【論文】「生活防災」─「ふだん」と「まさか」をつなぐ─


特集 災害と避難 誰ひとり取り残さない協働の地域づくり

相次ぐ災害に対して災害の恐ろしさばかり強調され、市民があきらめたり、逆に油断したり、あるいは行政にお任せしたりしまいがちです。そうではなく、「我がこと」として災害に立ち向かい、自助・共助・公助の枠組みを超えて命を守るための協働をどのように実現するか。国・自治体はそこに対してどのように責任を持つのか。具体的な事例から学びたいと思います。

「生活防災」─「ふだん」と「まさか」をつなぐ─

防災活動の秘訣は「ふだん」と「まさか」の連携にあります。つまり、日常の暮らしと災害対策を結びつけることがポイントです。「生活防災」はそのための知恵の一つです。

「ふだん」と「まさか」

「ふだん」と「まさか」。これは、日常時と非常時ということですから、両者はまったくちがう性質をもっていて、一見すると無関係のように思えます。しかし、案外そうでもありません。たとえば、防災業界では、「ふだん」できないことは「まさか」のときにもできませんよ、とよく言われます。「ふだん」歯が立たない難問が、試験の時に限ってすらすら解けることがないのも同様です。「ふだん」が「まさか」のときのパフォーマンスに影響するという意味で、両者は関係し合っています。

あるいは、この川は絶対にあふれない、この地方には大きな地震はないなどと、「ふだん」強く思い込んでいればいるほど、「まさか」が起こってしまったときの驚き、つまり、「想定外だ!」は大きくなります。「ふだん」の油断が「まさか」の衝撃を高めているという意味で、やはり両者は関係し合っています。

筆者は、17年ほど前、『〈生活防災〉のすすめ』という本を書きました。防災は特別な活動ではない、「ふだん」の生活、言いかえれば日常の暮らしが、そのまま、防災、つまり「まさか」のときの備えになるような、そんな「生活=防災」を目指しましょう。こういう趣旨でした。その重要性は今も変わらないと思っています。

東日本大震災の被災地から

被災地によいお手本がいくつかあります。たとえば、岩手県野田村の野田村保育所の事例を見てみましょう。

2011年3月11日、野田村には、地震発生から約45分後、高さ15メートルを超える津波が押し寄せ、37人が亡くなり、全半壊家屋450戸以上を数えました。そのようなきびしい状況の中、海岸からの距離約500メートル、海抜数メートルの低地に位置していた野田村保育所では、100人以上の園児と職員が全員無事に保育所から500メートル以上離れた高台への避難を完了させ、犠牲者は幸い一人もいませんでした(写真1)。

写真1

津波で流出した野田村保育所(当時)(筆者撮影)

ここでは、筆者が保育所の関係者から聞き取ったことの中から、「生活防災」の視点から大切だと思われる点を箇条書きで列挙しておきます。

・保育所では、毎月1回避難訓練を実施していた。しかも、「ふだん」通り、おやつを食べているとき、昼寝の最中、屋外で遊んでいるとき、親子の園庭開放をしているときなど、さまざまな状況を想定して訓練を繰り返していた。

・避難訓練だけでなく、「ふだん」の「早足散歩」(行きは早足、帰りはゆっくり歩く)で、避難予定場所までの経路や所要時間を探っていた。それによって、子どもがどのくらいのスピードで移動できるのか、他にルートはないのか、天候や季節による避難路のコンディションのちがい、たとえば、雨天時のぬかるみ、冬季の凍結や積雪、夏季の雑草などをチェックしていた。

・園児の名簿(出欠簿)は、「ふだん」から救急箱に入れていた。緊急時は、各クラスの担当が持ち出すことになっていた。3月11日も、その手順通りに事が進んだ。

以上からわかることは、奇跡的な避難を支えた要因のほとんどが、事前の準備、とりわけ、「ふだん」の生活の中に由来しているということです。特に、「ふだん」の日課がそのまま「まさか」のときの避難訓練にもなっている「早足散歩」のエピソードは、「生活防災」の重要性を非常に印象的な形で立証しています。

台湾流の「生活防災」

「ふだん」と「まさか」を巧みに連携させて防災・減災対策を進めている別の事例を、台湾のコミュニティで見つけました。そこは、台北市郊外、斜面沿いに広がった新興住宅地で、2014年、土砂災害で大きな被害が出た広島市郊外と似た場所でした。

感心したのは、小さな農園とキッチンが付いたコミュニティセンターが果たしている役割でした。このキッチンでは、「ふだん」、一人暮らしの高齢者などのために、自治会の役員(「防災専員」という名の自主防災組織のメンバーを兼任)たちが、週5回も食事を作っています。宅配もしています。その食材の一部は自家農園のもので、それ以外にも結構な量の食材ストックがありました(写真2)。

写真2

台湾のコミュニティセンターのキッチン(筆者撮影)

この仕組みが、「まさか」のときには、直ちに、避難所施設、もっと言えば福祉避難所に転用されます。毎日炊き出しの練習をしているようなものですし、食料庫はいつも(ローリング)ストックで満杯です。高齢者にとっても、「ふだん」行きつけの場所が、そのまま(福祉)避難所だから、これほど安心なことはありません。

足の不自由な高齢者のために、ワゴンタイプのクルマもコミュニティで準備していました。「ふだん」は高齢者の送迎に活用し、「まさか」のときには、避難情報の広報に活躍、場合によって、避難所(センター)への搬送にも利用されます。その際、警察の許可を得て鳴らすパトライトとサイレンも装備していました。「ふだん」世話をしてもらっているスタッフが迎えにやってくるのだから、「まさか」のときの避難率も当然高まります。このクルマは、さらに、「ふだん」は防犯・交通安全などを主目的にした地区内の巡回にも使われ、その際、「排水路が詰まっている」といった防災上のポイントが発見されることもあります。

このように、このコミュニティでは、「ふだん」と「まさか」の接点があちこちに設定され、相乗効果を上げていました。

「防災=福祉」そして「防災=健康」

近年、日本政府も「防災と福祉の連携」を防災の看板政策の一つに掲げていますが、事態はさらに進んで、「防災=福祉」の様相を呈しています。試みにある集落で、「災害時要支援者リスト」を作ってみましょう。この名簿の登載者は、ほぼイコール「何らかの福祉サービスを受けている住民リスト」になるでしょう。そして、過疎・高齢化が進んだ集落では、すでに「災害時要支援者リスト」、ほぼイコール「全住民リスト」になりつつあります。この最後の等式は、別の見方をすれば、「福祉避難所」、ほぼイコール「一般の避難所」ということであり、言いかえれば、すべての避難所が福祉避難所に期待されているのと同等の環境を有するべきことを示唆しています。

少なくとも向こう30年程度 ─ちょうど、南海トラフ地震の発生が現実味を帯びてくる時期─、好むと好まざるとにかかわらず、日本社会のマジョリティ(多数派)を占めるのは高齢者です。そうだとすれば、「避難時に支援がいる」、あるいは、「念入りなサポートが必要だから」など、言わば「必要に迫られて」という理由からではなく、より積極的な意味で「防災=福祉」を防災活動の中核に据えるべきです。何せ、今後30年間は、社会全体が、文化も経済も教育も、「(高齢者)福祉」中心にまわっていくことが確実です。防災・減災に関連する活動も、当然、そこを核にした方が得策だということになります。

ただし、この考えは、さらに一歩進めることができるし、また進めた方が前向きです。それが、「防災=福祉」をより前進させた「防災=健康」の枠組み、言いかえれば、高齢者の健康づくりから入る防災です。一見、両者に大きな違いはないように思えます。デイサービスにせよ、訪問リハビリにせよ、福祉的な支援施策本体なのか(「福祉」)、そうした支援を必要とする人をできるだけ減らそう(必要となる時期をできるだけ遅らせよう、健康寿命を伸ばそう)という取り組みなのか(「健康」)、この違いに過ぎないとも言えます。これは、病気に対する治療と予防の関係でも同じことです。

ただし、防災の観点から見たときには、この両者はかなり様相を異にします。たとえば、津波避難対策で言えば、現時点で支配的な「防災=福祉」の枠組みでは、自力で避難することが困難な方への支援対策が焦点となります。「まず名簿づくりを、でも個人情報が…」、「個別避難計画の策定が努力義務化された」といった議論が展開されることになります。他方で、「防災=健康」の枠組みでは、「避難タワーの上まで毎日1回のぼる日課を」、「××避難広場までは万歩計で約×歩、合計×歩になると町内各所で使えるクーポン券がもらえます」といったアプローチになるでしょう。しばしば指摘されるように、高齢者の「ふだん」の最大の関心事は、子や孫のことを除けば、自らの健康状態です。「まさか」のことを考えるのに後ろ向きな人でも「ふだん」の健康づくりであれば関心を向けてくれる可能性も高くなります。

健康寿命の追求という「ふだん」から熱意をもって取り組める活動の中に避難という「まさか」の対策をビルトインすることは、まさに、「ふだん」と「まさか」の一挙両得です。多くの高齢者が「ふだん」から自力で避難できる体力と気力をもつ集落や社会は、億万費やして建設する津波防御施設にも匹敵する防災力を有します。同時に、それだけでなく、当事者やその家族のQOL(生活の質)も引き上げます。

まとめ

これまで述べてきたように、防災・減災のための取り組みとは、「まさか」という特別なときのための、一部の人たちだけが担う特殊な活動ではありません。むしろ、そのポイントは、ごく普通の人たちが、いかにして、「ふだん」と「まさか」を上手につなぐか、ということにあります。だれよりも自分自身が一番よく知っている「ふだん」に関わることですから、専門家に任せておけばよいとはなりません。つまり、防災を「ふだん」化させることは、自おのずと、防災の「我がこと」化にもつながります。「ふだん」の中に「まさか」を意識した仕掛けを上手に組み込むためのアイデアを、一人一人が考え実行することが大切です。

矢守 克也

現在、京都大学防災研究所教授の他、静岡大学客員教授、神戸学院大学客員教授、日本災害復興学会会長、地区防災計画学会副会長、日本自然災害学会理事などを務める。専門は防災心理学。最新刊に『防災心理学入門―豪雨・地震・津波に備える』(ナカニシヤ出版、2021年)。