【論文】「子ども期」の権利保障の総合的視点―子どもの権利条約に学ぶ


特集 いまこそ子どもを主人公に

─コロナ禍が浮き彫りにした子どもを取り巻く困難と子どもの権利

もともと社会が持っていた歪みがコロナ禍で浮き彫りになったように、子どもの困難はよりつよく明らかになっています。子どもの権利条約で保障されるべきさまざまな権利が脅かされ、特に子どもによる自己決定、自分の意思を表現する権利が奪われています。こども家庭庁は果たして子どもの視点を尊重するでしょうか。特集では真の意味で子ども自身の声を発するためのさまざまな取り組みを紹介することで、子どもの権利保障に正面から向き合いたいと思います。

「子ども期」の権利保障の総合的視点

─子どもの権利条約に学ぶ

子ども時代は二度と来ません。コロナ禍の中にあっても、子どもたちの豊かな生活を創り出し、総合的に権利を保障するための基本視点を「子どもの権利条約」の中に探ります。

「子ども時代」は二度と来ない─「withコロナ」でなすべきこと

2020年の年明けから世界的なコロナパンデミックが始まり、その後もさまざまな変異株が発生して感染ピークへのアップ・ダウンを何度も繰り返し、外出制限・集会の禁止、休校措置などに直面しつつ今日に至っています。ワクチンが開発され、大規模接種が進んでいるとはいえ、今なお変異を続けるウイルス感染収束は見通せません。

コロナウイルスと人類との「闘い」はしばらく続き、「共存」への折り合いがつくまでには、まだまだ時間がかかりそうです。予想の立たない「afterコロナ」に期待するのではなく「withコロナ」の今を見つめ、何ができるのか、何をすべきなのかを真剣に考えねばなりません。

コロナ禍のもとで生きる子どもたちへのマイナスの影響がさまざまな調査で指摘されています。何よりもまず、「のびのびと遊べない」「友達に会えない」ことにより大きなストレスを抱えています。さらに学校の休校時には、生活リズムが乱れて、不安定な心の状態に陥ったり、在宅勤務中の父母とのトラブルや確執が高まり、時として子どもへのDVや虐待さえ生じています。国立成育医療研究センターの直近の調査(2021年12月)では、6人に1人の子どもに「中等以上のうつ症状」があり、外からは見えづらい「子どもの内面」に寄り添うことの大切さが指摘されています。

子ども時代は二度と来ません。コロナ禍の中でマスク生活を強いられている子どもたちに、いつまでも「afterコロナ」を待たせるのではなく、「withコロナ」の取り組みを実現することこそが大切です。『withコロナあそびのススメ』(Art.31、2020年10月)を緊急出版し、子どもと一緒に「3密」にならない「3散(分散・拡散・発散)遊び」を工夫して、コロナに負けない多くのあそびのレシピを提案している北島尚志(アフタフ・バーバン)や、「子ども時代をデザインする」ために子ども仲間の外遊びを工夫しつつ追求し続けている神代洋一(少年少女センター)らの取り組みには、注目すべき多くのヒントがあります。

つながることを止めないーオルタナティブかつ創造的な解決策の模索を

「ガマン、している。でもやめない! 遊ぶことをやめない。学ぶことをやめない。つながることをやめない。…自分で考える。仲間と考える。思ったことを声に出す。『一番いいこと』を見つけだすために!」(子どもの権利条約31条の会)のポスター(2020年5月)の呼びかけのように、コロナ感染防止のために取り組みを「止める」のではなく、何ができるのか、どうしたらできるのかをギリギリまで子どもたちと一緒に考えて、「やめない」という選択をして実現の道を目指すことが重要な時代でしょう。

繰り返しますが、子ども時代は二度と来ません。人生にとっての基礎となる「子ども時代」「子ども期」は、人の一生にとって極めて重要な時期であり、その時期をいかに充実した時間として過ごせるかは子どもの基本的権利です。

国連子どもの権利委員会は、コロナパンデミックに向けての緊急声明(2020年4月8日)の中で、緊急事態宣言やロックダウンを「最小限のもの」に限ること、「子どもの権利に及ぼす健康面、社会面、情緒面、経済面、レクリエーション面への影響」を多面的に考慮すべきことを指摘しました。特に注目すべきは、最初の配慮事項として「休息・余暇・レクリエーションおよび文化的・芸術的活動」を享受する権利を掲げ、衛生基準を尊重しつつ「野外活動(少なくとも1日1回)」を実現すべきであるとした点です。子どもの権利条約第31条の権利を重視し、この権利の実現のために「オルタナティブかつ創造的な解決策を模索すること」を求めたのです。

それに続く課題として、オンライン学習により学びの不平等を悪化させないことや、栄養のある食事への配慮、保健的ケアと精神保健サービスの提供、子どもの保護、家族との接触維持、感染予防への正確な情報提供とアクセスの確保等の課題が指摘され、最後に次のように重要な指摘が続きます。「今回のパンデミックに関する意思決定プロセスにおいて子どもたちの意見が聴かれかつ考慮される機会を提供すること。子どもたちは、現在起きていることを理解し、かつパンデミックへの対応の際に行われる決定に参加していると感じることができるべきである」というのです。

コロナ禍の下で、子ども自身が生活と発達の主人公として、コロナ禍に主体的に立ち向かっていくために、①まず何よりも、子どもの声が聴かれること、②取り組みの決定に参加すること、参加していると実感できることにポイントがあることが示されています。

学校の一斉休校の教訓─学校が持つ総合的権利保障の役割

コロナ禍の中で行われたさまざまな調査結果を見ると、子どもの困りごとは共通しています。

「子どものからだと心・連絡会議」と日本体育大学体育研究所は、2020年に2回、長期休校中と休校明けに「子どものからだと心に関する緊急調査」を行いました。それらを見ても子どもたちの困りごとは、第1は「友達と会えないこと」、第2は「思いっきり外で遊べないこと」であり、それらは「感染症への不安」や「勉強がおくれてしまうこと」より大きいのです。一方、同じ調査でも保護者の場合は、学習の遅れや運動不足への心配の比率が高い傾向にあります。休校明けに叫ばれたのは「授業の遅れを取り戻す」「学力の遅れをどうするか」という大人の側の声でしたが、問われていたのは、子どもの生活において学校は学びの保障の場だけではないということであり、コロナ感染の長期化の中で、子どもの声を受け止め実現する学校の在り方なのです。

2020年の3月から春休みまで、全国一律に学校を休校にするという当時の安倍首相の要請はあまりにも唐突で、子どもの生活と発達に関する権利保障への配慮を欠いた措置でした。コロナウイルスの感染リスクを避け、子どもたちの命と健康、安全を第一に考えること(生存権の保障)は、最も重要なことですが、学校が子どもの生活と発達の権利保障に果たしている役割を多面的・複眼的に捉える視点を見失っていました。

休校措置は、何よりも子どもたちの学習権を失わせ、教育を受ける権利を奪うことになります。学校には、保健室や給食があり、子どもの福祉を守る場でもあり、特に虐待的・放任的な環境にいる子どもにとっては重要な保護機能を持つ「安全地帯」です。また学校には、校庭や体育館や図書室があり、子どもの遊び仲間やスポーツ・文化活動を通じて子どもの発達と文化の権利を保障する場所でもあります。

政府・自治体は新型コロナウイルス対策を進めるにあたって、常に子どもの権利を総合的に守る視点を忘れてはなりません。子どもへの感染を防ぐこと(生存権の保障)を追求しつつも、同時に子どもの生活権、学習権、遊び・文化権を保障するために知恵と創意を結集することが求められます。

例えば2020年3月、神戸市は急きょ「休校中の子どもを対象としたNPO等への活動助成」制度を作り募集要項を発表しました。コロナ感染防止のために、「屋外限定・各回10人程度・非接触・公共交通手段を利用しない」などの難しい条件がつけられたものでしたが、この助成制度を活用して「NPO法人アフタフ・バーバン関西」は、晴れた空の下で10名限定で遊ぶ活動を「晴10(せいてん)活動」と名づけて創造的な取り組みを展開しました。市内各所の学童保育と協力して、7日間で26回、約240人の子どもたちと戸外で思いっきり遊んだのです。部屋に閉じ込められ、ストレスを抱えていた子どもたちが新しい遊びを工夫し、大声を出して遊びまわる姿を見て思わず涙を流す学童保育の所長さんもいたということです。

コロナ対策として公園の遊具の使用禁止が全国的に広がった中で、神戸市の市民活動助成制度と市民団体の協力による「創造的な解決策の模索」は極めて重要な教訓です。こうした取り組みの工夫が、コロナ禍の長期化の中でますます必要になっていると思われます。

子どもの権利を多面的・複眼的に捉える─権利の総合的保障のために

改めて、子どもが健やかに育つ上で必要な課題について、すなわち「子ども期」「子ども時代」保障の必要事項を、「子どもの権利条約」に基づいて考察しておきたいと思います。

「子どもの権利条約とは何か」を説明するユニセフの文書では、条約には①生きる権利、②育つ権利、③守られる権利、④参加する権利があると言われ、子どもの権利条約の「一般原則」として、①生命、生存および発達に対する権利、②子どもの最善の利益、③子どもの意見尊重、④差別の禁止の4つが掲げられています。これらの内容把握は、いわば「子どもの人権」の理念的特徴ですが、「子ども期」「子ども時代」の生活と発達保障の課題に具体的に光を当てたものではありません。

「withコロナ」の中で求められている子どもたちの願いや学校の休校・再開をめぐる動向の振り返りを通じて提起された問題を踏まえて、子ども期・子ども時代の総合的保障に必要不可欠な権利内容を子どもの権利条約の中から析出すると、次の諸権利が浮かび上がってきます。

第1は、条約第6条、第24条にあるように、生きる権利・命と健康が守られる権利、すなわち生存権保障の課題です。すべての子どもは飢えや病気や事件から守られ、安全に健やかに育つ権利があります。

第2は、条約第20条、第26条等に規定された安心した生活が守られる権利、すなわち生活権保障の課題です。すべての子どもは、くつろぎ安眠できる住居と食事・衣服が用意され、快適な生活が保障されねばなりません。

第3は、条約の第28条、第29条に規定されている学ぶ権利、分かるように教えてもらう権利、すなわち学習権保障の課題です。すべての子どもが学ぶ機会を保障され主体的な学びを通して、知恵と身体と心を発達させて豊かな人格を形成していきます。学ぶ機会と教育の保障は、子どもたちが人間として生き、幸せな人生を獲得するための基本となる権利です。子どもたちには、落ちこぼされることなくよく分かるように教えてもらう権利があるのです。

第4は、条約の第31条に規定されている休息と余暇が保障され、楽しく遊び、想像力を羽ばたかせていく権利、すなわち休息・余暇(気晴らし)権、遊び権、文化権保障の課題です。すべての子どもたちは、ゆっくりした時間・自由な時間(あそび)が認められ、仲間とともに遊ぶ時間と場所が保障されねばなりません。仲間との遊びを通して人との付き合い方を学び、楽しい生活を作り出していけるのです。楽しみや心地よさを獲得できる文化や芸術への参加は、子どもたちの心を励まし、からだを鍛え精神を活性化させ元気にしていきます。「あそび・遊び」は子どもの主食なのです。

第5は、条約第40条に規定された失敗できる権利、やり直し立ち直っていく権利、更生権保障の課題です。すべての子どもたちは、成長・発達の途上ですから、時にはつまずいたり、失敗したりしながら育っていきます。たとえ他人や社会に迷惑をかける行為を犯したとしても、自らの行いを反省してやり直し、立ち直っていく機会が保障されねばなりません。失敗しながら育つことは子どもの基本的な権利であり、その独自性は甦育(そいく)と呼ぶべきものであり、全ての子どもの育ちに保障されるべきまなざしなのです。

そして第6に自治権・社会参加権の課題があります。それらは、子どもたちが真に生活と発達の主人公になるために不可欠の権利であり、条約の第12条、第15条に規定されているように、自由に意見を出し合い集団的自治的に活動し、自ら集い会い、社会に主体的に参加していく権利です。

選挙権が20歳から18歳に移行した現在、18歳未満の子ども(児童)の時代に、主体的に生活し、活動の主人公として自治を営む体験が、社会の主権者に成長するうえで不可欠です。子どもたちは、大人や社会から見守られ育てられる存在であると同時に、小さいながらも市民として、大人と共に社会を担うパートナーなのであり、活動に参加・参画していく体験を通して主権者として育っていくのです。

遊び権の保障とその前提としての余暇権・気晴らし権への注目を

コロナ禍でのストレスフルな子どもの生活をきりひらき、子どもたちの心とからだを解放し、かけがえのない子ども期を保障するために、いまこそ子どもの権利条約第31条の精神と規定を重視する必要があるでしょう。

国連子どもの権利条約第31条には、「締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める」(政府訳)と規定されています。そこには、①休息・余暇の権利、②遊び・レクリエーションの権利、③文化的生活・芸術への参加の権利という3つのレベルの権利が規定されていますが、《遊び》を含めて、相互に関連する3つの権利全体を、私は《子どもの文化権》として捉える必要があると主張してきました。

中でも留意しておきたいのは、遊び権保障の前提でもある余暇権についてです。余暇権と遊び権については、国連子どもの権利委員会が条約31条を詳しく解説した「ジェネラルコメント17号」(2013年)の次のような指摘が参考になります。

子どもの遊びは「子ども時代の喜びの基本的かつ不可欠な(生死にかかわるほどの)側面であり、かつ身体的、社会的、思考的、情緒的および精神的発達に不可欠な要素」です。しかし、「世界の多くの地域では、正規の学業面での成功が重視される結果として第31条に基づく諸権利を否定される子どもたちが多い」として、「成績に関する圧力」を加えることへの批判がなされています。さらに「すべてのプログラム化された活動または競争的活動に向けることは、子どもの身体的、情緒的、認知的および社会的ウェルビーイングを損なう可能性がある」として、活動のプログラム化と競争的活動の組織化への危惧が示されています。同時に「おとなによる統制が行き渡りすぎて、遊びの活動を組み立てかつ実行しようとする子ども自身の努力が阻害される場合は、とくに創造性、リーダーシップおよび団体精神の発達の面で、これらの利益は減殺される」と指摘し、「子どもたちには、おとなによって決定・管理されない時間といかなる要求も受けない時間─子どもが望むのであれば基本的には『何もしない』時間をもつ権利がある」とまで書かれていることを知っておきたいものです。

子どもが主人公の居場所を広げていくために

学校教育は、確かに子どもの知識・技術・体力・情操を教育し発達させることを専門とする場所ですが、同時に、福祉、文化、司法、 自治を大切にする場でもあります。学習権と同時に、生活権、文化権、更生権、自治・参加権保障の役割を無視してはなりません。日本の学校では、余暇・遊びの権利、失敗しやり直す権利、自治・参加への視点が軽視されているところに、根本的弱点があります。

いま、コロナ禍の中で「withコロナ」の下で、「学校の役割は何か」「子どもを育てる課題はなにか」、その根本が問われています。学校が子どもの居場所になり、子どもが主人公として活躍する場になるためには、「ゆっくりしててもいいんだよ」「失敗してもいいんだよ」「自分たちで決めてとりくんでいいんだよ」ということが、当たり前の雰囲気として教室に、そして地域社会にあふれるようにしていかねばならないと思うのです。

増山 均

1948年栃木県生まれ。日本福祉大学社会学部教授、早稲田大学文学学術院教授をへて、2018年から早稲田大学名誉教授。日本子どもを守る会会長。子どもの権利条約市民・NGOの会共同代表、日本学童保育学会代表理事。主な著書は、『教育と福祉のための子ども観』(ミネルヴァ書房)、『アニマシオンと日本の子育て・教育・文化』(本の泉社)、『子どもの尊さと子ども期の保障』(新日本出版社)など