旧優生保護法の成立過程とその概要
(1)旧優生保護法時代
日本において人為的に健康な子孫を優先して残そうとする「優生政策」は、戦時中の不妊手術と中絶に関する「国民優生法」(1940年制定)からすでに始まっていた。戦後、それを原型とした「旧優生保護法(1948~96年)」が誕生した。しかし、その後「優生思想」の部分を削除した「母体保護法」(1996年~現在)が成立するまでの約50年の期間、日本では「優生政策」が存在し続けていたという事実に注目してほしい。
この法律は、F=ゴルトン(1822~1911)が1883年に提唱した「優生学(ユージェニックス)」という「人類の遺伝的素質の向上と劣悪な遺伝子を排除することを目的とする学問」の考え方(優生思想)を基盤としていた。
まさに、「旧優生保護法」の目的(第1条)には「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と掲げられている。さらに問題なのは(第3条)「医師の認定による優生手術」の第1項に、「本人の同意並びに配偶者があるときはその同意を得て……」と明記しておきながら、「但し、未成年者、精神障害、精神薄弱(筆者注・現:知的障害)に関してはその限りではない」と規定していることにある。つまり、障害児や成人した精神障害者や知的障害者には、本人の同意が無くても優生手術(以下、強制不妊手術)を認めるとした法律であった。
しかし、旧優生保護法は成立過程において、GHQから「医学的根拠への疑問」、「不妊手術の乱用のおそれ」、「人権侵害で憲法違反」、さらに、「遺伝性と証明されていない症状を含む疑念」などが多くあることを指摘された法律であった。そのため当初から、「国家が介入する障害者差別と人権侵害にもつながる強制不妊手術への懸念」が示されていた法案であった。
しかし、戦後の混乱状態のなかで復興の責任を担う立場で法案を策定した当時の日本の政治家たちは、食糧難に対応する人口抑制策として「優秀な子孫の出生を妨げる」可能性のある「避妊方法(家族計画)」の普及啓発よりも、「不良な子孫の出生を防止する優生政策」により「日本民族」の再興をめざしたのだと考えることができる。
しかし、旧優生保護法の時代に本人の同意なく実施された「強制不妊手術」に対する国の責任は重い。
(2)「旧優生保護法」の強制不妊手術実施まで
そして、旧優生保護法の時代に行われてきた強制不妊手術に関しては「不良な子孫の出生を防止する」という観点から、同法別表(第1~5号)のなかの第1号~第3号に記載されている「遺伝性精神病」・「精神分裂病(筆者注・現:統合失調症)」・「躁うつ病」・「てんかん」・「遺伝性精神薄弱」・「顕著な遺伝性精神病質(性欲異常・犯罪傾向)」に関する障害や疾患とみなされた人たちへの強制不妊手術の手続きは極めて簡単だ。
先述したように、本人の同意は必要なく、医師が対象者を発見した場合、都道府県が設置する「優生保護審査会」へ申請したのち審査(旧優生保護法第5条)を経て決定通知があれば指定医師による不妊手術の実施が可能だったのである。当然未成年者である障害児の場合には、本人ではなく親の同意があれば事足りたのであった。たとえば知的障害のある女子(未成年)の場合には、生理の処理の心配や我が子の妊娠を望まない親は、不妊手術に同意する場合がほとんどであったと考えることができる。
強制不妊手術の実態調査が始まった理由
2018年1月に宮城県に住む60代の女性が知的障害を理由に強制不妊手術を受けさせられたとして、国を相手に国家賠償請求訴訟を起こしたことが社会的な反響を呼んだ。国はそれまで、「母体保護法」以後の22年間、旧優生保護法による強制不妊手術については「当時は適法的な処置であった」としていまだに謝罪や補償もせず、その実態についても明らかにしてこなかったのである。しかし、被害者である当事者による国への提訴を受けてその後、厚生労働省も当時の実態を調査するとの見解を示した。
その結果、旧優生保護法の時代に優生(不妊)手術を受けた対象者は、旧厚生省の統計資料から約2万5000人であり、その内、約1万6500人は本人の同意のない強制不妊手術であったことが『東京新聞』2018年4月22日付で報じられている。
ようやく、国にとっては今日まで封印していたはずのパンドラの箱が開けられようとしている。
自治体の責任とは
─都道府県別の強制不妊手術の状況が意味すること─
それでは、都道府県別の調査(1949~92年)も報告されているのでその実態と責任の所在について新聞報道などを手がかりに考えてみたい。
表1をみてもらうと強制不妊手術数の合計1万6475人のうち、北海道が2600人近くで最も多く、宮城県1406人、岡山県が845人と続いている一方で、人口が集中している東京・大阪などの都市部に多いわけでもなく地域差が大きいことに気がつくと思う。
さらに、個人資料(記録)の残存状況が都道府県ごとに違っていることは都道府県ごとに記録の保存期間が異なっているために、すでに破棄されてしまっているものもあると考えられる。しかし、都道府県に強制不妊手術実施の指示を出した国は記録の有無を問わず被害者に対して謝罪と補償をすべき重い責任がある。
過去に目を閉ざしてきた国の罪と課題
最後に、表2「各国の強制不妊手術の状況」を見ながら、「旧優生保護法の罪」について考えて終わりたい。
日本と同様に、ドイツとスウェーデンにおいても、優生思想に基づく法律が存在していた。ドイツでは、ナチス政権下で「遺伝病子孫予防法(断種法)」が終戦まで存在し、「障害者の安楽死措置(T4作戦)」が医師(主に精神・神経科医)を中心に実施されていた。福祉国家スウェーデンでも、「障害を理由とする不妊手術に関する法律」が戦前から戦後の1975年まで存在していたことにショックを受けるかもしれない。人口規模を考慮するならば、両国とも強制不妊手術は日本を上回る規模で実施されていたという事実がある。
しかし、その事実が1980年から1990年代にかけて社会問題化すると、ドイツもスウェーデンも国家としてその過去の事実(罪)に向き合い被害者に対して謝罪と補償を始めたのである。日本では、再度いう、被害者である障害当事者が国を提訴するまで、「優生保護法の罪」に関して「当時は適法だった」といい逃れを22年間もし続けてきた国なのである。
今回のテーマとした「社会問題化した強制不妊手術の実態」と同様、いま、わたしたちの「内なる優生思想」なるものが、2016年の神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」での障害者殺傷事件の衝撃と同じく「過去の歴史の中で犯した罪」を直視することの意味が問われる社会のなかで生きているのだ。
いまこそ、ヴァイツゼッカー(元ドイツ大統領)の「過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」(永井清彦訳『荒れ野の40年』岩波ブックレット№55)という演説を思い出すべきときを迎えている。