【論文】新市庁舎の建設を問うた垂水市の住民投票

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今年8月、鹿児島県垂水市で市庁舎の建設を問う住民投票が行われ、結果は反対多数となりました。投票はなぜ実現したのでしょうか。投票結果を受けて市庁舎はどうなるのでしょうか。

はじめに

2020年8月9日、鹿児島県垂水市で「垂水市庁舎建設に関する住民投票」が実施されました。投票率は68・83%、賛成4080票に対し反対4424票という反対多数の結果となり、新庁舎建設を推進してきた尾脇雅弥市長は、計画を白紙にすることを明らかにしました。

行政庁舎の建て替えや移転は、各地で政治問題化しており、ここのところ住民投票を求める条例案が否決されたケースも含めて、住民投票をめぐる定番争点となっています。この種の問題で最初に投票が実施された2012年(鳥取市)を起点とすると、昨年までの8年間で住民投票条例案が議決を受けたケースが31件、そのうち条例が制定され投票が実施されたケースが9件という具合です(筆者調べ)。

データが示すとおり、条例案が提案されても投票に結実するケースの方が少ないなか、垂水市ではなぜ実現したのでしょうか。その過程では、これまでに目にしたことのない「奇手」も繰り出されました。また「白紙」とはされたものの、市庁舎問題の行方が確かなものになったかといえば、そうとは言い難い状況でもあります。本稿では、ひとまずここに至るまでの経緯を紹介し、投票直後の段階で論じられることをまとめることにします。

争点となった市庁舎の移転案

1958年建造の垂水市役所本庁舎は、今年で築62年となります。市行政は建て替えのための基金を2011年度に設けたことを端緒に、新市庁舎のあり方を探りはじめます。検討委員会を立ち上げ、現在地も含む3つの候補先のなかから最適とされたフェリー乗り場駐車場跡地への移転の方針を固め、2018年には基本計画を発表しました。

今回、住民投票で賛否を問われたのはこの移転案です。鉄筋コンクリート4階建ての新庁舎を、現庁舎から約400メートル離れた鹿児島湾沿いの市有地に設けようとするもので、総事業費は42・8億円。予定では今年度中に着工され、2022年度の利用開始が目指されていました。ただし、議会や市民の間に異論がないわけではありませんでした。予定地が海沿いであることから津波や液状化といった防災面での不安が唱えられるなど、問題点も指摘されていたからです。

否決された直接請求案

垂水市では2019年1月と4月に、市長選と市議選が相次いで行われ、それぞれこの新庁舎計画が争点になっています。市長選では、この計画を推進してきた現職が三つ巴の争いを制して3選を果たしたものの、計画反対を唱えていた残る2候補の得票合計(5185票)は現職の票(4413票)を上回りました。また市議選の結果も、計画反対派が議席を伸ばし両勢力が拮抗するに至るというものでした(賛成派7名、反対派7名)。

その後、早期着工の陳情が議会で採択されるなど計画が進められようとするなかで反対派から行われたのが、この問題を住民投票にかけるための直接請求でした。住民投票条例の制定を求めて有権者のおよそ6%分の署名が集められ、2019年11月、請求が行われました。市長は「投票は必要ない」という反対意見を付け、議会審議がはじまります。条例案は、拮抗した勢力を反映して委員会では可決されたものの、本会議では一転、一票差で否決されました(議決に加われない議長は計画反対派でした)。市長や議会の方針に異を唱える立場から住民投票の実施を求めても、議会が壁となりこれを跳ね返すという、多くの住民投票運動がたどるパターンに終わるかのように思われました。

建設予定地。写真は筆者提供。
建設予定地。写真は筆者提供。

投票はなぜ実現したか

住民投票条例案の否決から4か月後の本年4月、計画反対派が「奇手」を打ちます。市庁舎の位置を変える際に必要な「位置条例」の改正案を直接請求したのです。筆者の書き間違いではありません。計画賛成派ではなく反対派が、市役所の位置を変えるための条例の制定を求めて直接請求を行ったのです。あたかも計画の推進を求めるかのように見えるこの請求が、なぜ反対派から行われたのか。実は、反対派は、市庁舎の移転に必要なこの条例改正案が否決されることを見越していました。

解説が必要でしょう。位置条例の制定には、通常の議会手続きである過半数の賛成ではなく、特別多数(3分の2以上)の賛成を必要とします。その点、既述の通り、垂水市議会の計画賛成派は定数14名に対して7名です。したがって、直接請求案=位置条例改正案は否決される公算が大で、これが反対派の意図したことであると思われます。予想通り請求案は3分の2の賛成を得られず、否決されました。

反対派は、この間住民監査請求を行う準備をしており、さらにその後は住民訴訟を予定していたといわれています。反対派の戦略ですが、位置条例が否決されるという事実が残された一方、しかし市行政としては着工のために予算措置などの手続きは進める必要があり、その間隙を突こうとするものであったのでしょう。つまり、市庁舎の移転に必要な手続き=位置条例案が否決されている一方で、しかし計画に必要な予算措置だけは執行しようとすることの矛盾について、これを監査の対象とし、さらには訴訟で争おうとしたものと推測されるところです。

もし訴訟ということになれば、計画の進捗に影響なしでは済みません。その後、賛成派による位置条例改正案の直接請求(こちらは額面通り、計画推進のアピールをねらいとしたものです)が継続審査となったタイミング(2020年7月)で、市長は、一度は反対意見を付けた住民投票条例案を自ら提案します。そのねらいは、賛成多数の結果をもってこの計画が市民の支持を得ていることを証明することにあり、反対派の戦略への対抗措置であったことは否めないところでしょう(市長自身は住民投票条例案を提案した理由として、反対派から住民投票が提案された際とは異なり、計画の詳細が明らかになった現在では市民の判断を仰ぐ環境が整ったため、と説明しています)。市長が提案した住民投票条例案は全会一致で成立し、投票日は8月9日とされました。

投票が決まってからは、賛成・反対の両陣営の活動が活発になります。組織を前面に出した賛成派、ボランティア中心の反対派というスタイルの違いを見せた両派ですが、街宣車を走らせ、ビラやチラシで盛んにアピールを行います。反対派は、新庁舎の防災面での不安を指摘するとともに、同規模自治体(の庁舎)との比較を通じて規模の見直しを主張しました。賛成派は、新庁舎について防災上も財政上も不安はないと説き、またこの機を逃せば国からの支援は困難となり、庁舎の建設はできなくなると訴えました。

残念だったのは、両派がそろって意見を交わし、疑問を投じあう討論会のようなものが開催されなかったことです。態度を決めかねていた有権者からすれば、この種の議論がもっとも期待されたところではなかったでしょうか。投票率は前年の市長選と比べると6ポイント低くなっているのですが、判断をしかねたことから棄権した有権者がいたとすれば、議論を欠いたことが投票率低下の一因であったのかもしれません。

賛成派の決起集会。写真は筆者提供。
賛成派の決起集会。写真は筆者提供。
反対派のチラシ。写真は筆者提供。
反対派のチラシ。写真は筆者提供。

市庁舎問題のこれから

以上、事実関係を中心に垂水市住民投票を紹介してきましたが、住民投票の研究者としてこの事例から見てとれるものを3点取り上げて、この小稿を結びたいと思います。

1点目は、依然として、行政庁舎の建て替えや移転が政治問題化していることです。直近では、8月7日に静岡市でやはり庁舎の移転をめぐって請求された住民投票条例案が否決されています。筆者は8年前にも鳥取市の市庁舎をめぐる住民投票についての小論を本誌に寄稿しましたが(2012年7月号)、そこでも論じたように高度成長期に建設された公共施設が耐用年数を経て建て替えの時期を迎えています。移転新築や補修など何らかの対応が必要とされる一方、(移転する場合に)位置はふさわしい場所なのか、財政に悪影響を及ぼす過大な事業費になっていないか、防災の拠点としての不備はないか等々の不安を抱く市民に対し、説明責任が十分に果たされていない実態があり、各地で起こされている住民投票運動がそのことを顕在化させています。読者のみなさんが暮らすまちにも、耐用年数に達している公共施設などがある場合には、行政や議会がこの先この課題にどう向き合おうとしているのか注視する必要があるのではないでしょうか。

2点目です。これは庁舎の移転に特化した話になりますが、現行法上議会で特別多数が求められる以上、垂水市のような、議会内に予算などを成立させる勢力はあっても、位置条例を成立させるほどの勢力はない、という事態はほかの自治体でも起こりうることです。そうなったとき、─8年前の鳥取市がまさに同じ状況でした─住民投票こそは事態を動かすにふさわしい制度であると考えられます。「予算措置などで既成事実化をすすめて、反対派をあきらめさせる」というのは説明責任を軽んじた態度と言わざるをえませんし、そのまま膠着状態というのは時間がこれを許さないこともあるでしょう。意見が二分されているなか、市民が一票を投じる形での決着こそはもっと積極的に考えられてもよいところではないでしょうか。そのような理由から、垂水市での投票実施はすぐれて妥当なものであったと筆者は評価しています。

最後に、投票結果の今後についてです。先に「市長や議会の方針に異を唱える立場から住民投票の実施を求めても」投票はなかなか実現しないことを記しましたが、それでも投票を実現させ首長や議会による政策を統制した例が積み上げられてきています。今回垂水市がその歴史に名前を刻んだように、住民投票を手段として、民意に反する政策にブレーキがかけられる例が現れていることについては、住民自治にとっての前進であると筆者は評価しています。

ただし、現在のところ、住民投票は「行政の現在の案にブレーキをかける」以上のものにはなっていない、とも筆者は理解しています。どういうことかといえば、ブレーキをかけてそれで「おしまい」というケースももちろんあるのですが、ブレーキをかけた後で、「では、これからどうする?」ということが問われる種類の問題もあります。垂水市庁舎の老朽化は誰の目にも明らかであり、直ちに「どうする?」が問われる問題であるように思われます。難しいのは、住民投票で広く反対派を糾合できても、それは必ずしも一枚岩とは限りません。その場合、住民投票後、反対の立場が直ちに一つの案へと集約されて「こうしましょう」とはなりにくいということがあります。

垂水市役所現庁舍。写真は筆者提供。
垂水市役所現庁舍。写真は筆者提供。

筆者が見てきた住民投票のなかには、投票で拒否された行政案がその後、形を変えて事実上復活した、という例があります(※)。また鳥取市にあっては、行政案(移転新築案)への対案として作成された議会案(耐震改修案)が住民投票で勝利したにもかかわらず、投票後になって「耐震改修は、選択肢上想定されていた費用では、実現不可能」であると評価されたため、投票そのものの正当性が疑われる事態を招いた、ということがありました。鳥取市では、その後曲折を経て行政案が事実上復活し、新庁舎は移転新築されました。垂水市にあっても、どこからも対案が出されないようであれば、行政案が形を変えて復活する可能性は皆無ではないでしょう。もし「復活」を好ましくないと考えるならば、地域社会が広く合意できる、かつ実効性を備えた対案が求められます。それを誰がどうまとめるのか、住民投票で「おしまい」ではなく、今後が注目されます。

※鳥取市住民投票の様子とあわせて、以下を参照ください。拙稿「住民投票が映しだすローカル・ガバナンスの現在」 石田徹・伊藤恭彦・上田道明編『ローカル・ガバナンスとデモクラシー 地方自治の新たなかたち』法律文化社、2016年、所収。

上田 道明
  • 上田 道明(うえだ みちあき)
  • 佛教大学社会学部教授

1963年生まれ。1998年大阪市立大学法学研究科後期博士課程単位取得退学。著書に『自治を問う住民投票』自治体研究社、2003年。編著に『いまから始める地方自治』法律文化社、2018年など。


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