【論文】マイナンバーカード普及の新段階―取得「義務化」による公共サービスの変質―


マイナンバーカードの取得「義務化」

1.取得「義務化」という言葉の意味

マイナンバーカードは、「住民基本台帳に記録されている者の申請」(番号法16条の2第1項)に基づき、発行そして交付されます。このカードの表裏には個人情報が満載ですが、それでも本人確認のための便利な手段になると思えば、申請すればよいのです。取得した後でも不要になれば、「いつでも」返納できます(番号法施行令15条4項)。

ところが国は、マイナポイントを付与する反面、健康保険証を廃止して、これをマイナンバーカードに一体化するという方針も示しています。任意であって義務でないにもかかわらず、マイナンバーカードを取得しないという理由だけで、やがて医療費が全額(10割)負担になってしまうのだろうかなどと、抽象的な不安や国への不信といった感情が国民に生まれていないでしょうか。このような国民の意識を表現しようとして、本稿は、取得「義務化」という語句を用いているのです。

しかし「義務化」という量的変化を放置すると、やがて「化」が外れて、「義務」という質的変化の段階に進むでしょう。そして、取得が義務づけられた場合のカードの目的は、国民の利便性の向上から「国民の行動履歴の管理」(稲葉一将・松山洋・神田敏史・寺尾正之『医療DXが社会保障を変える─マイナンバー制度を基盤とする情報連携と人権─』(自治体研究社、2023年)10ページ)へと変質する可能性にこそ、注意を要します。

2.取得「義務化」の現象

(1)健康保険証のマイナンバーカードへの一体化

マイナンバーカードの取得「義務化」の現象(あらわれかた)はさまざまです。その一つが、前述した健康保険証の廃止とマイナンバーカードへの一体化です。2023年3月7日に内閣から提出された「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律等の一部を改正する法律案」は、医療保険各法を改正して、マイナンバーカードによりオンライン資格確認を受けることを希望しない場合は、資格確認書の交付を求める仕組みを設けようとしています。国民の利便性の向上というのならば、健康保険証を残したままで、マイナンバーカードも使えるようにすればよいのです。しかし、マイナンバーカードを取得していない場合は、わざわざ資格確認書の交付を求めなければならず、しかもこれを提示する場合は、マイナンバーカードの場合よりも窓口負担が高くなる方針が示されています。法案が可決・成立した場合でも、現場の混乱さらには紛争すら予想されます。

(2)地方自治体におけるマイナンバーカードの市民カード化

従来、国が地方財政を保障するための措置を講じないので、この不作為が地方自治体を交付金の獲得競争に向かわせていました。その交付金にも、マイナンバーカードの普及と関連づけたものが加わってきています。「デジタル田園都市国家構想交付金制度要綱」に基づく、内閣府地方創生推進室・デジタル庁「デジタル田園都市国家構想交付金(デジタル実装タイプ)の交付対象事業の決定について」(2023年3月10日)は、この交付金の事業目的に「マイナンバーカードの普及状況を交付審査に反映するとともに、利用シーン拡大の取組を積極的に支援する」ことも含まれると説明しています。

マイナンバーカードの申請率7割以上(2023年1月末時点)が申請要件の「マイナンバーカード利用横展開事例創出型」(25ページ図参照)は、52件が採択されています。採択された事業のなかには、全国的に知られるようになった岡山県備前市の「マイナンバーカードの備前市民カード化によるデジタル活用推進事業」も含まれています。任意のマイナンバーカードを「市民カード」にするというのですから、混乱が予想されます。もっとも、備前市だけではなくて、愛知県日進市等の他の市町村でも市民(町民・村民)カード化構想事業が採択されています。

ここでは一例として備前市の条例を紹介します。2023年3月23日に複数の条例案が可決・成立しました。たとえば、「備前市営バス運行事業に関する条例の一部を改正する条例」は、2025年3月31日までの間において、「市営バスを利用する者」が「利用に際し当該利用者本人のマイナンバーカード」を「提示した場合」には、基本料金の「200円」が「無料」になると定めています(附則2項)。2023年4月1日の施行後、市長は、4月5日に記者会見を行い、給食費等の条例の一部についての方針転換が述べられました。ただし市営バスの無料化に関しては、(根拠が附則に定められているので)条例を再度改正しなければならないからか、方針に変わりがないようです。

マイナンバーカードの利用に限定される群馬県前橋市の「マイタク」(デマンドタクシーの一種)とは異なって、備前市ではバス利用においてカードは不要ですが、市営バスが必要になる事情を有する住民であっても、任意のはずのマイナンバーカードを取得しなければ、無料で利用できないのです。市民カード化事業が増えれば増えるほど、マイナンバーカードの取得「義務化」が、住民において一層強く意識されるといえるでしょう。

公共サービス変質の要因

1.公共サービスから自己責任への変質

以上でごく簡単に確認するだけでも、法律を改正して健康保険証の廃止とマイナンバーカードへの一体化を急ぐ国だけではなくて、地方自治体においても、マイナンバーカードの市民カード化が進められているという事実が、分かります。

物価が高く生活が苦しいという現実において、費用の減免等の生活支援措置は、住民から望まれているものでしょう。しかし、マイナンバーカードを取得しない住民に対して、その生活支援措置を後退させることの合理性が問われます。同じ住民であるのに、なぜ法律が任意にしているマイナンバーカードの有無で扱いが異なるのか、つまり平等原則違反が、各地の地方自治体で疑われるようになります。前述した公営バス事業ならば、住民の交通手段を平等に提供するという地方自治体の行財政責任が後退するのです。「公共」が縮小すれば、その分だけ「私」が拡大するのですから、結局、住民の自己責任へと行財政の責任が転嫁されるという構造に注意を要します。

2.その要因は何か

マイナンバーカード取得「義務化」のあらわれかたはさまざまですが、この要因は、地方自治体にまでカード普及を急がせる国の姿勢にあります。以前に述べましたので繰り返しませんが、「マイナンバーカードをキーにした、わたしの暮らしと行政との入口」といわれるマイナポータルが使われるようにするには、マイナンバーカードという「キー」が普及しなければならないのです(稲葉一将・内田聖子『デジタル改革とマイナンバー制度─情報連携ネットワークにおける人権と自治の未来─』(自治体研究社、2022年)21ページは、「マイナンバー制度」の「肝心なところ」が「マイナンバーカード」と「マイナポータル」との「結び目にある」と述べましたが、その先の予測については48ページ以下をご覧ください)。

マイナンバーカードの普及もマイナポータルの活用も、国民のさまざまな意見を代表するべき国会で十分に審議されての方針ならば結構ですが、国会が十分に機能せず形だけになっているので、内閣の閣議決定等の国の行政の権力性と裁量性が強くなっています。国会が十分に機能しないと、財政規律もゆるんでくるので、財政難の地方自治体との関係では交付金などの国の財政の権力性も強くなっています。

地方自治の課題

国政を補完し、さらには代替するというのが地方自治の存在理由ですが、一般に地方自治は、住民自治と団体自治から構成されていると理解されています。団体自治の担い手であるはずの地方自治体は、国からの交付金獲得を繰り返すうちに、独立した法人格性が犠牲になりはしないのかの可能性についても、緊張感を忘れるべきではないでしょう。国は健康保険証を廃止してまでマイナンバーカードの普及を急いでいますが、地方自治体がそのマイナンバーカードの市民カード化事業を行えば、二重に、マイナンバーカード取得が「義務化」するのです。

住民にとっては、任意のはずのマイナンバーカードを自らの意思で取得しない場合、経済的優遇措置等の利益を得られませんし、むしろさまざまな不便を強く感じるようになるでしょう。マイナンバーカード(市民カード)の有無で住民が差別され、地域社会の分断が進む可能性すら危惧されます。

しかし、だからこそ住民自治の出番です。大戦後に国と地方自治体が国土開発を急ぐなかで、住民が公害という被害を受けたけれども、地域特性に応じて地方自治の実践や裁判運動も組織されて、ボトムアップで国への働きかけが試みられた歴史を、私たちは学んできました(詳しくは、宮本憲一『戦後日本公害史論』(岩波書店、2014年)167ページ以下を参照)。この歴史を、マイナンバーカードの普及を急ぐ動きが、国や地方自治体に広がっている現状においてこそ、再び学んでみてはいかがでしょうか。法律が任意だと定めているのだから、返納も含めて、自分の意思でマイナンバーカードを拒否する自由が、個人から住民において同意や平等といった問題として共有され、そして地方自治体へと展開すれば、地方自治の再生に向かいます。

最後に、マイナンバーカードの市民カード化等の事業を展開する各地の地方自治体で何が起きているのか、現地からの報告をお願いして、本稿の執筆を終えることにします。

マイナンバーカード利用横展開事例創出型の採択結果

稲葉 一将

1973年生まれ。愛知学院大学専任講師(2002年4月)、名古屋大学大学院法学研究科 助教授(2005年4月)を経て、2012年4月より現職。著書に、稲葉一将・内田聖子『デ ジタル改革とマイナンバー制度―情報連携ネットワークにおける人権と自治の未来―』(自 治体研究社、2022年)など。