【論文】災害時、誰も置き去りにしないために―西日本豪雨災害での避難所「まきび荘」の教訓


官・民・学、多職種の連携・協働の実際と心身に配慮した避難所の実現のために「まきび荘」でできたことを各地で起こる災害時にも活用できるようにさまざまな事例を紹介します。

はじめに

福祉避難所を一次避難所として開設できるようにと、今年5月に国の「福祉避難所の確保・運営ガイドライン」の改定がありました。緊急時の一次避難所として福祉避難所に避難できれば安心ですし、避難を躊躇する方も減るかもしれません。とはいえ、施設側の体制を整えるには時間がかかるかと……。

現在は、新型コロナの感染対策から縁故避難や宿泊所利用、車中泊避難、デイサービス、ショートステイ、レスパイト入院などの分散避難が進められ、「避難所」の選択は希望を優先されないこともありますが、地域によっては、そもそも避難できるところが限られており近くの避難所しか選択できない方々もいらっしゃいます。

*レスパイト入院:レスパイト(respite)とは「一時休止」「息抜き」「休息」という意味。レスパイト入院とは障害や難病を持つ人で、介護者の事情により一時的に在宅介護が困難となった場合に短期間の入院を利用すること。

では、そのような方々を受け入れる避難所ではどんな支援が必要なのか? 過酷といわれる避難所の環境をどのように改善していけばよいのか? どんな工夫ができるのか? そのためのヒントになればと2018年の西日本豪雨災害時の「まきび荘」での取り組みを紹介します。

福祉的避難所となった高齢者の憩いの場、老人福祉センター「まきび荘」

この施設は真備町内(岡山県倉敷市)の小高い丘の上にあり、普段は高齢者の皆さんがゲートボールや手芸などを楽しまれるカルチャーセンターのような所で、災害時には指定避難所となる施設です。老朽化が進み2018年7月に耐震工事の予定があったので、同月の西日本豪雨災害では緊急避難所としては開設されませんでした。

真備町内には倉敷市が指定していた福祉避難所(洪水時用)は1カ所しかなく、一次避難で環境の整わないなかで避難生活の継続が困難な方は主に町外の福祉避難所へ移られていました。しかし受け入れ人数の不足があり、新たに福祉的避難所として「まきび荘」が西日本豪雨災害の発災から約1カ月後の2018年8月18日に開設されることになりました。また、最終的に他の避難所からの集約先避難所となりました(同年12月13日閉所)。

運営母体は倉敷市、日勤と夜勤の2交代制で、倉敷市職員と応援市町の職員が24時間常駐対応されました。運営支援および救護支援としてNPO法人九州キリスト災害支援センター災害看護支援部(九キ災)と特定非営利活動法人災害看護支援機構(DNSO)のふたつのNPO看護チームが連携・協働し、24時間常駐体制を作り支援にあたりました。

高齢独居、がん手術後、精神疾患、発達障害の子どもたち、思春期、歩行器使用、慢性疾患、難病、聴力障害や視覚障害、食事制限が必要な方など、3カ月のベビーから90歳代の高齢者まで何らかの配慮や支援が必要な方々が避難して来られ、豪雨災害による避難者63名に加え、開設期間中の台風による一次避難者70名が「まきび荘」で避難生活を送られました。

恐ろしい体験をし、多くの物を失い、プライバシーの保たれない不自由な避難生活を送らなければならない方々の「心身の健康が守られ、生活再建への気力を失わず」に過酷な避難生活を乗り越えていくために、この「まきび荘」で取り組んできたことを共有し、福祉避難所に限らず次期災害時に活かしてもらえることを願っています。

避難所運営支援で大切にしていること

・尊厳ある生活への権利

・人道支援を受ける権利

・保護と安全への権利

「避難所の質の向上」を目指す国際基準である「スフィア・スタンダード」には人道支援の現場で活動するNGOが最低限守らなければならない指標(ガイドライン)として、この3つが挙げられています。

*スフィア・スタンダード(sphere standard)(スフィア基準):災害や紛争などの被災者に対する人道支援活動を行う各種機関や個人が、現場で守るべき最低基準。正式名称は「人道憲章と人道対応に関する最低基準」。

避難所の環境を良くすると「避難者が居つく」「避難者の自立を妨げる」などと被災地でよく言われますが、まったくもって失礼な話です。災害が起きるまでは「より良い生活を目指して日常を営む納税者」であったわけですし、避難所であっても同じです。

ナイチンゲールはこう言っていました。「病院は患者に害を与える所であってはならない」と。避難所が被災者や避難者に害を与える所であってはなりません。理不尽な我慢を強いられたり、健康を損なうような環境であったり、ストレスを受けるような所であってはならないと考えます。

支援者が気を付けなければならないことは、何といっても「配慮をする」ということです。物理的に避難所の環境を整え、心身のストレスの軽減を図ること、心身の健康増進を図り関連死を防ぐこと、生活再建ができるように避難所を出た後のことも考慮して支援をつなぐことが大切だと考えます。

官・民・学、多職種の連携・協働

災害支援において必要な支援が必要なところへタイムリーに届けられるよう、漏れなく、ムラなく、ダブりなく支援ができるように、支援者間(行政関連機関、NPO、大学、企業、多職種等々)の情報共有および連携・協働を図ることは不可欠です。行政でなければ動かせないことでは官の力が必要ですし、個別対応が必要な支援には民間の力が活かされます。

熊本地震災害支援の際につながりのできたJVOAD(認定NPO全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)をはじめさまざまな支援者とは、どこがどんな支援をしているのか知っていたことや顔の見える関係であったことから、避難所の環境改善、食環境の改善、人材の募集・配置、物資や備品の調達、助成金申請などについても相談や支援の依頼もスムーズにでき、大きなメリットであったと感じます。

当時、真備町の指定避難所にはいくつかのNPOが運営支援に入っており、福祉的避難所という特殊な立ち位置で開設する「まきび荘」の運営にあたっても、市職員のみでなく福祉的な配慮や避難所運営および被災者支援の経験がある外部支援者を「まきび荘」にも入れた方が良いのでは? とのことで、倉敷市と連携・協働を図っていたJVOADやPBV(一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター)が「何か協力ができないか」と倉敷市避難所担当職員と協議を行い、支援に入ることになったという経緯があります。

また、新たに岡山でつながりのできた支援者も多く、「まきび荘」にも物心共にたくさんの支援をいただきました。避難所解消後も継続して地域支援と今後の災害に備えて連携・協働を図っています。「災害ネットワーク岡山」もその一つで、事務局は特定非営利活動法人岡山NPOセンターにあり、災害時の民間による支援活動を効果的かつ協働して行うために、平時・発災時問わず、広くネットワークを組み、被災地の状況や各自の取り組みの共有、行政との連絡調整、協働での取り組みの検討と創出などを行うことにより、被災時に誰ひとり取り残さない支援の実現を目指しています。現在、「被災家屋」「避難所・仮設住宅(復興支援住宅)」「在宅避難者」「生業・仕事」「物資」の4つの部会で災害支援に関する取り組みの整理や復旧・復興に役立つツールの開発、連携・協働に取り組んでいます。

「まきび荘」でいろいろな取り組みができたのは、連携・協働の賜物ですが、なかでも避難所運営に当たられている倉敷市職員との連携がスムーズであったことも大きな要因です。そもそも倉敷市の受援力の高さも大きかったと考えます。倉敷市は毎日入れ替わる市職員とは別に「固定リーダー制」を取り入れ、判断や決断のできる立場の市職員が避難所ごとに1名ずつ配置されており、報告・連絡・相談がしやすく、課題解決を進める上でもスムーズでした。市職員の方々との連携・協働により、民間だけでは介入できないこともそのご尽力で改善することができました。

「まきび荘」での支援の実際

具体的な支援としては、途切れない支援のために毎朝情報共有会議を開きました。話し合われた内容は、まきび荘の環境整備や避難されている方の健康状態および生活再建の進み具合、仮設の環境について(手すりはついているのか? 段差はどうか? 買い物はできるのか? 近くに助けてくれる人はいるのか? 通院はできるのか?など)等々。そこであがった課題を支援につなげます。例えば、手すりが必要なら福祉系の支援者に連携を図ってもらいます。

参加者は避難所運営の市の職員、倉敷市や応援市町の保健師、支援NPOの看護師、地域の医療・保健・福祉チーム(クララ)、地域包括支援センター、社会福祉協議会、訪問看護ステーションなどです。外部から支援に入っている者だけで対応していると、引き上げた後、支援がつながらなくなるので、必ず行政の方や地域の福祉の方に参加してもらいます。

避難されている当事者にも参加していただきたかったのですが仕事や被災家屋の片付けへ出られる方が多く、福祉的避難所という特性もあり当事者の声は個別にお話を伺うことにしていました。当事者の参加については避難所の特性によっていろいろだと思います。

「まきび荘」での物資支援。(筆者提供)

避難所の環境改善や食環境改善のために工夫したこと、できたことから

  • 避難所の始めから終わりまでを通しで見られるよう、スタッフを配置した。
  • JVOADや岡山NPOセンターが中心となって開催していた情報共有会議に出席することにより、避難所の状況を伝え必要な支援につなげることができた。
  • 中間支援組織の助成金などによって避難所で必要な備品等の調達がスムーズにできた。特に「ももたろう基金」は避難所ごとに必要な物をすぐに購入できるように現金が分配されていたため、役所の手続きを通さずに使用できた(管理は避難所配置の市職員)。
  • Amazonの欲しいものリストを公開する「スマートサプライ」を活用した。
  • 寝食のスペースを分けて、食堂兼サロンスペースを設置した。
  • 運営本部と救護所はサロン横に設置し、個人情報などの書類などがあるので、部分的にパーテーションで区切りセミオープンな立て付けにした。物理的な壁をなくし、お互いの様子がわかり声のかけやすい環境を作った。
  • 看護師が常駐することで行政職員と避難されている方々との緩衝材になり、摩擦やトラブルやストレスの軽減になった。生活再建の進み具合なども尋ねやすい。
  • 避難所のルールやタイムスケジュールなどの変更がある場合は、必ず理由説明を行った。
  • 避難所内や建設型仮設住宅の段差など、危険個所に蓄光テープや手すりを設置した。
  • ナースコールを手配し設置した(トイレや浴室・学習室など)。
  • 避難所内の和式トイレを洋式へ変更(置き型の洋式便座)した。
  • 生理用品や紙パンツなどは浴室の脱衣場に自由に持ち出せるように設置した。また、必要時に使えるようトイレの個室内にも多めに設置した。
  • ラップポントイレと専用ブースを設置した。
  • 感染者対策および多目的プレハブ救護所を設置した(空調設備やベッドなどの必要物品も)。
  • 大型空気清浄機や空間除菌剤を設置した。
  • 足踏み式ふたつきごみ箱を設置した(感染予防)。
  • 掲示物を工夫した(威圧的にならないように、また高齢者や子どもたちにも見やすいように、イラストを使ったり文字の大きさや字体、色、掲示する場所や高さなどにも工夫)。
  • 電子レンジとトースターを設置することで、冷たいごはんやおかずやパンを温めることができるようになった。
  • 調理時の注意や食中毒予防のための具体的なマニュアル作成により、調理室を使用可にした。
  • 調理器具や食材(アレルギー用および糖尿病用などの特殊食材含む)を調達した。
  • 調理スタッフを募集し配置した。
  • 避難所開設3日目から、食物繊維とタンパク質がとれる具だくさんの汁物を毎食提供した。
  • 甘い菓子パンから食パンやロールパン、おかずパンに変更した。
  • 最終的には調理室でお米を炊き、予算の工面をして栄養バランスの取れた日替わりお弁当(おかずのみ)へ変更することで、炊きたてご飯と家庭的な汁物と飽きの来ないおかずを提供できるようになった。
  • 炊き出しやイベント、リラクゼーション、子ども支援などを誘致した。
  • 受験生や児童、学生のために学習室を設置した(夜間使用が多いのでナースコールや電気スタンドなども整備)。
  • 買い出しや看護師の送迎用レンタカーを整備した。
  • 看護師用宿舎を整備した。
  • 通販会社やNPOに依頼し、早めに冬物(寝具・衣類)の調達をした。
  • ヒートショック予防のために、浴室や脱衣場の寒さ対策(ウレタンシート貼りなど)と暖房機の調達、等々。

*ラップポントイレ:水を使わず、熱圧着によって排泄物を1回毎にラップ(個包装)して密封するポータブルトイレ。自治体等の災害用備蓄のほか、介護施設や病院にも導入されている。

まとめ

日本の避難所の環境改善については課題山積ですが、できないことばかりでなくそれぞれ工夫がされているはずです。次の災害時、その工夫が活かされるように、その工夫をもっと人の目に触れるようにしたいと常々思っていました。

「福祉的避難所」という位置づけで開設された「まきび荘」は、看護師の目で避難所運営を24時間常駐サポートする(しかも、始めから終わりまで固定スタッフの常駐もいる)という画期的な避難所であったと思います。市職員とNPOの看護師とでうまく連携できた貴重な例であり、官・民・学、多職種の連携協働が機能した避難所運営であったと思います。ところが、かなり画期的であったはずの「まきび荘」の事例があまり公表されていないことがとても残念でした。

このたび、このような機会をいただき心から感謝申し上げるとともに、「まきび荘」での取り組みが活かされるように切に願います。

山中 弓子

1968年、兵庫県神戸市生まれ。NPOで親子支援・災害看護支援に従事(阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本大分地震、九州北部豪雨災害、西日本豪雨災害などにて避難所運営支援および救護、地域支援、防災公園活動など)。