【論文】全国初、罰則付きルールによって、ようやく差別と向き合い始めた行政


日本には差別を禁じる法律がない─。この重大な欠陥は私たちの社会でどれだけ認識されているだろうか。差別との闘いにおける川崎市の条例の歴史的意義と課題を見詰める。

川崎市議会の傍聴席には歴史的瞬間を見届けようと身を乗り出す在日コリアンたちの姿がありました。2019年12月12日、全会一致で可決・成立をみた「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」。「私たちはこれでようやく法律によって守られるようになる」。戦中戦後と差別に苦しめられてきた1世のハルモニ(おばあさん)の感慨が条例の意義を端的に表していました。ヘイトスピーチに刑事罰を科す全国初の条例は、日本の法令史からみても初めて差別を犯罪と定め、処罰するという画期的なものなのでした。

この国には外国人を監視・管理する法律はあっても、差別を禁止する法律がないのです。「差別はいけない」とお題目が唱えられこそすれ、具体的な政策が実行されることはなかったのです。白昼堂々と「朝鮮人をぶち殺せ」「たたき出せ」と叫ぶ蛮行がまかり通るようになったのは、歯止めとなる規範なき「差別天国」ゆえの結果なのでした。

そもそも日本は1995年に国連の人種差別撤廃条約に加入しています。差別を禁止し、終了させる義務を負っていますが、基本的な差別撤廃法の整備からして怠ってきました。条約はとりわけ害悪の大きいヘイトスピーチの法規制を求めていますが、日本政府はその条項を留保したままです。理由は「法規制が必要なほどの差別はない」「表現の自由を萎縮しかねない」。人権を守るべき行政が差別の被害から目をそむけ続けたツケが地域に住まう人たちに回ることになったのです。

差別加担という倒錯

京浜工業地帯に隣接し、歴史的に在日コリアンが多く暮らす川崎区桜本のまちが立て続けにヘイトデモの襲撃を受けたのは2015年11月と翌年1月のことでした。レイシストたちは「敵国人に何を言っても構わない。ゴキブリ朝鮮人をたたき出せ」などと気勢を上げ、住宅街に押し入ろうとしたのでした。

計画を知った住民たちは川崎市に訴えましたが、「根拠法がないため策を講じられない」と人ごとのような回答でした。市内では2013年から10回ものヘイトデモが繰り返されてきたにもかかわらず、人権担当の職員は「何がヘイトスピーチか判断が難しい」と腕組みするばかり。人権施策の先進自治体とされる川崎市でも差別の被害に向き合う姿勢が全くみられないのでした。

子どもたちは言いました。「ルールがないならルールをつくってよ」。行政の当事者意識の欠如やヘイトを見過ごしてきた日本社会の怠惰を突く投げ掛けが市民運動の出発点となりました。

差別禁止ルールがないため、ヘイトデモは止められないばかりか、行政の許可を得て行われてきたのでした。表現の自由の名の下、公園や道路の使用申請が市や県警に認められ、当日は機動隊の警備に守られる。レイシストは「合法」を誇り、大手を振って人権侵害を続けてきました。桜本の在日コリアンは、娯楽のように差別を楽しむレイシストと、ヘイトデモの舞台を整えることで差別に加担する行政によって二重三重に絶望を刻み付けられてきたのでした。

法律が生んだ好循環

転機は一つの法律ができたことでした。2016年5月のヘイトスピーチ解消法の成立です。外国にルーツのある人々への差別的言動を「許されない」と宣言し、解消するための施策を国や自治体に求めるものです。禁止規定も罰則もない理念法にとどまりましたが、川崎市条例の根拠法になるなど反差別の闘いにおける始めの一歩となったのです。

法の制定を受け、福田紀彦市長はレイシストに公園の使用を認めない全国初の判断を示しました。「市民の安全と尊厳を守るため」。法律というよりどころを得て自治体の長がようやく示すことができた正義でした。

横浜地裁川崎支部もヘイトデモを禁じる仮処分決定を下し市の英断を支えました。ヘイトスピーチは表現の自由の範囲を逸脱するものだと明確に示されました。場所を変えて強行されたヘイトデモにはかつてない1000人規模の市民が抗議に駆け付けました。レイシストを取り囲んで行く手を阻み、デモを中止に追い込みました。

ヘイトスピーチは許されないという法が規範となり、行政の施策、司法の判断、人々の行動を方向づけ、促していくことになりました。そうしてより実効性のある条例を求める市民の声はいよいよ高まっていきました。ヘイトスピーチを処罰対象とし、行政が自らを差別根絶の主体と定める条例は、こうして生まれた好循環の先に実現をみたのでした。

条例を武器に後押し

7月1日、罰則規定の運用が始まり、条例は全面施行となりました。ヘイト団体が12日に行った街頭宣伝活動は様変わりしていました。やりたい放題だったレイシストは言葉を選びながら演説し、あからさまなヘイトスピーチは聞かれませんでした。

市職員が立ち会う中で行われたヘイト宣伝。手前は機動隊員。「朝鮮学校は国家保安法違反」のノボリ旗も見える(7月12日、編集部撮影)。
市職員が立ち会う中で行われたヘイト宣伝。手前は機動隊員。「朝鮮学校は国家保安法違反」のノボリ旗も見える(7月12日、編集部撮影)。

一方、罰則規定に抵触するのを避けながら、「在日特権」「不法滞在」といった差別扇動の決まり文句をちりばめることを忘れませんでした。そうまでしてマイノリティを攻撃し、おとしめようとする卑劣さが一層浮き彫りになりました。

ヘイト団体のリーダーは狡猾で、差別にあおられた者たちは執拗です。市役所へ一斉に抗議電話を掛ける「電凸」を受けるやいなや「いろいろな意見があるので」と「中立」の立場に逃げ込む弱さが川崎市にはまだあります。

だからこその条例なのです。もう差別の被害から市民を守る盾となることから逃しません。あらゆる差別を見過ごすことなく、なくしていくという条例が定める責務を果たすようより強く求めていきます。

レイシストが川崎市を主戦場としているのも、対策がどこよりも進んでいるからです。最低でも同レベルの規制条例を他の自治体に広げることが、川崎市を守り共闘していくことになります。そして今度こそ国に人種差別撤廃基本法を整備させることも必要です。

なぜ条例、法律を求めるのか。公が反差別の先頭に立つことこそあるべき姿で、規範をつくる上で最も効果的だからです。裏を返せば根絶には行政の差別政策をなくすことが不可欠です。朝鮮学校を無償化制度から除外し、補助金を打ち切るといった弾圧が、レイシストにヘイトスピーチへのお墨付きを与えている現実があります。行政が自ら行う差別も射程に入れ、条例を機能させなければなりません。法律や条例を実現させたように、その主体は私たち市民の側にあります。


  • *レイシスト:他の人種、民族を偏見と憎悪に基づいて劣等民族と決めつけ、罵倒したり嫌がらせの犯罪を行う人種差別主義者。矛先は弱い立場にある障がい者やLGBTなど、マイノリティの人たちにも向けられがちである。
  • *電凸:語源は「電話突撃」。一般市民である個人、または一般市民の声を代弁する(と自認する)団体が、行政機関や企業、マスコミなどに電話で見解を問いただす行為。これ自体、すべてが咎(とが)められるべきものではないが、標的とする相手に執拗に抗議や質問をすることで、業務や催しが中止されるケースもある。メールで行う場合は「メル凸」と呼ぶ場合がある。
石橋 学
  • 石橋 学(いしばし がく)
  • 神奈川新聞社川崎総局編集委員

1994年入社。報道部、デスクなどを経て2018年から現職。共著に『ヘイトデモをとめた街 川崎・桜本の人びと』(現代思潮新社)など。