【論文】新型コロナと自治体―保健所の統廃合がもたらした現実と今後の課題


全国の保健所が半減し、大阪市も1保健所化されて20年が経過したいま、新型コロナウイルスの感染拡大で、保健所の役割が注目されています。実態と今後の取り組みを考えます。

はじめに

新型コロナウイルスは、約100年前のスペイン風邪以来の最大の感染症で、感染者が世界では2500万人以上、日本でも7万人を超え、ますます感染が拡大しています。

私は、大阪市で38年間自治体労働者、保健師として働いてきました。国や大阪府、大阪市が新自由主義の経済効率優先の社会を目指し、公衆衛生や医療を軽視した結果、さまざまな感染症や食中毒事件の被害が拡大しています。「保健所を守る大阪市民の会」(以下、「市民の会」)の活動や保健師活動を通して、新型コロナ対策や公衆衛生、保健所機能の拡充について、私見を述べます。

新型コロナ対策で混乱が続く

本年3月上旬から、全国の保健所職員は悲鳴を上げ、特に4月に緊急事態宣言が発令されてからは、鳴りやまぬ電話に心身共に疲弊しています。大阪市では24時間体制での電話対応をしていますが、電話がつながらない、PCR検査を受けさせてもらえない、受けられても4、5月は7~10日待たされるなど、住民の不安はマックスに達しました。保健師の業務は、医師の指示の下で、病状確認、PCR検査の対象か否かの確認、PCR検査を必要とする人の検査日時・場所の確認と連絡、PCR検査の結果説明、陽性と判定された場合は感染経路を調べ、入院や施設・自宅療養の振り分け、濃厚接触者の確認と必要時はPCR検査の勧奨、自宅療養の場合1日2回病状確認の電話等と多忙を極めています。人員不足が生じ、健康局(本庁)や各区保健福祉センターなどからの応援に加え、アルバイト保健師・看護師を雇用していますが、本来一番大切な感染予防業務が十分できない中で、次々と発生する患者への対応に追われています。このような現状をもたらした一番の原因は、「保健所法」が1994年制定の「地域保健法」に変わり、全国の保健所が半減されたことにあります。1992年、全国に852カ所あった保健所は、2020年4月現在、469カ所に減らされました。

大阪市の保健所がたった1カ所に、「保健所を守る大阪市民の会」誕生!

大阪市は、人口270万人、昼間人口400万人を抱える「全国一の不健康都市」です。大阪市でも、24区にあった保健所の1保健所への統合がもちあがり、1995年11月に「保健所を守る大阪市民の会」(以下、「市民の会」)を立ち上げた時、初代会長の元大阪大学医学部(衛生学)教授の故丸山博先生は、「保健所は住民のいのちと健康を衛る砦」であり「僕たちは保健所の応援団だよ」と言って、保健所の大切さ、1保健所化ではなく、各区の保健所の充実が大切だと訴えました。現在の会長は大阪府保険医協会副理事長の井上賢二先生で、活動を継続しています。

住民とともに取り組んだ「保健所を守る大阪市民の会」の活動

「市民の会」は65万枚のビラを配布し、16万筆の署名を集めました。赤ちゃんを抱いたお母さんたちが並んで署名に協力、署名に列ができる初めての経験でした。市内各地でキャラバン行動を何回も行い、各区に保健所を残して欲しいと訴えました。東京や横浜、名古屋、京都など、全国の仲間たちが手弁当で参加、「保健所を守る大阪府民の会」も駆けつけて、公衆衛生を守ろうと共に訴えました。

大阪府医師会や厚生労働省に直接要請行動

大阪府医師会との懇談では、保健所が1カ所になることへの懸念が表明され、同じく懸念を表明した厚生労働省に「大阪市には24カ所必要と文書で勧告して欲しい」とお願いしましたが、「地方自治の時代、市議会で決めること」といって、文書勧告をしてもらえませんでした。

磯村大阪市長は面談拒否、議員は党が決めること?

大阪市会議員に協力要請を行いましたが、当時、日本共産党を除くオール与党体制の下で、多くは「保健所は大事だけれど、わが党は条例に賛成」という理由で協力してもらえませんでした。磯村大阪市長には面談希望を伝えましたが、ただの一度も会ってもらえませんでした。

大阪市議会で全市1保健所、各区保健センター化の条例が可決!

大阪市議会では、1999年5月、「市民の会」の請願を自民党、公明党などの多数で不採択、1保健所化の条例が可決されました。2000年4月1日に1保健所になると決まった後も運動を続け、「大阪市でたった1カ所になったら、必ず大きな問題が出てきますよ。そうなってからでは遅いですよ」と訴えました。

2000年4月、全市1保健所・24区は保健センターに!

保健所統合に伴い、各区の保健師や事務職員等は数人規模で削減されました。保健所長は1人だけで、各区の医師は医務保健長という行政上の権限のない医師となりました。その後、保健センターは区役所の機構に入り「保健福祉センター」になり、区長(現在は副区長)がトップとなりました。各区の医師は健康局や保健所との兼務で週2回程度の勤務のため、感染症や結核、食中毒などが発生しても迅速な対応ができなくなりました。地域担当の保健師は平均1万2000人もの住民を担当しなければならなくなり、2、3万人を担当する保健師もいます。産休や育休、病欠などが出た場合、正規保健師だけでなく、アルバイト保健師や看護師に頼らざるをえませんが、地域を担当できないからです。

2000年6月、雪印乳業の集団食中毒事件発生!

「1保健所にしたら、大変なことになる」という事件が現実に起こりました。「牛乳が原因で食中毒が発生」という医師の届け出がありましたが、保健所、届けた医師の勤務する区、雪印乳業は別々の区であり、迅速な対応が遅れ、被害が拡大しました。当時市内に13万カ所の監視指導対象施設がありましたが、食品衛生監視員は少なく、監視率が2割しかない中で、監視員を増やすのではなく、その後市内に5カ所の監視事務所を作り、各区には監視員を複数配置から1人だけ配置と、大きく後退しました。

各区の保健師は住民の顔が見えない!維新市政でさらに職員削減

各区の保健福祉センターは人員が削減され、保健師は住民の顔が見える活動ができなくなりました。住民に身近な地域を担当する保健師1人あたりの担当人口を、せめて1万人以下にして欲しい、地域の健康課題に基づいた保健師活動ができるようにして欲しい、感染症はいつ発生するかわからず、一定のゆとりのある人員配置が必要だと市と交渉をしましたが実現せず、大阪市全体での人員削減が進みました。

私の退職後、橋下、吉村、松井市長と、維新の市長が三代続き、「ムダを徹底的に排除した効果的・効率的な行財政運営」を行うことを目的とした「市政改革プラン」でさまざまな削減がされています。橋下元市長はツイッターに「平時の時の改革の方向性は間違っていたとは思っていません。ただし、有事の際の切り替えプランを用意していなかったことは考えが足りませんでした」と書き込みましたが、非常時に対応できるよう、日頃から考え、備えておくのが首長の責任だと思います。今も本格的な見直しをサボっている維新府政・市政は退場させるしかありません。

SARS・新型インフルエンザの教訓

2003年にSARS、2009年に新型インフルエンザが発生し、大混乱をきたしました。今回の新型コロナと同様、保健所への電話はつながらず、多くの住民の不安が爆発し、保健所機能の脆弱さが露呈しましたが、当時は、医師の判断でPCR検査がすぐにできたことが救いでした。自治労連公衆衛生部会で厚生労働省交渉を行い、筆者も参加し、感染症はいつ発生するかわからず日頃の対策がいかに大切か、教訓を今後に生かすため人員確保等をと訴えましたが、実現しないまま、今回の事態を迎えてしまいました。

市立環境科学研究所と府立公衆衛生研究所が統合!独立行政法人化!

維新は住民の声をまともに聞かないまま、「二重行政」だとして、2017年4月に2つの研究所を統合しました。環境科学研究所は大阪市の保健所や保健福祉センター、公衆衛生研究所は大阪府の保健所と連携しながらそれぞれの機能を果たしていましたが、統合・独立行政法人化することにより人員が削減され、今回PCR検査が十分にできないということも明らかになりました。感染拡大の今、医師が必要と判断した場合には、無料で迅速にPCR検査を受けられる体制が求められます。

突然のコロナ専門病院の誕生

松井大阪市長は、十三市民病院と民間の阪和第二病院をコロナ専門病院にすると突然発表しました。これらの病院の産婦人科は、ケアも充実していて住民からの評価も高く、医師や看護師、患者や妊産婦さんたちは大きな衝撃を受けています。二重行政だとして、2年前に住吉市民病院をつぶした維新の大阪府・市政の医療崩壊や医療の質の低下を招くような医療政策には反対し、地域の医療を守る運動を強める必要があります。

おわりに

公衆衛生行政、保健所の仕事は日頃からの備えが何よりも大切です。特に感染症はいつ、どこで発生するかわかりません。グローバル化が進み、またたく間に世界中で感染爆発が起こる感染症への対策は公衆衛生の最重要課題とされながら、いつの間にか忘れ去られてきました。新型コロナは必ず第2波、第3波が来ると専門家たちは言っていましたが、あまりに早い流行の再拡大です。ワクチンや治療薬の開発も大事ですが、予防の視点をもっと大切にし、日頃の備えをするためにも、保健所機能を強化する必要があります。

大阪市では24区の保健福祉センターに保健所機能を持たせるべきだと考えます。また、病院の存続や研究所の機能強化のチャンスでもあります。医師や保健師、看護師、研究員、監視員たちを増員し、住民が安心して暮らせる、いのちと健康を守る砦としての公衆衛生行政・保健所を実現するため頑張ります。

亀岡 照子

元大阪市保健師。現在、非常勤講師として、看護系の大学や短大、専門学校で、保健師・看護師教育を行うとともに、介護支援専門員の仕事や森永ヒ素ミルク中毒の被害者への健康相談を行っています。