【論文】市政と選挙に主権者市民の主体性を取り戻す ー「市民マニフェスト選挙」でめざす市民自治


4年前の統一自治体選挙を前に“暴言辞職”で注目を浴びた兵庫県明石市の泉房穂市長が、2度目の暴言で「政治家引退」を表明して4選出馬を断念する一方、後継市長の擁立と自派市議候補の公募で議会多数派と対決する動きを示し、再び脚光を浴びています。

暴言騒動や市長と議会の対立だけに焦点を当てるマスコミ報道が目立ちますが、明石市は13年前に自治基本条例を制定し「市民自治のまちづくりと市政」をめざすことを宣言したことや、市民自治をめざす市民運動が12年間にわたって「市民マニフェスト選挙」を展開してきたことは報道されていません。この国の21世紀は地方分権システムへの移行とともに始まりましたが、長い間地方分権への“逆風”にさらされてきた中で、明石で取り組まれてきた「市民マニフェスト選挙」は市政と選挙における市民の主体性を実現する試みでもあります。

「市民自治」掲げた自治基本条例テコに、市民が市長選挙に関わる

政策提言市民団体と自称する「市民自治あかし」が、市民マニフェスト選挙に取り組み始めたのは泉市長が初当選した2011年春の市長選からでした。前年の4月には自治基本条例が施行され、初めての市長選でした。この条例を策定する市民参加の検討委員会が2007年に始まった当初から、私たちは市民自治あかしの前身である住民自治研究会を立ち上げ検討委員会を傍聴し、意見書の提出、会長や委員、事務局との意見交換会を繰り返しながら、委員会の外から条例づくりに関わってきました。

90年代初頭から市民主体のまちづくり運動に関わってきた研究会のメンバーにとっては「市民自治のまちづくり」を条例の前文に掲げ、「市民の行政への参画」と「情報の共有」「協働のまちづくり」を市政運営の三原則として明記した“明石市の憲法”は、市民自治をめざす運動の大きな足掛かりでもありました。

2011年の市長選挙は、2001年の大蔵海岸花火大会事件(11人が群衆なだれで死亡した、いわゆる歩道橋事故)で責任を問われた市長が辞任した後、4人による選挙を経て就任した北口寛人市長が3期目の選挙を前に不祥事で退任。二代続けて不祥事で挫折した後だけに、自治基本条例の重みは一段と大きいものでした。

「市民がつくる市民の政策」を候補者に提案する

私たちは選挙にも主体的に関わろうと「明日の明石市政をつくる会」を結成し、まず取り組んだのが「市民マニフェスト」づくりでした。「マニフェスト」は21世紀初頭から国政政党が取り組みはじめ、次いで自治体選挙でも候補者が取り組む「ローカルマニフェスト」づくりも提唱されていました。明石で取り組んだ市民マニフェストは「市民がつくる市民の政策」として市長選の候補者に提案し、その実現の意思を確認する。そのために選挙前に候補者との「公開討論会」を開催し、市民マニフェストに対する意見を求めて市民と意見交換するものです。

最初の市民マニフェストは、公開討論会で納得できる答えをどの候補者からも得られなかった場合には第三の候補を擁立することも含め、その際の選挙マニフェストになるように政策を各分野について網羅したため百数十項目にわたる大部なものになりました。

2011年の市長選は初挑戦した泉氏と、前市長の三選を阻もうとしていた職員幹部や市議会多数派が擁立した県の県民局長との対決になりました。政党推薦を受けず「市民推薦候補」を自称する泉氏に対して、自・公や民主など大半の政党が推薦し知事が全面支援する県民局長が優勢との見方が大半でした。

公開討論会は候補者と市民が討論するから一人でも成立する

ところが、告示日の一カ月前に開いた候補者の公開討論会に当初は出席するはずだった県民局長は欠席し、討論会への出席は泉氏一人になりました。「一人では討論会は成立しないのではないか」と疑問を持つ市民に、主催者側は「通常の公開討論会とは異なり、市民マニフェスト公開討論会は市民が提案する政策に候補者がどう対応するかを答え、主催者の市民と意見交換するのだから一人でも成立する」と説明しました。通常の選挙は、候補者側からの一方的な公約や政策を聴くだけに止まるが、市民マニフェスト選挙は「市民が実現して欲しい政策」に対して候補者がどういう姿勢を示すかを判断する機会を提供する。主権者である市民が、選挙の主人公に一歩近づくプロセスをつくり出す役割を果たします。

この討論会で泉氏は一人で2時間余の討論をこなし、市民マニフェストに「概ね賛成だ。実現に努力する」と答えました。

市民に顔向けない“天下り候補”に対し「落選運動」を展開

討論会を終えた主催者団体は、二日間にわたって討論会の結果を分析し、対応を議論しました。市民側が示した政策に「概ね賛成し実現に努力する」と答えたのだから、候補者として当然支持することになるかと思われるが、コトは単純ではありませんでした。いろんな関係で同氏を知るメンバーからは「口先だけで信用できない」と支持できないとするメンバーが少なからずいました。他方、欠席した県民局長については「市民との意見交換にも出席しない候補者に、市長の資格はない」と一致するとともに、市民自治をめざす自治基本条例に照らせば県からの“天下り市長”は不適当と論外になりました。

では、どうするのか? 市民マニフェストを掲げて「独自の候補を擁立するべきだ」という“主戦論”もありましたが、それでは圧倒的に強い天下り候補を勝たせるための行動になってしまう。延々と議論を重ねてたどり着いた結論は「一人を選ぶ市長選挙は、ベストでなくてもベター、よりましな人を選ぶ“戦略的選挙”を志向しないと、結果はより悪いものになりかねない」ということでした。積極的に支持する運動は行わないが「こんな市長は要らない」という“落選運動”に徹することでした。

告示日の前日まで約一カ月間「こんな市長は要らない」という名指しのビラをつくり、街頭行動を重ねました。街頭では「あんたらはどちらを応援しているのや?」という声をかけられると、「応援はしていないが、二人のうち一人が市長失格なら、もう一人を選ぶしかないではないか」と答えました。選挙結果は30万都市で「69票差」という僅差で泉氏が当選しました。

再開発の住民投票直接請求や開発許可審査請求などの日常チェックも

ところが就任後、同市長は選挙前に「計画を抜本的に見直す」と“公約”していた明石駅前の再開発計画について「すでに計画は進んでおり、規模縮小などの大幅な見直しは困難」として市立図書館を移転するなどの用途変更を行い進めることを表明しました。再開発計画に反対する運動は再び動き出し、計画の問題点などを市民に訴える「明石駅前の再開発を考える会」が発足し、翌2012年6月には「市民みんなで決める住民投票を実現する会」(略称:駅前再開発・住民投票の会)に発展し、地方自治法による住民投票の直接請求に至りました。

8月の炎天下で始まった直接請求署名運動は、一カ月間で法定数の4倍を超える2万余の署名数に達し、住民投票条例と再開発計画への賛否を住民投票にかけることを請求しました。市長は住民投票の実施について賛成する意見をつけて条例案を議会に提出しましたが、市議会は立ち入った議論のないまま11月に多数派が19対8(棄権2)の反対多数で否決しました。

また翌年には、中心市街地の明石港にあった明石~淡路フェリー航路発着場の跡地に高層マンションを建てる計画について「開発許可の取り消し」を求める審査請求を市長に申し立てていましたが、市は「請求人適格がない」と主張し開発審査会は市民の請求を却下しました。

半面、自治基本条例制定後の課題だった常設型住民投票条例の制定へ向けて2013年8月には検討委員会を発足させ、1年3カ月にわたる慎重な審議を経て翌年10月には答申書が提出されました。検討委員会の委員には住民投票の直接請求の先頭に立った市民自治あかし代表の松本を委員に選任し、条例制定には議会多数派の抵抗が予想されることもあって、同市のこの種の諮問機関としては異例の「条例に基づく諮問機関」として検討委員会を発足させました。答申は、請求署名数要件を有権者数の「8分の1」としたり、署名期間を政令市や府県並みの「2カ月」とするなど、全国的に見ても「市民にとって使いやすい」画期的な内容を含んでいましたが、逆に議会多数派(自・公等)の強い抵抗を呼び、市長は答申内容を緩めて提案しましたが、これまで3回の否決を喫しています。

「マニフェスト検証大会」という中間チェック

こうした経緯はあったものの、2014年秋には市民自治あかしが「市民マニフェスト検証大会」を開催し、同市長が出席し2時間にわたって市民による検証評価結果について公開討論会に応じました。検証大会は、選挙時に「市民マニフェストに概ね賛成する」とした市長が3年余の市政の中でどのように実現に取り組んだかについて市民が検証評価した結果について、公開の場で市長と市民が意見を交わします。いわば市民が点けた市政の「通信簿」に対して、市長が考え方を述べ意見交換するものです。市民マニフェスト選挙のサイクルとして、行政が行うPDCAサイクル(計画─実行─評価─改善)を市民との間で行うものと言えます。

市民マニフェストは、2015年の二期目の市長選挙に際しても新たに「市民マニフェスト2015年販」(第2次市民マニフェスト)を策定し、公開討論会を開催しました。この時は女性を含めて3人の候補者で争われましたが、直前まで出席を約束していた自民党系県議が公開討論会に欠席し討論会は2名の候補者で行われました。この選挙では現職が48・7%の得票率で圧勝しました。

三期目の選挙を控えた2018年秋、二回目の検証大会を2019年2月3日に開催することで合意し、新年早々から検証大会への参加呼びかけを始めていましたが、1月末に職員への“暴言”報道が飛び出し、2月1日には辞職してしまいました。やむなく予定していた日を急きょ「緊急市民集会」に切り替えて、参加した市民ら75人が「泉市政の検証評価」や今後の選挙への対応について熱い議論を重ねました。

参加者からは「各地で評価されていた泉市政と検証評価結果の落差に驚いた」「施策への高い評価とはうらはらに、自治基本条例に掲げた市民参画が進んでいないのは残念だ」「子育て支援は保育費無償化や施設拡大のことばかりが強調され、国政の先取りや追随が目立ち、保育の質の充実が後回しになっていないか」などの発言が相次ぎました。

“暴言辞職”後、連続二回の市長選挙に対する対応

市長辞任で急きょ3月10日の繰り上げ選挙になりましたが、同氏の出馬が注目されながらも「謹慎中の身でそのような立場にない」と3月2日に開催した立候補予定者による公開討論会には出ず、2月末までに立候補を表明していた3名で行われました。“本命不在”の中でしたが、この討論会でも3人は「第3次市民マニフェスト」に対して、いずれも自治基本条例を遵守することを誓い、住民投票条例の早期制定を唱えました。

辞任から一カ月、水面下で再出馬を求める動きが高まりタイミングを探る動きがあった中で、公開討論会が終わり4日目、選挙告示3日前になって泉氏は出馬表明しました。市民自治あかしは即日、公開討論会を避けての告示直前の出馬表明に対して「抗議声明」を発表し、自治基本条例に恥じることのない投票を行うよう市民に呼びかけましたが、選挙は予想通り“劇場型選挙”になり、前回の得票を3万票余り上積みして泉氏が圧勝しました。

再出馬して当選した現職の任期は元の任期までという公選法の規定により、予定された4月の統一選で2回目の市長選になりました。市民自治あかしは急きょ、告示日前日に公開討論会を設定しました。この時点では対抗馬がなく無投票当選が確実になっていましたが、市政方針や政策の表明がないまま、市長就任を看過できないと判断し、公開討論会では3月の公開討論会で提案した第3次市民マニフェストにもとづき、暴言辞任後の説明責任の回避も含めて2時間にわたって市長との討論を行いました。この日の泉市長は、神妙そのものでした。辞任表明後の自身の行動や心境の変化をとつとつと語り、市民マニフェストに対してもこれまでと同様に「ほぼ賛同し実現に努力する」と答えました。

市議会議員選挙でも立候補予定者招き公開討論会

この年の統一選では、市議会選挙でも初めて立候補予定者による公開討論会を開催しました。40人近い市議選の候補予定者による公開討論会の開催は、段取り自体がなかなか大変です。選挙告示日20日前の開催になりましたが、新人の立候補予定者の掌握自体が難しい。さまざまなツテを使って38人を掌握し、出欠可否の案内を出す。現職6人、元職1人と新人5人の計12人が出席し、議会基本条例に対する認識や「議会や議員と市民との関係」についての認識など三つの質問に答えてもらい、会場の参加者からも質問票に基づき、延べ10問について答えてもらいました。人数が多いため候補者相互の討論は難しいが、多様な候補者のキャラが質問に答える形で市民が知る貴重な機会になりました。

明石市議会は2014年に議会基本条例を施行しましたが、翌年の改選後に会派代表者会や議運委で申し合わせて、議員間討議など自ら決めた条例に基づく議会運営を先送りしてしまいました。これに対して「議会基本条例の遵守を求める」連続請願運動を起こし、定例議会ごとに4年間請願を出し続けました。

請願は「自由な討議と賛否の明示」や「市議会だよりの抜本改革」「議会報告会の充実した開催」「常任委員会のインターネット中継実施」「政務活動費のネット公開」「議員間討議の速やかな実施」など、透明性と開かれた議会運営を求めるものでした。4年間に提出した請願は13件に上りますが、残念ながら多数会派の自民系真誠会と公明党がことごとく反対し、一件も採択されませんでした。住民投票条例に反対したことも含めて、市民自治の市政を実現するには議会改革が大きな課題であることを浮き彫りにしました。

市長と議会の対立、市長派議員の大量擁立で激化か

2021年夏以降、泉市長と市議会の対立がしばしばマスコミをにぎわせるようになりました。市長がとくにこだわった旧優生保護法の被害者支援条例への反対や飲食店地域サポート券の専決処分、工場緑地の規制緩和問題など、それぞれの問題の所在は異なりますが、同年末から市長が始めた個人ツイッターで政策の主張を発信し、対立する議会勢力や議員への批判を発信し始めたことが議会との対立に拍車をかけました。挙げ句は、工場緑地の規制緩和をめぐる市内の大手企業の法人所得税がゼロであることを市長がツイッターで流したことをめぐって「地方税法上の守秘義務違反」として多数派が百条委員会を設置して追及、自民党系議員らが連名で市長を刑事告訴する事態にまで発展しています。

そうした対立が深まる中で2022年9月議会では、市議会多数派による「市長問責決議」をめぐり議員に対する市長の「暴言」が再び飛び出して、市長はその責任を取って「今期限りで退任し今後選挙に出ず、政治家も引退する」という表明につながったのが現在の状況です。

市長自身はフォロワー39万人超というツイッターやメールで支持者から「辞めないで」コールが殺到している中で「もう決めたことだ。政治家は辞めるが、政治には関わり続ける」と、市長選での後継者擁立だけでなく、地域政党並みの“泉派”議員を擁立して市議会反対勢力の過半数割れをめざすと意気軒高です。12月に入ってからは迷走する岸田政権批判や、中央政治と政治家批判にも舌鋒を強めています。

試練受ける4回目の市民マニフェスト選挙

市民自治あかしは11月20日に再び「市民マニフェスト検証大会」を開催。8月から市長も出席を約束していたもので、泉市政の12項目に及ぶ検証評価に市長はテンション高く答えながら、市議会の反対勢力への批判を訴えていました。

市民側は「自治基本条例を遵守する」べき市長が「最大限尊重する」という表現で説明責任を軽視していることや、職員に対する強権的な姿勢が職員のモチベーション低下につながっていることを指摘し、反論する市長とのズレもありました。社会的弱者への率先した手厚い支援や、子育て支援を基軸にした子ども施策の展開など評価する面と同時に、問題点も率直に指摘しました。支え合いの社会を実現していくための基盤整備が遅れていることや、地域特性を活かした魅力あるまちづくりも、見栄えの良いイベント重視に傾斜し具体的な施策が乏しいことも指摘しました。

検証大会は、選挙時の公開討論会と同様に録画をHPで公開し広く周知することに努めています。本来なら地域に密着した地方紙や地元テレビなどが放映するなど「シビック・ジャーナリズム」に期待したいところですが、メディアが自治体行政や選挙における市民の果たす役割の重要性についての評価が低い現状では、当面は期待できません。

今春の選挙は暴言騒動に揺れた4年前よりも、さらに注目を浴びそうです。市長選挙に比べて注目度が低い市議選に、泉市長が立ち上げた政治団体から出馬する多くの候補者が、自・公を中心とした市議会多数派との対決を挑むからです。市民自治あかしは年明け早々に現職議員全員と新人立候補予定者らにも呼びかけ「市議会のあり方を考える討論集会」を開きます。選挙直前の3月には市議選と市長選の立候補予定者による公開討論会も相次いで開く予定です。4回目の市民マニフェスト選挙が市民と候補者にどのように浸透するか、期待を込めて取り組みたい。

松本 誠