【論文】コロナ禍の先に―新しい観光に向けて


移動が制約された約1年の経験を踏まえ、これからの観光のあり方についていくつかの論点を提示します。

はじめに

観光がほぼ停止に近い状況に陥って、早いもので1年が経過しました。訪日外国人旅行者4000万人達成が目標に掲げられた2020年でしたが、結果は411万人と対目標値比でその10%、前年比で13%(3188万人)と著しく低い値となりました。インバウンドだけでなく、国内旅行者数も大きく減少し、宿泊・日帰り合わせた日本人国内延べ旅行者数は2億9177万人、前年比50%でした。東日本大震災以降2019年までの訪日外国人旅行者数の伸びは著しく、他方で国内旅行者数はインバウンドと比較すると大きな変動がなかったこともあり、インバウンドに偏重した観光への期待が膨張していました。そこを新型コロナウイルス感染症が襲いました。そのため、昨年の観光の急収縮は単に旅行者数の減少とそれに伴う経済的なダメージにとどまらず、観光そのものの先行きに対する落胆や不安をもたらしています。

本稿ではこの1年ほどの観光の状況を概観し、コロナ禍で顕在化したこれまでの観光振興の諸問題について検討します。その上で、観光を含む人の移動が制約されたこの間の経験を踏まえ、これからの観光のあり方についていくつかの論点を提示したいと思います。

コロナ禍のなかの観光

新型コロナウイルス感染症の拡大が観光に影響を及ぼし始めたのは、インバウンドでは2020年2月以降、アウトバウンド(日本人による海外旅行)および国内旅行については3月以降でした。これに伴い、国内の宿泊業や旅行業、貸し切りバス事業者では、2月ごろから徐々に予約の減少がはじまり、緊急事態宣言の影響によって4、5月は多くがほぼ営業停止に近い状況になりました。その後、いずれも若干の回復傾向を見せますが、年間を通じて売上額の減少というマイナスの影響が続きました。人の移動が制約され、かつ「密」の回避が不可欠な状況が続くなかで、観光関連事業者の多くが苦境に置かれています。

観光関連事業者だけでなく、観光をする側および観光者を受け入れる地域の側の、ある種抑圧された状況にも目を向ける必要があります。「Go To トラベル」に背中を押され、昨年9月から11月にかけて一時的に国内旅行が盛り上がりをみせました。自粛生活のストレスと、抑制されていた観光欲求の解放という二重の「解放」現象でした。しかし、実際は感染拡大の懸念と、どこか後ろめたさを抱えての観光となりました。

「Go To トラベル」は、割引というインセンティブを付与して、人びとを観光に駆り立てることで経済活動を促進することを狙ったものです。苦境の観光産業を一時的に支援する側面をもちましたが、ここには観光を育てるとか、観光をよりよいものにするという観点は含まれていません。また運用開始のタイミングを見誤ったことや休止の判断が遅れたこと、高級ホテルなど高価格帯のサービス提供者と利用者にその恩恵が偏ったことなど、多くの問題が指摘されています。観光産業の危機への対応として何をすべきか、また観光需要回復に真に必要なことは何かをしっかり見据えて、対策を打つことが必要です。

コロナ禍での新たな取り組み

出口がみえない状況のなかでも、この苦境を克服しようとする力強い取り組みや、これを機にこれまでの取り組みを見直し、新しい観光を模索する動きもあります。たとえば供給側では、インターネットを利用したオンラインツアーやバーチャル宿泊体験、宿泊施設の中長期滞在サービス提供や客室でのテレワーク利用の促進など、コロナ禍での新しいニーズへの柔軟な対応がみられます。リゾート地や観光地で休暇とリモートワークを両立させる「ワーケーション」についても、社会的な認識が広がるにつれ、普及促進に力をいれる地域が目立ってきました。

需要側も、旅に出たい欲求を抑制せざるをえない状況下で、どのような形であれば観光が可能かを探りながら、その欲求の実現を模索しています。そのなかでも、実現可能性の高さからもっとも期待されているのが、星野リゾートが提唱した「マイクロツーリズム」(身近な地域の観光)でしょう。

これらの多くはいまの苦境を耐え忍ぶなかで広がりを持ったものですが、同時に先を見据えた新しい展開への足がかりを含んでいます。たとえばオンラインツアーやバーチャル体験などは、移動の制約が解ければ今ほどの需要を維持することは難しくなると想定されますが、他方でリアル観光への誘客促進やアトラクションとしての参加型の機能はより重視されるようになるでしょう。またマイクロツーリズムは、いまは需要回復の初動策としてその効果が期待されるところですが、これによって身近な地域の文化や自然と向き合う機会をもつ人が増えることになったり、消費を通じて地元の産業を支える・応援するという機運が高まったりしています。他にも観光関連事業者が雇用を守るため、農業などの人手不足の領域に従業員を派遣するなど業種を超えた連携が生まれています。

こうした相互に協力しあうことのなかで、新たな気づきや関係が生まれています。それが新しい地域づくりや観光につながる種となり芽吹いていくことに期待するとともに、芽吹きを促進する支援こそ必要であると考えます。

これまでの観光振興の諸問題

国の観光政策はこれまでインバウンド推進に注力してきました。東京オリンピック・パラリンピックも、インバウンドを増加させるショーケースとしての役割が大いに期待されていたところです。また地方自治体も、人口減少に伴って減衰する地域経済の存続を観光に託して、海外からの誘客に熱心に取り組んできました。その結果、コロナ禍直前までは「オーバーツーリズム」(観光過剰)と称される状況が生じるところもでてきたほどでした。ところが今はその真逆の状況が各地を苦しませています。果たして、これまでの政策や取り組みは正しかったのか、そんな疑問が提起されるのも無理のないことです。実際、インバウンド需要が消滅したことで観光産業や観光地が大きなダメージを受けたのは、観光立国政策のインバウンド「依存」に起因するという見方もあります。

観光立国政策がインバウンドのための環境整備や訪日プロモーションに傾斜していることは、政策文書や予算配分を見ても明らかです。一方、これまで日本は海外からの来訪者を主体的に迎え入れようとする環境ではなかったことを考えると、こうした取り組みが一定の意味を持ったことも確かです。では問題はどこにあるのでしょう。

*訪日プロモーション:訪日旅行促進事業。

第1に、これまでの観光政策が観光の経済効果ばかりを追求し、観光需要を増やすための「アクセル」しか踏んでこなかったという点です。

本来、観光政策には観光を推進する「アクセル」と、観光がもたらす負の側面をコントロールする「ブレーキ」の両方が必要です。これまでの観光立国政策や各地の取り組みの多くは、「アクセル」だけだったといっても過言ではありません。オーバーツーリズムの問題に注目が集まるようになって、ようやくその対処に乗り出す自治体が出てきた状況でした。

ここに第2の問題がみて取れます。それは、「住んでよし、訪れてよし」といいつつも、政策的には地域社会や地域生活の存続や豊かさの実現が、どこか従属的な扱いになっている点です。このようなスタンスが、インバウンド「依存」という状況や批判につながっているのでしょう。

市場に委ねているだけでは経済利益優先に陥ります。ましてや政策も「アクセル」を踏んでいるだけでは、観光がもたらす負の側面はますます拡大します。「アクセル」と「ブレーキ」をバランスよく機能させるためには、観光事業者だけでなく、直接観光に関わらない多様な利害関係者を巻き込んで、地域社会が抱える課題や方針を検討するプラットフォームが必要です。国は観光地マネジメント/マーケティング組織(DMO)登録制度をつくり、地域で観光をマネジメントしていくことを推奨していますが、観光に直接関わらない利害関係者を十分巻き込めているとはいえません。観光という現象をとおして、観光以外の部門や人びととの連携・協働の仕組みを機能させられるかがひとつの鍵といえるでしょう。

第3の問題は、観光の脆弱性を軽視してきた点です。観光は、気候や自然災害、国際情勢、国内政治など外的要因に影響されやすく、その不安定性の克服やリスクヘッジ(危機への備え)はひとつの課題であり続けています。そうした観光の特性を軽視してきたことが今回のコロナ禍で露呈しました。テロや災害等による需要の落ち込みは長くは続かないといわれてきたので、今回の事態はこれまでとは様相が異なるところがあるのも事実です。しかし、だからこそ、この現状をしっかりと分析し、観光の不安定要素にどこまでどう対応していくのかを見極め、レジリエンス(対応力・回復力)を高める施策を講じることが政策には求められるのです。

これからの観光を考える

観光ができないという状況のなかで改めて観光を考えると、私たちにとって「観光」とは何なのか、どういう意味がある行為なのかが見えてきます。ここでは少し視野を広げて現状を俯瞰し、これからの観光を考える時の論点について、さしあたり3点ほど指摘しておきたいと思います。

①「リアル」の価値

移動自粛と情報通信技術の利用の普及は、私たちに対面でのコミュニケーションの意味を明確に再認識させました。観光分野ではオンラインツアーなどさまざまな非対面の試みが進められていますが、観光の要は日常とは異なる地での新しい発見や共感を伴う体験、人との交流という「リアル」です。そして多くの人びとのこうした行為の蓄積が、空間的距離(境界)を超えた人と人、人と自然とのリアルな関係の構築(再構築)を促します。市場経済の浸透と情報技術の進展によって、モノ(商品)の先にある人の存在が見えなくなった時代に、観光を通じた新しい関係、いわゆる顔の見える関係が切り結ばれつつあります。観光事業者はモノやサービスの提供だけではなく、それを通じた関係者や来訪者との交流・関係づくりを軸として、これから何をすべきか考えていくことが重要になるでしょう。

②情報通信技術の活用

ここでは2点指摘しておきます。ひとつはリアルな観光の前後での活用です。このことが、人と人の関係をつくり、つながりを維持することに貢献する面があります。いまひとつは「密」の回避のための活用です。もっといえば、「移動」の管理のための活用です。移動管理は環境対策や観光の負の側面をコントロールするという観点から、今後ますます求められることになるでしょう。とはいえ、他方で移動の自由も担保されなくてはなりません。この矛盾を乗り越えることができるのは、情報通信技術の民主的運用であり、今後本格的に検討していくことが求められます。

③地球環境への配慮─グリーン&スロー

コロナ禍は環境という課題を直接突き付けたわけではありませんが、経済活動が停止したことで温室効果ガスの排出量が減少したことや、環境問題と同様地球レベルで対応しなければならないという点でより意識化されるところとなりました。とくに、移動が止まったことは、観光と環境の関わりを考える機会になりました。

欧州を中心に観光の環境負荷に対する意識は高まっており、「フライトシェイム」(温室効果ガスの排出量の大きい飛行機利用を避ける)運動をはじめとして、余暇の過ごし方や旅行先の選択に「環境配慮」という観点が加わりつつあります。例えば頻繁な航空利用に課税する案や、飛行機を利用せずに休暇を過ごす従業員に対し追加の休暇を付与する取り組みなどがその一例です。航空利用低減策にはその効果を疑問視する声や批判がありますが、とくに若年層の環境に対する意識は高まっており、これが移動手段のみならずモノやサービスの購買行動に大きく影響してくることは不可避です。こうした環境配慮の取り組みを、移動や観光の「制約」としてではなく、私たち自らが選ぶグリーンでスローな「新しい観光」として広げていくことが重要です。

おわりに

コロナ禍という一種の災害の下で、自粛を余儀なくされ、私たちは働き方を含め、暮らしのあり方やそれに対する価値観を見直すことになりました。ちょうど10年前の東日本大震災のときにも同様の経験をしました。価値観や生活様式を見直す機会が頻繁に起きるなかで、私たちはそろそろ、より主体的に現状を変えるアクションを起こしていかなくてはならない段階にきているように感じます。観光についていえば、目指すべきはいままでの状況に戻ることではなく、「新しい観光」に生まれ変わらせることです。

今年は観光立国推進基本計画(2017年3月28日閣議決定)の改定の年であり、いま審議会でその内容が検討されているようです。社会的変化の先を見据え、地域に芽生えた新しい関係性や取り組みを支援する「新しい観光」の実現に向けた政策が求められます。

【注】