【論文】権力を監視する学びの力

  • 荒井 文昭(あらい ふみあき)
    東京都立大学教員
  • 2020年11月4日
  • より

権力は、それを監視する住民がいてはじめて適正に機能します。権力を監視する学びの力を、地方自治の力によって形成していくことが今こそ求められています。

一斉休校による現場の混乱

「政府といたしましては、何よりも、子どもたちの健康・安全を第一に考え、多くの子どもたちや教職員が、日常的に長時間集まることによる感染リスクにあらかじめ備える観点から、全国全ての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週3月2日から春休みまで、臨時休業を行うよう要請します」(首相官邸HP内閣官房内閣広報室、https://www.kantei.go.jp/)。

この発言は、2020年2月27日、第15回新型コロナウイルス感染症対策本部後の安倍首相発言です。そして翌日の2月28日には、文部科学事務次官名で一斉休校を要請する通知が出されました。この「要請」によって、日本中の学校現場は情報が限られたなかで、一斉休校を迫られることとなりました。

また、この一斉休校の影響は、学童保育ほかの諸施設に波及して混乱を引き起こしました。そしてこの一斉休校は、子どもを育てている親たちの生活にさまざまな困難を引き起こすと同時に、何よりも、子どもと青年から、学校で友だちや教職員といっしょに過ごす年度末の貴重な時間を奪ったのです。

準備されるべきだった支援策

2020年3月10日に筆者が確認した時点ではすでに、ユネスコの新型コロナウイルス対応HPには、休校にした場合の弊害が9点にわたって示され、各国政府に注意喚起がうながされていました。一斉休校による弊害とは、①学習の機会が、不利な環境の子どもたちから特に奪われること、②学校給食がなくなることの悪影響、③家庭ごとのネット環境格差、④家庭の教育環境格差、⑤働いている保護者への経済的負担、⑥子どもが学校に行けないことによる医療機関への意図せぬ影響、⑦開いている一部機関に過度な負担が生じること、⑧退学率上昇の危険性が高まること、そして⑨社会的なつながりが弱くなって孤立してしまう危険性、の9点です(https://en.unesco.org/themes/education-emergencies/coronavirus-school-closures)。

学校に対して全国一斉の休校を求めるのであれば、子どもの学習権を社会で支えていくための支援策が立てられなければなりません。ユネスコも示していたように、子どもとその家族における格差拡大に対応するための社会政策、そして社会的な関係性を断ち切らないようにするための支援策などが必須となっていたのですが、それらの準備もできないままに、安倍首相の「要請」によって、学校の一斉休校だけが突然に始まってしまったのです。

9月入学制論の急浮上

準備のないまま3月から始まってしまった全国一斉休校に対して、学校再開のめどが立てられない状態がその後も続きました。そのような状況のなかで、親たちの間に子どもの学力に関する不安の声が次第に大きくなったのは当然のことでした。そして、大阪や東京では高校生たち自身から、9月入学導入を求めるネット署名がはじめられました。そのような時に、急に9月入学論がマスコミにも大きく取り上げられるようになり、文部科学省の中では導入についての検討がはじまってしまいました。東京や大阪など一部の知事たちがそろって、9月入学制導入を主張する場面も、テレビや新聞などで映し出されました。

こうした「騒ぎ」に対して、教育関係者は「もういい加減にしてくれ」という思いをもったはずです。グローバル人材育成を追求する立場から、日本にも9月入学制を導入すべきとの主張はあったとしても、それをこの緊急事態時において導入しようとすれば、ただでさえ混乱している現場の困難をより深刻なものにすることが明らかだからです。不安をかかえている子どもと親たちに、そのしわ寄せが集中していくだけであることが、容易に想像できたからです。

それにもかかわらず、一部の政治家たちや経済団体などからは9月入学制導入を求める動きが起こり、政権も一時期はその導入の可能性をさぐろうとした姿から浮かび上がったことは、危機に乗じてみずからの政治理念を実現しようとする現在の政権の姿です。

こうした危惧は、検事総長人事に政治介入することを可能とする法案を強引に通そうとした動きとも重なっているでしょう。何よりも、全国一律の休校要請を出したことに対する検証もせず、むしろそのことを棚に上げたうえで、高校生たちの不安も利用しながら9月入学制をこのタイミングで導入しようとした者たちの責任を、私たちが主権者であるならばあいまいにしてはいけません。

生活から教育課程を再編成する

あらゆる学校現場ではこれから、休校になってしまった期間に対する対応で、右往左往することにならざるを得ません。しかも、感染拡大がしばらくは波状的に起こることも予想されるなかで、対応をすることが求められています。一斉休校がもたらす弊害は、ユネスコでも当初から警鐘が鳴らされてきたことであることはすでにふれたとおりですが、早急に取られるべき対策は、現場の混乱をなんとか立て直して、子どもや親たちの不安や要望に向き合いながら、教育課程を再編成していくことです。

教育機会の均等を実現させていくためには、何らかの基準を設定することが制度としては求められますが、それを授業時数だけにしてしまうと、長期休校時には矛盾がでてしまいます。やはり、大綱的基準としての学習指導要領を参酌しながらも、それぞれの学校現場が地域の状況に応じながら教育課程を再編成していく取り組みを重ねていくことが求められます。

教育課程の再編成についていえば、すでに私たちは対応するための方向性を、東日本大震災の経験から学んできています。当時教員であった徳水博志さんは著書の中で次のように書いていました。「六月頃から雄勝小学校の管理職も『指導主事訪問を復活させることが学校復興だ』と言い始めました。形だけの形式的な学校復興が、そんなに大事なことだろうかと疑問を抱きました。(中略)なぜなら被災した目の前の子どもの実態から出発しないからです」。目の前の子どもが現実と向きあいながら「前を向く力を得て歩み出す」ことを励ます教育こそが、これから私たちが目指すべき方向性であることは明らかでしょう。「教科等横断的に精選する」ことは、日本教育学会からの提言でも述べられていることでもあります。

現場の声を取り戻す

学校の一斉休校後に教育課程の再編成をおこなっていくことや、社会教育施設などの長期閉館のあとに、住民がつどい学びあえる場を再開していくことを教育現場ごとで機動的におこなっていくためには、現場の教育職員がその中心的な役割を担うとしても、それだけではむずかしいのです。学校であれば、子どもの声に向き合い、親たちや地域住民たちの声を重ねていくことのできる協議の場をつくっていくことによって、子どもたちの心に響く教育課程の再編成を実現させていくことが可能となります。また、公民館などの社会教育施設であれば、公民館運営審議会などの取り組みが不可欠となります。一人ひとりの学びを支援していくためには、その学びを地域の状況に対応させながら機動的に支えていくことのできる、教育機関ごとの運営の仕組みが大切になってくるからです。

しかし、学校現場では2000年の学校教育法施行規則変更以降、職員会議が校長の補助機関化され、教職員が現場で声をあげていく機会は奪われ続けてきています。公民館などでも、1999年の地方分権一括法により、必置であった公民館運営審議会などは任意設置とされてしまいました。さらに、学校や公民館などの教育機関を、首長部局から一定の独立性をもって支援しているはずの教育委員会制度も、2014年の制度改定によって変えられてしまいました。すなわち、首長が教育長を直接任命することとなり、教育公務員であるはずの教育長はますます、教育現場をみることよりも、首長の意向をうかがうようになってきています。その結果、現場教育職員の声は現在、住民には届きにくくさせられています。

教育機関を再開させていくうえでは、教育職員の声を奪い続けてきた政策を転換させて、教育現場に声を取り戻すことが必要となります。しかも取り戻すべきなのは、教育職員の声だけではなく、何よりも、学習権の主体である学習者自身の声でなくてはなりません。そして、学校や公民館などの教育現場からあがってくる声に対して、市町村教育委員会は首長や議会と協力しながら、それを支援していくことが求められます。国は、自治体の取り組みを支援していく責任を負っています。

いずれにしてもこのことを実現させていくためには、子どもを含む地域住民からの、教育現場に対する「信頼」が必須となります。子どもを含む一人ひとりの住民の不安に、学校や公民館などの教育機関で働いている教育職員一人ひとりが正面から向きあうことによって、教育現場は信頼を得ていくことができるのです。さまざまな困難があるとしても、非常事態においてこそ学校や公民館、図書館、博物館や美術館などの教育機関が、子どもを含む住民一人ひとりの学ぶ権利を専門的に支援していく取り組みを、学習者といっしょになってつくりだそうとする試行錯誤が大切になってきます。筆者の職場である東京都立大学でも、試行錯誤を続けている教職員は少なくありません。

一方的に宿題を出し続けて、何らかの応答性を確保しようとする姿勢を子どもと保護者に示すことができなかったり、あるいは地域の実情や要望を考慮することなく、指示に従ってまっさきに公共施設を閉めてしまう姿勢にとどまり続けている限り、住民からの信頼を得ることは難しいでしょう。こうした状況を打開させていくためにも、学びを地域の状況に対応させながら機動的に支えていくことのできる、教育機関ごとの運営の仕組みをつくっていくことが大切になっています。

権力を監視する「不断の努力」

安倍首相は、「子どもたちの健康・安全を第一に考え」て2月27日の一斉休校を「要請」したと発言しています。しかし、この言葉に一貫性はなく、私には空疎なものとしてしか聞こえません。むしろ、子どもを感染から守ることが目的ではなく、緊急事態宣言的なものを出すこと自体が目的だったのではないかという疑念をぬぐえません。

感染拡大を防止するための施策が最優先される事態であったとしても、いやむしろ、緊急事態であるからこそ、それぞれの公共施設が担うべき役割があるのです。それぞれの現場職員の中には、何かしなければならないという思いを持って悩んでいる方々も少なくなかったはずです。ですがその悩みは、現在の教育現場の中だけにいる限り、声に出していくことは難しくなっています。学習者の声とつながることができれば、状況を変えていく糸口はみえてくるはずです。

いま現場に問われていることは、条件がないからできないということよりも、それぞれの職場での限られた条件下でも、現場職員が何をめざして、どこに時間と労力を集めていくのかということでしょう。だからこそ、まっとうな公務員を住民が支援できる仕組みが求められているのです。

その意味からは、たとえば近畿財務局職員であった故・赤木俊夫さんの手記を、私たちは決して忘れてはならないでしょう(2020年3月26日号『週刊文春』)。専門性を備えた公務員の力量と、その専門性を養成させていく仕組みが、政権によって壊されています。この政権を監視していくことが、主権者である一人ひとりの住民に、「不断の努力」として求められています。

権力を監視する学びを創りだす

短期間のうちに選択を迫られる機会が、現在は無数に起こっています。権力を監視する視点と実践がなければ、その選択の機会を逃していることにさえ気がつかないままに、ある「決定」に組み込まれていく危険性が高まっていきます。権力集中を監視しながら、同時に自由を実現させていくことが、大切な現在の課題となっているのです。

現在の危機は新型ウイルスの感染拡大によって引き起こされてはいますが、この危機をより深刻なものにしている原因は、主権者であるはずの一人ひとりの住民がその選択肢を自律的に判断していく力を身につけていくことのできる、自由な学習の場を奪われ続けてきたことにあります。教育の自由をこれまで失ってきたツケは、極めて重いと言わざるを得ませんが、それを一つひとつ取り戻そうとする実践を続けていく他はありません。

権力は、それを監視する住民がいてはじめて適正に機能します。新型ウイルス感染対策も、住民による監視があってはじめて、より適確に対応する可能性はひらけるのです。そのためにも、科学に裏づけられた資料と情報を集めて話しあう場、学びあえる環境を、主権者である住民によってつくっていくことが重要となっています。

憲法26条などが保障している住民の学ぶ権利を実現させていく砦は、学校や公民館、図書館、博物館、美術館などの教育機関であり、その教育機関を支える責任は、執行機関として存在している教育委員会が担うことになっています。権力を監視することのできる自律的な学びを実現させていくためには、この教育委員会がもつ本来の役割を発揮させていくことが求められますが、1956年に教育委員が公選制から任命制に変えられて以降その機能が働きにくくなっている現在、現場の声を取り戻していくための、教育機関ごとの協議運営組織をつくっていくことがますます重要となっているのです。権力を監視する学びの力を、住民一人ひとりが身につけていける学びの環境をつくっていくためには、教育における地方自治のあり方が焦点となってくるのです。

【注】

  • 1 徳水博志『震災と向き合う子どもたち─心のケアと地域づくりの記録』新日本出版社、2018年、25ページ
  • 2 日本教育学会「9月入学・始業制」問題検討特別委員会「提言 9月入学よりも、いま本当に必要な取り組みを─より質の高い教育を目指す改革へ─」2020年5月22日、25ページなど
  • 3 Yuval Noah Harari, the world after coronavirus, Financial Times HP, March 20 2020

※小論は、NPO法人多摩住民自治研究所『緑の風』2020年4月号に掲載した「『一斉休校』要請をめぐる問題点」を大幅に加筆修正したものです。多摩研HPも参照願います。

  • 2020年11月4日
  • より
荒井 文昭
  • 荒井 文昭(あらい ふみあき)
  • 東京都立大学教員

だれが教育を決めているのか、決めるべきなのかを研究している(教育政治研究)。『教育管理職人事と教育政治』(大月書店、2007年)他。NPO法人多摩住民自治研究所理事長。