雪を克服し冬期の安心安全な暮らしを実現するため、補助金ではなくサービスの現物給付としての「雪害対策救助員制度」など、栄村は独自の施策で住民の暮らしを守っています。
はじめに
栄村のJR飯山線森宮野原駅には、1945年に記録した7メートル85センチの積雪を示す標柱が立っています。全国屈指の深雪地帯として、今では明るく誇りと自信を持ってアピールしています。
栄村は1987年に克雪宣言をおこない、1989年策定の総合雪対策基本計画に基づき「雪に強く明るく住みよい活力のあるむらづくり」をスローガンに生活環境の整備に努め、雪害を克服してきました。特に「道直し」事業は機械除雪可能な幅員を確保し、幹線のみならず集落内の道路の無雪化を実現させました。とはいえ、冬期の実際の生活は雪との戦いです。一晩で1メートルも降ることのある村では、道路はもちろんのこと、屋根雪や家周りの除雪はかかせません。人口1714人、高齢者率が53%(2021年5月現在)の村は、豪雪の冬をどう乗り切っているのか、現在の取り組みの様子を紹介します。
村の積雪状況
今冬は12月14日から降り始めた雪の一週間の累計降雪量が4メートルを超え、積雪深は2メートルを超えました(表)。いきなりの大雪と水分を多く含んだ雪質によるスギなど樹木の幹折れや枝折れが原因となり長時間の停電を頻発し、生活不安を生みました。電気がないと炊飯も暖房もままなりません。村で電力会社と連絡を取り、宅内設置の告知放送で情報を流してくれるのが心のよりどころです。
この状況で高齢者など自力で除雪ができない世帯ではどんなに危険で不安か想像がつきます。栄村では1977年以来、非常勤特別職(現在はパートタイム会計年度任用職員)として雪害対策救助員を雇用し、これらの世帯に派遣し除雪をおこなう制度があります。
安全な住居を確保する「雪害対策救助員制度」
雪害対策救助員は高齢や障がい・疾病などにより自力で除雪が困難な世帯の住居・建物の屋根の雪下ろしや除雪をおこないます。このほか公共施設や集落内道路の一部除排雪も担います。会計年度任用職員として毎年12月15日から翌年3月31日まで任用され、現在は村内5地区に班編成され総勢19名体制です。年齢層も20代から60代と幅広く、夏は農業、建設・建築に携わる方が多く、冬期間の仕事として応募されています。待遇は1日あたり1万3650円(班長は1万4200円)となっています。人件費や機械修理、燃料費、運搬用車両借上料など、事業費は全体で2300万円ほどで、財源は県特別豪雪地帯住宅除雪支援事業補助金や過疎対策事業債(ソフト分)等が充てられています。
今冬の被救助世帯は159世帯で、この認定は救助認定申請に基づき村長が民生委員の意見を聞いて対象物件の無料・有料を決めます。内訳は住居で無料113棟、有料30棟、物置等で有料47棟(住居との重複あり)となっています。
これらが地区ごとに置かれた班に割り振られ、班長は仕事の段取りや役場や各班との連絡調整役にあたります。道具はスノーダンプ、ハンドロータリー除雪機です。近年は自然落雪型屋根が多く、落下した家周りの雪を除排雪するのに大型のハンドロータリー除雪機が大変役に立っています。
連続降雪で積雪2メートルという現象は、栄村であれば1シーズンに1度や2度は覚悟している降り方です。しかし、今冬は任用早々の大雪で、対象物件の下見をし障害物などの確認をする間もなく除雪作業にあたらざるを得なくなり大変だったという声も聞きました。12月の大雪は常勤の事務職員の応援も得てシーズンを無事終えました。雪害対策救助員は苦労もありますが、人の役に立っているという使命感と利用者からの感謝のことばによって、これまた支えられています。
時代とともに「道踏み支援事業」
集落内道路の無雪化はすすみましたが、玄関先から道路までの間の除雪または圧雪(道踏みという)も日常的に対応しなければなりません。2000年の介護保険制度のスタートをきっかけに、雪害対策救助員制度と同様に自力では困難で他から支援が望めない世帯に対し、近くに道踏み支援員を村が雇用し無料で道踏み支援をしています。在宅介護、通所介護に限らず冬期間の安全な道の確保が必要でもありました。今冬は対象世帯が82世帯で道踏み支援員は47名があたりました。道踏み支援員の賃金は1時間当たり2000円が村から支払われます。
高齢化への備え「克雪資金貸付制度」
将来の労働力不足や高齢化への備えとして、克雪のための住宅屋根改良や消雪用井戸掘削などに対し300万円の無利子融資が受けられます。克雪対策基金(現在1億7000万円余)を原資とし、1996年から始まった融資は延べ155件となり、雪下ろし作業が不要な自然落雪型屋根等への改修の促進につながりましたが、近年の利用者はほとんどなくなっており、制度見直しの時期にきているとのことです。
制度発案者に聞く「制度は村民の理解に支えられている」
今ではなくてはならない雪害対策救助員の設置は1977年12月。当時のようすを発案者の髙橋彦芳元村長(当時は企画課長)に聞いてみると、村民の理解を得ることが一番のポイントだったようです。就任早々の村長から「屋根除雪でお年寄りが事故を起こして困る。いい方法を考えてほしい」と指示があったそうです。個々の家庭を救助、保護するには法的根拠がいるとし、憲法25条の理念に基づき制定された生活保護法の第4条3項「急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない」との規定を援用し、豪雪は急迫した事由にあたると判断、社会福祉の観点から雪害を「降雪と時間的、空間的文明状況(過疎・高齢化)とが競合して、社会的規模で人びとの日常生活に障害をおよぼす事象である」と定義し試みたそうです。補助金ではなく救助作業という現物給付(サービス)という仕掛け(図を参照)と冬期間の住民の雇用対策でもある制度設計は、現代でも光を失うことのない見事な施策であったわけです。
おわりに
今春、ひとりのおじいちゃんが亡くなりました。栄村では出棺前に家の前で故人と最後のお別れをする習慣があり私も参列しました。「とうちゃん、ありがとうね」。長年連れ添った98歳のおばあちゃんは、そう言って最後に棺の小窓を閉めて見送りました。そこには悲壮感はなく、家族や多くの地域の人に見守られながら、ご自宅から送られる姿に「しあわせ」を感じたのです。大きな茅葺の屋根にトタンで葺いたこの家は、今冬も雪害対策救助員が除雪にきてくれていたのです。年をとってもおだやかに安心して暮らせるのは、行政と地域住民の理解で成り立っているのだと実感した出来事でした。
(執筆にあたり、栄村役場民生課・総務課より資料や情報を提供していただきました。)