにしています。

両方とも、自分たちの力で地域の資源・エネルギーを使っていること、そして地域の自立を目指しています。

ソーラーシェアリングで飯舘村の畜産再開

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会津電力の現在の体制と事業について教えてください。

佐藤

会津電力の現在のスタッフは役員を含めて10人です。関連会社の会津太陽光発電株式会社には12人いるので、5年目で総勢22人です。もともと勉強会を経て始まったので、わたしがスカウトした人はほとんどいません。みんな自分から志願した人たちです。いまでこそ求人はしていますけれど、設立時は募集しませんでした。

出資といっても風力だけでも3基で40億円くらいかかりますから、主に銀行が出してくれて、3年目からは配当金を出しています。配当金を出すことでさらに地域の資源が増えます。

飯舘村は放射能汚染で農地がほぼ使えなくなりましたが、そのときに、発電ならできるということで、畜産をやっていた人が飯舘電力の代表になりました。いまはまた畜産をやりたいというので、代表からはなれましたが、ソーラーシェアリングといって、太陽光発電を行う設備を置きながら営農をするんです。ソーラーシェアリングによる飯舘牛の生産は飯舘電力設立当初からの願いであり、飯舘村の復興に寄与すると思います。2019年秋には、飯舘牛が復活します。

目指すは地産地消の日本

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エネルギーを一番使っている日本の人たち、とくに東京の人たちにいっておきたいことはありませんか。

佐藤

日本は世界中に工業製品を売っているので、世界中から買えともいわれます。安い農産物が海外から日本に入るということは地方がエネルギーを買わされているということです。日本は、年間22兆円の化石燃料を海外から買っているけれど再生可能エネルギーで全部やっていけます。原発が全部止まったときも問題ありませんでした。日本は原発がないとやっていけないというのは真っ赤なうそだったんです。

政府は地方が衰えて20年後、30年後に消滅するなんていっていますが、勝手に上からストローを差し込んで地方から人や資源を奪っておいて、なにをばかなこといっているんだと思います。地方ファーストでいいんですよ。せめてエネルギーは返しなさいよといいたい。東北電力は仙台に、東京電力と電源開発は東京に奪って持って行く。こんな状態じゃしょうがない。地域で自分でやれば地域にお金が還流するんです。世界に物を売るんじゃなくて、地産地消でやっていた日本を目指すべきです。日本の豊かさを見直せといいたい。

日本の食料自給率は38%。先進国でこんな低い国はありません。天変地異が起きて電源が止まったらおしまいです。東京が大沈没したら一発でわかる。そんな不安定なところが豊かな日本であるはずがありません。わたしは、若者たちに徴兵制度ではなく、たとえば2年間ぐらい農業、林業、漁業、工業に従事する「徴農制度」を入れたらいいと思っています。そのなかで初めて自分たちに必要なこの国の形を見つけるのではないか。わたしはそう思っているんです。

(2018年12月14日、東京・四ツ谷の環境エネルギー政策研究所にて。聞き手:本誌編集部)

佐藤 彌右衛門

合資会社大和川酒造店代表社員、ジザケジャパン株式会社代表取締役会長、プロジェクト会津株式会社代表取締役副社長、全国ご当地エネルギー協会代表理事、原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟副会長