【論文】社会資本の危機と「賢い縮小社会」


戦後急速に整備された社会資本が一気に老朽化しています。人口減少と財政ひっ迫が進むなかで、社会資本の老朽化=地域社会の危機に自治体と住民が共同で取り組む時代を迎えています。

社会資本の現状

社会資本とは、人々が共同での暮らしと生産活動を行うために必要となる社会の物的基盤です。具体的には、人々が共同で日常的に使っている道路や上下水道といったインフラや、学校や福祉施設などの公共施設(ハコモノ)のことをあらわしています。それらは住民や企業などが共同で利用するもので、土地に固着した不動産であることを特徴としています。

社会資本の運営は主に国や自治体などの公共団体が担っていますが、企業が所管している場合もあります。その場合でも、これらは社会資本とよばれます。たとえば、鉄道は公営も私営もありますが、それによって社会資本か否かを判断するようなことはしません。つまり、社会資本とはそれをだれが所有・運営しているのかではなく、それを人々が共同で利用する性質のものかどうかで判断されるのです。社会資本の民間委託・民営化や、それに伴う公的規制のあり方が問題にならざるをえない背景はここにあります。

国土交通省の推計によれば、我が国の不動産約2400兆円のうち、国および地方自治体が所有するもの(公的不動産)は約570兆円(全体の24%)を占めており、そのうちの70%を超える約420兆円が自治体によって所有されています。これは過去の社会資本への投資が国よりも自治体によってはるかに多く行われてきたことを反映したものです。ちなみに、企業の所有する不動産は約470兆円ですから、日本の地方自治体はそれに近い公的不動産を有していることになります。

内閣府『日本の社会資本2017』によれば、公的機関が所管する社会資本のストック額(粗資本ストック)は927兆円にのぼるとされ、その内訳は多いものから、道路(36・4%)、下水道(10・6%)、治水(10・4%)、農業(7・8%)、学校施設(6・5%)、水道(6・2%)、公共賃貸住宅(5・5%)、港湾(3・0%)、社会教育(1・9%)、廃棄物処理(1・7%)、都市公園(1・5%)などと推計しています。

これらのことから確認できるのは、日本の公的機関の所有する社会資本のストック額は非常に大きな規模にのぼっていること、そのかなりの部分が地方自治体によって所有されていること、それらは道路のようなインフラから学校などの公共施設まで多様な分野に及んでいることなどです。

社会資本の危機

かつての日本では、社会資本をめぐる問題はその量的質的な不足が中心でした。交通渋滞、水不足、保育所の未整備などが日本社会の暮らしや経済に深刻な影響を及ぼしていました。高度成長期には社会資本の不足は日本経済の隘路になるという点が最大の問題と考えられました。そのために道路を中心とした生産基盤の整備が優先的に進められ、福祉施設や住宅施設などの生活基盤は後回しにされ、住民生活の困窮が広がりました。その後、住民運動や革新自治体の取り組みなどによって、生活関連の社会資本も充実がはかられていきます。この時期の社会資本は、いかに投資額を確保するかということが最大の課題であったのです。こうした傾向は1990年代まで続いてきたといえます。

ところが近年になってから、社会資本の縮小(統廃合)が重要な政策課題となってきました。これは、社会資本を取り巻く三つの社会的要因が収れんした結果としてあらわれています(図)。

図 社会変化の結節点としての「社会資本の縮小」筆者作成
図 社会変化の結節点としての「社会資本の縮小」
筆者作成

第一は、過去に建設されてきた社会資本が一斉に老朽化してきたことです。社会資本は種類によって違いはあるものの、それぞれ建設後数十年たてば大規模修繕や更新(建て替え)などの新たな建設事業の対象となります。道路橋についてみれば、建設年度が判明している40万橋のうち2013年時点で建設後50年以上経過していた橋梁は約14%でしたが、その割合は2023年には約36%、2033年には約61%になると見込まれています。公共施設の約4割を占める公立小中学校施設については、非木造施設約1億5000万平方㍍のうち築年数が25年以上の施設は約1億1000万平方㍍(全体の約7割)にのぼり、このうち改修が必要な老朽施設は約1億平方㍍と、築年数25年以上の施設の約9割を占めています。

このような社会資本の老朽化にともない、社会的な事故が多発するようになります。橋梁の落下、水道管の破裂、学校施設の壁の崩落などは、ひとたび発生すると大惨事を引き起こしかねない事故の事例です。

国土交通省は2014年度からすべての道路管理者に対して橋梁やトンネルなどについて5年に1度の近接目視による点検を実施させるようになりました。2016年度の地方自治体の点検結果をみれば、対象となった約18万の橋梁に対して判定区分Ⅳ「緊急措置段階」(構造物の機能に支障が生じている、又は生じる可能性が著しく高く、緊急に措置を講ずべき状態)とされたものが145橋ありました。2014年度からの累計で判定区分Ⅳとされた橋梁は全体で396橋にのぼりますが、そのうち92橋(23%)は撤去・廃止の対象とされています。今後このような緊急措置の必要な橋梁が増加することは避けられず、自治体などにおいては撤去・廃止を含めた難しい判断がますます求められてくることになります。

厚生労働省によれば、水道においては近年は年間2万件を超える漏水・破損事故が発生しています。また耐用年数を超えた水道管路の割合も年々上昇しつづけており、2015年度で13・6%にのぼります。さらに、すでに整備されている水道管のすべてを更新するには130年以上かかると推計されています。水道管の破損などは道路の陥没や飲み水の汚染に直結する事案であることを想起すれば、社会資本の老朽化による社会的災害の危険がわたしたちのごく身近なところに迫っていることがわかります。

文部科学省のアンケート調査によれば、学校施設の経年劣化によってモルタル、タイル、窓などが脱落する事故が2011年度だけで約1万4000件ありました。これは単純に平均すれば、公立小中学校の2校に1件の割合でこのような事故が起こっていることを示しています。学校は防災拠点になっているケースが多いため、そこが老朽化によってこうした状況に陥っていることは地域の安全・安心にとっても深刻な問題です。

社会資本は地域社会を支える共同社会条件そのものであり、いまの社会資本の状況は地域社会そのものの危機に他ならないのです。

財政ひっ迫と人口変化

社会資本の老朽化が進んでいても、そこへ投資できるだけの財源があれば問題は解決できます。しかし、実際には国・地方を通じて財政がひっ迫しているなかで、社会資本の老朽化対策を十分にとることが難しい状況にあります。もう少し財政制度上の問題に引きつけていえば、社会資本の更新に対しては民間の施設や設備に対するような減価償却制度が存在しなかったため、社会資本の老朽化の財政問題がより深刻になっているのです。

成熟社会となった日本では、税収が大きく伸びない一方で、人類史上経験したことのない超高齢化を背景に社会保障関連支出が歳出のかなりの部分を占めるようになっています。これは国・地方を通じた構造的な財政ひっ迫をつくりだしており、今後も毎年のように厳しい財政のやりくりが求められるのは必至です。

このような財政構造下において、どの歳出部分を節減できるかといえば、その大きな候補となるのが社会資本分野です。社会資本はすでに老朽化によって更新の時期を迎えていますが、そのうち一部を更新せずに廃止・撤去などができれば、その分だけ将来の建設費を節約できることになります。また、建設後の社会資本には維持管理などにともなう人件費や委託費などが必要となるため、更新する量を削減すればそれだけこれらの経常的な支出も減らすことができます。とくに地方自治体にとっては社会資本の維持管理に関しては建設のときのような補助金や地方債といった財政措置がないため、その大部分を自らの一般財源(地方税や地方交付税)でまかなう必要があります。

社会資本の維持管理に対してどれだけの財政コストをかけているのかは自治体によって異なりますし、その範囲をどこまでとるかによっても違ってきます。これについて筆者が調べた自治体でいえば、公共施設にかぎっても歳出全体の概ね2~3割が維持管理に支出されていると推計している例が多いようです。これらの大部分が一般財源の負担になるわけですから、自治体が社会資本をできるだけ減らしたいと考えるのは当然です。

では、国や自治体からすれば、社会資本を更新しないためにどのような理由付けができるのでしょうか。そこで喧伝されてきたのが人口減少です。社会資本を更新するということは、今後も長い間にわたってそれを使い続けるだけの住民が存在することを前提とします。しかし、人口減少が急速に進むことが確実ななかで、すべての社会資本を更新することは政策的にみて非合理な判断となるでしょう。

このように、社会資本の老朽化、財政ひっ迫、人口減少という3つの社会的要因が、「社会資本の縮小」という政策課題に収れんしているのです。

「社会資本の縮小」の論理の陥弊

「社会資本の縮小」はいまの日本の状況をみれば明快かつ合理的な政策方向に思われます。しかし、そのような合理的な政策には考慮すべき重要な社会的影響が抜け落ちていることが少なくありません。

一つには、「社会資本の縮小」の論理においては個人の基本的人権という視点が弱くなります。たとえば、橋梁の廃止・撤去という事態は、それを利用してきた人々の移動権を著しく制約することにつながりかねないものです。人は移動を通じて社会活動を十全に行うことが可能であり、それをいかに保障するかは重大な政策課題です。また、学校の統廃合は徒歩で登下校する子どもたちの地域の営みを通じた学びを阻害するものになるかもしれません。同質的な個人を前提として財政効率を優先する政策論理は、一人ひとりの個人の基本的人権という側面を看過しがちになります。

もう一つの問題はコミュニティーという観点が抜け落ちてしまっていることです。道路や水道のようなインフラも学校や福祉施設などの公共施設も、地域の共同社会のための社会資本です。それらが地域社会に溶け込むように存在・機能することによって、地域の生産や生活が滞りなく行われています。そのような活動を通じて、人々はさまざまなコミュニティーを形成しています。このような人と人とのつながりのなかで、わたしたちはそれぞれの地域において安心で健全な暮らしを営んでいます。

「社会資本の縮小」の論理には、このような人と人とのつながり=コミュニティーという視点が欠落しています。これは現代の社会科学の欠点をそのまま映し出しているものといえます。経済学にせよ行政学にせよ、現在の主流派といわれる社会科学では「個人」を単位とした社会の理解を進めることが「科学」たりえる要件だと考え、「個人」を基礎においた論理づけを徹底してきました。このような前提に立てば、「社会資本の縮小」を推し進めることはスッキリとした政策論理といえるでしょう。しかし、現実の社会は「個人」同士がつながりあって社会を発展させるコミュニティーの力が厳然と備わっています。とくに日本社会にはこのようなコミュニティーの存在が歴史的に強く地域を支えてきたことが多くの研究によって示されてきました。コミュニティーは一朝一夕に形成されるものではなく、その将来に多大な影響を及ぼす政策に対しては慎重でなければなりません。

社会資本はこのコミュニティーの基盤そのものであり、「社会資本の縮小」の論理はこの点を等閑視しています。「社会資本の縮小」は社会科学のあり方そのものへの挑戦でもあるのです。

賢い縮小社会

個人の基本的人権という視点にたてば、何がなんでも「社会資本の廃止に反対」という立場に固執しがちになります。しかし、そのときには「では財源はどうするのか」という重要な問いを無視し、「それは勝手に考えろ」といった、財政責任を負わない言動を肯定することにもなりがちです。実は、筆者は自治体によっては社会資本の縮小は不可避であるという立場をとっていますが、そうした言葉を発するだけで猛烈な非難を浴びてきた経験も一度や二度ではありません。「社会資本をすべて維持すべきだ」という耳に優しい言葉を繰り返していて事足りるのであれば、精神的にもこれほど楽なことはありません。しかし、それでは自治体が直面する諸問題は何ら解決することがなく、政策に関わる立場にあるものとしては無責任な態度になりかねません。

自治体をめぐる喫緊の財政状況はきわめて厳しくなっています。そのため、社会資本をそのまま更新するのかどうかについても、財政状況を踏まえた多角的・総合的な政策判断が求められています。

かりに社会資本の縮小が避けられないのであれば、それを上手に推し進めていく方策を見いだしていかなければなりません。自治体のなかには、さいたま市や新潟市のように地域住民によるワークショップを適切に活用しながら、公共施設の複合化を展開しようとしている事例であったり、長野県飯田市のように地域自治組織にそれぞれの抱える公共施設の存廃や活用方策の検討を委ねる取り組みを行っているところがあったりします。このような自治体では多くの時間とコストをかけて粘り強い地域との対話を進めています。そこには公共施設の統廃合という結果ではなく、その過程=プロセスを重視することがこの問題を解決する鍵をにぎることが示されています。

また、社会資本の廃止は原則として行わず、国の財政措置をうまく活用しながらほぼすべての社会資本を長寿命化事業で残していこうという大阪府堺市のような自治体もあります。この場合には統廃合のケースよりも維持管理の財政負担は大きくなりますが、各地域での混乱は避けることができるでしょう。

しかし、多くの自治体では行政が一方的に社会資本の縮小へ向けた計画策定を先行させ、それを地域へ下ろしていくというやり方をとっています。その際の論理としては、本論文でもみた三つの社会的要因による説明を使っています。そこでは、個人の基本的人権やコミュニティーという問題が行政と住民との間で先鋭的なかたちで議論になるケースが多く発生しています。

社会資本の将来は縮小一辺倒ではありえません。医療・福祉や教育など、今後多くの地域社会で必要となる新しい公共施設も適切に拡充していかなければなりません。それらの社会資本への要求は地域によって多様なものにならざるをえず、その建設や管理の主体も行政が画一的に担うというものではなくなっています。その一方では、既存の社会資本の縮小をはかっていくことも求められるという、大変複雑な状況が眼前で生じているのです。

わたしたちはいま、社会資本の老朽化=地域社会の危機という時代認識をきちんと持ち、今後それぞれがどのような地域福祉社会をつくっていくのかを考えなければなりません。その場合の原動力を担うのはやはり地方自治体です。自治体が地域住民・コミュニティーの実相を正しく評価し、それらとの相互連携を通じて地域の未来の共通像を描き、社会資本をめぐる共同事業を一緒になって推し進めていくことは、国家の存亡にも直結する重大な取り組みです。

一律的な解答が存在しないなか、それぞれの自治体や住民が自らの「賢い縮小社会」へ向けた試行錯誤を繰り返しながら地域を発展させることが求められているのです。

【注】

  • 1 不動産証券化手法等による公的不動産(PRE)の活用のあり方に関する検討会『公的不動産(PRE)の活用事例集』2015年5月。
  • 2 内閣府『日本の社会資本2017』2017年12月。
  • 3 国土交通省『社会資本メンテナンス戦略小委員会(第3期)開催までの経緯及びこれまでの維持管理・更新に係る国土交通省の取り組みについて』2017年12月。
  • 4 学校施設の在り方に関する調査研究協力者会議『学校施設の老朽化対策について』2013年3月。
  • 5 厚生労働省『水道事業における官民連携について』2017年12月。
  • 6 学校施設の在り方に関する調査研究協力者会議、前掲。
森 裕之

1967年大阪府生まれ。1990年大阪市立大学商学部卒業。1993年高知大学助手、1997年大阪教育大学専任講師、2003年立命館大学助教授を経て、2009年から立命館大学教授。近著『市民と議会のための自治体財政』など。