小学校11校を順に廃校にし、4つの中学校区ごとに集約して義務教育学校や小中一貫型学校にする「須坂学園構想」。強行しようとする教育委員会に対し、地域・議会と連携し住民参加の学校づくりをめざします。
「須坂学園構想」登場の主な経過
須坂市は長野県北部に位置し人口約4万8000人、小学校11校、中学校4校、特別支援学校1校があります。2024年度に3596人だった児童生徒数は、2030年度には3133人まで減少すると推計されています。
須坂市教育委員会(以下、市教委)は、2020年に小中学校あり方検討委員会、翌年には学びのあり方検討委員会を開催し、元高校校長、小中学校長、PTA役員、区長、経営者、組合代表などを招集して小中学校適正規模等審議会を設置し、2023年12月に学校数・学区を見直し、小規模化が顕著な地域から再編、小中一貫教育を進めるとの答申をまとめました。そして2024年12月、市教委は「須坂学園構想基本方針(案)」を公表しました。
市民の会の取り組み
衝撃的な「須坂学園構想」案が公表されて以来、大きな市民的な運動にしていこうと、私たちは幅広い方々に呼びかけ、2025年6月、「須坂の『学園構想』と子どもの学びと育ちを考える市民の会」(以下、市民の会)を立ち上げました。8月には市民の会のホームページを開設し、講演会・学習会・意見交換会などの機会に運営に携わってくれる方を募り、体制を強化してきました。
市教委からは、小規模校ダメ論・学校統廃合必要論・小中一貫教育推進の情報が一方的に発信される中で、現場の教職員から「少人数学級こそ豊かな教育の実現のためには重要」「義務教育学校には課題がある」「小規模校の優れた実践がある」など生の声を聴き、併せて豊丘地区で8月に発足した「豊丘『学園構想』を考える会」(以下、「考える会」)の取り組みを聴く「意見交換会」を開催しました。「今の学校現場に何が求められているのか」や「学園構想が唯一最善の方法ではない」ことを明らかにでき、大きな意義がありました。その内容を、ニュースにして多くの市民に伝えました。
実は、『奇跡の小学校の物語』(を取り入れ、地域の結束で廃校回避に奮闘するドキュメンタリー)の上映会を豊丘地区で開催したことが、「考える会」結成の原動力になりました。「考える会」は会合・学習を重ねて、小規模特認校や山村留学などを活用し「豊丘モデル」を教育委員会に提案しています。こうして地域で取り組む会ができたことが、運動を広げ、議会への請願提出に繋がりました。
議会への取り組み
実際に計画を立て、住民との話し合いを進めていくのは市町村教育委員会です。しかし、 手続きとしては、市町村教育委員会が学校設置条例の改正案を提出し、議会で可決すれば統廃合が決定するという段階を踏むので、最終的な学校統廃合の決定権は、市町村議会にあります。ですから議会への取り組みは重要です。市議会議員と情報を共有・学習し、議会の質問で取り上げて追及してもらいました。市議会総務文教委員会では、岐阜県山県市の山県方式(小規模校を合同授業で存続)を視察。今年度は、小規模特認校制度を導入し義務教育学校として開校した埼玉県春日部市江戸川小中学校の7年余の学校運営や小中一貫教育での課題を視察。議会を重ねるごとに学園構想に関して質問する議員が1人から3人、4人と増えていき、議員の中でも関心が高まってきました。このような中で、「豊丘『学園構想』を考える会」から提出された「統廃合の年度内決定の見直しを求める請願」が全会一致で採択されました。市民の会でも同趣旨の署名を短期間で1729筆集めて市長と教育長に提出しました。これらの取り組みの中で、年度内決定を強行したかった市教委は、半年間の延期を発表しました。
「須坂学園構想」の教育学的問題点
市民の会は、「須坂学園構想」は問題点が多く「子どものために」ならないと、市教委とわたり合ってきました。
第一は、小規模学級の是非です。市教委は、学力や集団生活、社会性上のデメリットを強調し、驚いたことに地域説明会で小規模学校である豊丘小の校長に、統廃合してなくすのが「子どものため」と言わせています。不登校の分析を持たずに臨む市教委が、統合先に子どもたちの居場所をつくれるでしょうか。
第二は小中一貫教育の是非です。これによって教科担任制を全面的に導入し、学力向上を図るのが狙いです。早期の英語検定対策も挙がっています。つまずく子どもの出ることは必定で、問題があります。地域の個性ある学校を一つに標準化し、規格化した教育を行うハイテクランド型学校には、問題点が多いです。
4・5・6年生の集団活動期を心ゆくまで味合わせることで、自分と仲間を信じて、時につまずきながらも乗り越え進んで行くことにつながるという発達課題への顧慮(中1ギャップだけではない)が見当たりません。即ち第三は教育課程の問題です。カラー刷りリーフレットの「須坂市がめざす新しい時代の新しい教育」は目録に過ぎず、これまでの取り組みを並べただけです。「12年間を通して非認知能力の育成…」に至っては、保育園の目標を写しただけで、内実は何もありません。重要な課題のいじめ・不登校、人権・平和教育、そして小中一貫校となれば喫緊の課題である「人間と性の教育」には全く言及がありません。財源なき学校行政である上に、「教育内容なき学園構想」とあっては信頼できません。
市民の会が求めるのは、多様な学びのできる学校の選択肢であり、一人一人の子どもを見据え寄り添う教育環境の創出です。豊丘地区(旧豊丘村)は切にそれを望み、住民で寄り合い「小規模校・豊丘モデル」を作り上げようとしています。形としては小規模特認校ですが、学校とは何か、教育とは何かを根本から問い、明治学制期の松本開智学校に劣らない「旧園里学校」(明治16年に豊丘地区に建築)のように住民の意気と力で作り上げていこうという試みです。地域の学校を守り立て、地域の生活と文化を元気に豊かにしていくことは、須坂全体の課題でもあります。文化性、人間性、人間的な感性と触れ合いを中核とするハイタッチ型の学校づくりこそ、AI化教育の進む中、かえって存在価値を持ちます。豊丘モデルの実現は、地域の一人一人の持てる力をどう生かしていくかにかかっています。
さまざまな親が繋がり合って学園構想の是非を考える輪が広がっています。地域の教育財産、人材を掘り出しつなげ生かす、それが学校づくりの力になります。そして最も重要なのは、市教委が強力にバックアップし、住民と共に歩むことです。
住民参加の学校づくりを求めて
「須坂学園構想」問題の最大のポイントは、市教委の手法とポリシーにあります。即ち、教育は誰のものか、何のために誰が創っていくかの教育観、教育行政観をめぐる問題です。
教育長は、「学校・地域の説明会は話し合いではなく、学園構想の理解を深めて進めるためのもの」(12月議会答弁)という姿勢を取り続け、市民の要望に応えようとしません。子ども、親、住民、教職員、そうして教育委員も加わって、皆で話し合い、納得できる方向を皆で創りあげていくという民主的な手続きを排除しています。「新しい学校づくり基本方針検討委員会」も校長・教頭・教員ばかりで、学識経験者は入りますが、住民や関係者は一人もいません。地域教育課題を住民抜きで諮る、これでは地域の実情に応じた教育施策ができるわけがありません。
豊丘小をなくして、第一学園は小学校5、6年生を切り離して中学校に通わせるという4・5年制の施設分離型の異例な義務教育学校を作り、「小中一貫校が全国2000以上も作られるのはそれが良いものだからだ」と答弁してはばからない教育長。全国の開校の選択は、少子化の中、子どもの教育権を守るに万やむを得ないからで、決してベターとしたわけではありません。市教委の決める「学校構想」が先にあって、住民の「教育意思」は二の次、という逆立ちした発想では、住民の心からの合意を得ることは難しく、須坂の未来を切り開く学校づくりがスムーズに進展するはずもありません。ましてや、第一、第二学園の成否を見て残る二つの地域の学園づくりを進めるとする無策方針は、自らの教育振興施策の任務放棄と見られても致し方ありません。
子どもは、真理(真善美)を学んで豊かな個性と能力を開発して、人格を自主自由に形成していく「教育=学習」権を持っています。学校は、その保障の重要な一つの手立てです。親は、学校や教育行政に子どもの教育権の最善の実現を求めます。教職員は、子どもと親の信託を受け、専門家として教育の目的実現に努めます。住民は、子どもたちが育ち、学校が活躍出来る基盤を作り、喜怒哀楽を共にします。そして教育委員会は、「教育=学習」権保障のために最善の教育条件を整備します。「子どものために」総がかりで学校教育をつくるということです。それぞれが協力しながら子どもが主人公の学校をつくってこそ、須坂市教育委員会が目指す「自分らしく未来を拓いていく子ども」の育成が可能となります。市民の会は、市教委が「子どものため」とか「喫緊の課題」とかあおり立てるのではなく、本質的な教育論を交わし住民参加の学校づくりを語り合うことを、会員皆が願っています。
「須坂学園構想」問題は、一つの学校の在り方、創り方を通して、憲法&教育基本法の本来の精神を、この須坂でどう進め、広げ、深めるか、という根本問題と向き合う、一地方のささやかですが大きな取り組みとも言えます。やっと始まったばかりです。
「長野県ネットワーク」結成の動き
長野県全体でも学校統廃合が加速しています。県内各地で市民運動が生まれており、11月末、「信州の教育と自治研究所」の研究集会に集まった参加者一同で準備会を発足させました。今後、ネットワークを立ち上げ、各地域の情報を交流・共有し、学校統廃合の在り方や進め方等について認識を深め、市民運動の発展を期したいと動き出しました。
