【大阪・生野区】 大阪コリアタウンにおける多文化共生の実践と課題

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在日コリアンをはじめ、80カ国の外国人が暮らす生野区。市民が中心になって歴史に根差し、「ちがい」を豊かさにできる多文化共生社会を目指す、大阪コリアタウンでの取り組みを紹介します。


大阪コリアタウンが位置する大阪市生野いくの区は、在日コリアンの集住地域として知られ、日本でも外国籍住民の居住割合が高い街です。2025年9月現在で、生野区の人口は約12万8000人ですが、そのうち外国籍者が約3万1000人と、全体の24%を占めています。

最も多い国籍が韓国・朝鮮籍で、1万7741人と全体の6割弱ですが、それ以外にベトナム人が4224人、中国人が4006人、ネパール人が2030人となり、生野区全体での出身国・地域は約80カ国にのぼります。

大阪コリアタウンの歴史

1910年に朝鮮半島が日本の植民地になって以降、生活の場を求めて日本への朝鮮人の流入は拡大しました。当時、日本最大の工業都市で「大大阪だいおおさか」といわれていた大阪では、紡績業や土木工事、零細工場などでさまざまな職を得て暮らす朝鮮人が増加していきます。

そして朝鮮人の生活必需品である食品や雑貨、衣類などを売買する店が増えていき、1930年代には「朝鮮市場ちょうせんいちば」と呼ばれる市場が、現在の大阪コリアタウンの辺りに形成されていきました。

1945年に終戦を迎え、日本で暮らしていた200万人ともいわれる朝鮮人のうち、帰国便が確保できなかったり、財産の持ち出し制限があったりしたために、約60万人が日本に残り続けました。またそれ以外にも、1948年に済州チェジュ島で起こった島民に対する弾圧事件(済州4・3)や1950年の朝鮮戦争などの戦火を逃れて、再び日本に戻った朝鮮人もいました。

戦後、在日朝鮮人に対して、1945年には参政権が停止され、1947年には「外国人登録令」による管理が始まり、1952年のサンフランシスコ講和条約締結に伴い日本国籍をはく奪、無国籍状態となります。

その後も日本企業での就職差別、結婚差別も当たり前のようにあり、1980年代に入って難民条約に日本が加入するまでは、日本国籍がないという理由で健康保険や年金など社会保障から排除されてきました。

厳しい差別のなかで生きる在日コリアンが暮らしを営むために必要なものを扱う「朝鮮市場」でしたが、1980年代になると1988年のソウルオリンピックを契機に韓国文化への関心が急速に高まり、他地域でも競合店が増え始め、集客に陰りが見え始めます。1990年代には在日コリアンの世代交代も進み、国際結婚や日本国籍の取得など在日コリアン社会も多様化してきました。

こうしたなかで、それまでの在日コリアンの生活の場としての「朝鮮市場」から、日本人も訪れる多文化な街としての「コリアタウン」への転換が図られて現在に至ります。

このように、マイノリティー(在日コリアン)と日本の市民が、差別のなかで権利を求め、支え合う過程で、異なる文化が根付き、街の活性化が図られてきました。現在、生野区は区政の3本柱の一つに「さまざまな国や地域につながる外国人住民と共生し『世界につながる生野区』として、まちの活性化につなげる多文化共生」(生野区ホームページより)を掲げています。市民による地域での取り組みと連携しながら、多文化共生のまちづくりを進めています。

「まちの学校」として

大阪コリアタウンは約500メートルの商店街に150ほどの店が立ち並ぶ商店街であり、今では年間200万人が訪れる大阪でも有数の観光地として賑わいを見せています。

その一方で大阪コリアタウンを「まちの学校」として位置付け、歴史や文化を伝える取り組みが広がっています。

①「難波津の歌」歌碑

まず2009年に、大阪コリアタウンにある御幸森みゆきもり天神宮に、地域の人たちが寄付を募って「」歌碑(写真1)を建立しました。

写真1 「難波津の歌」歌碑

この碑には、4世紀末に百済くだらから日本に渡来したと伝えられる王仁わにが、仁徳天皇の即位を祝って詠んだとされる「難波津の歌」が刻まれています。この歌は『古今和歌集』仮名序にも記されており、現在では競技かるたの序歌としても知られています。

碑には三つの文字(万葉仮名、ひらがな、ハングル)が刻まれていますが、ハングルについては、江戸時代に朝鮮通信使を受け入れる窓口であった対馬つしま藩の学者・雲明うんめいが、歓迎の意を伝えるために「難波津の歌」をハングルでしたため、通信使に贈ったとされることに由来しています。こうした歴史を通じて、古代からの日本と朝鮮半島の交流の豊かさ、関係の深さを訪れる人たちに伝えています。

②大阪コリアタウン歴史資料館

「朝鮮市場」と呼ばれた時代から、大阪コリアタウンには在日コリアンの店舗も日本人の店舗もあります。また、今ではここで働く韓国人の渡日時期もさまざまです。さらに、時代を経て店主も多様化しており、が経営するキムチ屋もあります。店先で働いている人々には、近年来日したベトナム人もいます。地域自体が時代とともに変化するがゆえに、こうした住民像の多様化は当然といえるでしょう。

地域が変容する背景には、日本社会、東アジア、世界の変化があります。現代を生きる人々に、多様なルーツや文化によって形成されてきた地域史を身近な世界として捉えてもらうことを目的に、2023年4月、大阪コリアタウン歴史資料館(以下、資料館)がオープンしました。この資料館は、地域住民や商工人、研究者、市民団体など多様な人たちが一般社団法人を設立し、運営しています。

ハン流を求めて大阪コリアタウンを訪れる人々に少しでも関心を持ってもらうために、常設展示は現在から始まり、観覧していくにつれ過去を知るタイムマシーン式の構成になっています。

近現代史については、日本による朝鮮の植民地支配に関する展示が必須ですが、具体的な内容をほぼ知らない日本人(特に若い世代)が、いきなり日本の植民地支配=加害の歴史を突きつけられても「過去のことだ」と受け流すことは珍しくありません。日本の教育現場では、加害の歴史について学ぶ機会をほとんど設けていないからです。

資料館では大阪コリアタウンや在日コリアンの歴史を学ぶ場として、また施設の前に「共生の碑」があるように、「共生」の思いを発信する施設として、毎年8000~1万人が訪れています。

③コリアタウン多文化共生プログラム

2000年代に入って、学校や教育機関で日韓交流や、異文化理解、多文化共生の学びに対する関心が高まるなかで、コリアNGOセンターが運営している「大阪コリアタウン多文化共生プログラム」には、修学旅行や校外学習、企業や自治体など教育目的で訪れる団体も増えています。

このプログラムでは、大阪コリアタウンのフィールドワークや講演などで歴史や人権について学びを深めたり、キムチ作り体験やハングル体験、チマチョゴリ着付け体験、チャンゴ(長鼓)体験などを実施したりして、2004年のコリアNGOセンター設立以降で約18万人が参加しています。

こうしたマイノリティーとしての在日コリアンが生きてきた歴史や、コリアタウンの歴史を伝えていくことは、これからの多文化共生を語る上でとても重要なことだといえます。

歴史とは、さまざまな人たちの生きてきた人生や、他者とのつながり合いの積み重ねです。そのため、歴史を見るときには多様な立場からの目線が当然あります。相手を理解するということは、相手の持っている見方や考え方、あるいは相手が自分をどのように見ているかという点も含めて、きちんと受け止め、学んでいくことが大事です。

今の大阪コリアタウンを見て、「楽しくて面白い異文化の街」としてだけ捉える人たちも少なくありません。でも、なぜ日本に多くの在日コリアンが暮らしていて、大阪コリアタウンが形成されたのか、日本の人たちの暮らしと深くつながり、根付いているからこそ、大阪コリアタウンの歴史や歩みを知ることで、これからの日本社会に必要な、「ちがい」を持った人たちとどう向き合うのか、今までどう向き合ってきたのか、これからどういう関係を作るのがいいのか、という課題に向き合う機会になると思います。

外国人が入ってくると、まずコストとして安く、手間をかけずに「いかに統合するか」という発想で考えます。「努力するのは向こう側」で、「ここは日本だから、日本に合わせなさい」「日本語をまず勉強しなさい」「日本のルールを覚えなさい」となります。もちろん、生きるために必要だというのはそのとおりですが、「その人らしく、どう生きるか」というベースをどのように考えるかが抜け落ちてしまうと、誰もが他者に合わせることだけを求められる、生きづらい状況になりかねません。

多文化共生のまちづくりの拠点
いくのコーライブズパーク

今、多くの外国人が暮らす生野区では、閉校となった小学校の跡地を活用した新たなまちづくりが進められています。

生野区にある「いくのコーライブズパーク」(以下、いくのパーク)(写真2)は、2022年4月から大阪市立御幸森小学校の跡地を活用した複合施設で、多文化共生のまちづくりの拠点です。

写真2 生野区の小学校跡地を活用した多文化共生の拠点、いくのパーク

大阪市は、同区西部地域における少子化の加速を背景に「生野区西部地域学校再編整備計画」を策定し、12小学校・5中学校を4小学校・4中学校へ再編する計画を立てました。この計画に基づき、御幸森小学校は2021年3月に閉校しました。

その後、市は跡地活用に関するを実施し、同年9月、NPO法人IKNO・多文化ふらっと(以下、多文化ふらっと)と株式会社RETOWNによる共同事業体を活用事業者として選定しました。

学校跡地を活用し、NPO法人と企業が共同事業体を設立。20年間の定期賃貸借契約に基づき、大阪市への賃料や維持管理費等を自ら負担しながら、多文化共生のまちづくりに取り組む事業がスタートしました。

近年、生野区は、約80カ国の外国ルーツの人々が3万人以上暮らす多国籍・多文化のまちに大きく変わってきています。多文化に彩られた華やかなイメージがある一方で、多国籍・多民族化、子どもの貧困化も進んでおり、就学援助率は全国平均の2倍以上にのぼります。空き家も5軒に1軒以上あり、独居老人の割合の高さなど、未来の日本の都市部の社会課題が集約する「課題先進地域」ともいえます。

こうした課題に対して、いくのパークでは「誰もが暮らしやすい全国No.1のグローバルタウンを創る」ことをビジョンに掲げて、災害・避難所機能、地域コミュニティ機能、多文化・多世代、新しい学び機能という3分野で、さまざまな活動が企画・実施されています。

例えば、多国籍な文化や音楽を楽しむイベント「いくの万国夜市ばんこくよいち」を大阪コリアタウンと協力して開催しています。また、地域のNPO職員、企業人、区役所職員、学校教員、中学生や大学生らが実行委員会を構成し、国籍や民族、年齢、ジェンダーなどの「ちがい」を越えて人々が出会い、再会し、交流する「クロッシングフェス」も開催しています。いくのパークは「食・文化」を通じて、地域の日本人と外国ルーツの人々をつなぐ貴重な交流の場となっています。

それ以外にも、バスケットボールスクール、イタリアンレストラン、NGO事務所、K-POPダンススクール、美術研究所、人気ユーチューバーたちの撮影所、一時預かり・休日保育を行う保育施設なども入居しており、いくのパークは30を超える多様な団体の活動の場となっています。

多文化ふらっとでは、外国ルーツの小学生から高校生までの150人を超える子どもたち(9カ国・地域)を対象に、教科や日本語の学習サポート教室を運営し、伴走支援を行っています。外国ルーツの保護者の社会的な不安や孤立感の軽減のために多言語相談室も開設しています(ベトナム語・中国語)。生野区役所や大阪府・大阪市の教育委員会、関西の大学などとも協力して「外国につながる若者のための 大学・短大・専門学校進学ガイダンス」を開催しています。府立高校と連携し、三十数人の外国ルーツの高校生たちによる多言語での「絵本の読み聞かせ」活動や、未就学児や保護者らが参加するヨーヨー遊び、たこ焼きビンゴゲームなど、外国ルーツの子どもたちが主体的に参加できるプログラムも実施しています。

多文化共生の先進地域として

「共生」という言葉の前提は、みんな「ちがう」ということであり、人と人は「ちがう」からこそ、どんな人間関係でも必ずどこかの場面、何かのタイミングで摩擦や対立が起こります。ですから、そうした摩擦や対立を前提としながら、それをどう受け止め、どう乗り越えていくかを共に考えていく関係が「共生」だといえるでしょう。そのためには、互いの尊厳と人権が保障され、課題に対等に向き合い、議論に参画できる仕組みが必ず必要になってきます。

しかし、残念ながら、現在の日本では、外国籍者の地方参政権は認められていません。地域社会への参画を制度的に保障する全国的な仕組みは十分に整備されているとはいえず、外国人と日本人が課題解決のために対話する場は非常に限られています。また、いまだに外国人に対する差別を禁止したり、人権を保障したりする法律も存在しないために、法制度的には「多文化共生」には程遠いのが実際のところでしょう。

そうしたなかで、生活の場である地域で外国人と日本人、あるいはさまざまなマイノリティーがつながり合い、共に課題を解決していく関係を創り上げていくことが必要なのだと思います。

大阪コリアタウンは、さまざまな人々の出会いと交流、相互理解を通じて「ちがいがあるから、豊かになれると多くの人々が感じることができる多文化共生の街を目指していきたいと思います。

郭 辰雄
  • 郭 辰雄(かく ちぬん)
  • 特定非営利活動法人コリアNGOセンター代表理事・一般社団法人大阪コリアタウン歴史資料館理事

大阪生まれ、京都市在住の在日コリアン三世。多文化共生社会の実現に向けて外国人の人権課題や日韓市民交流などに取り組む。2020年、韓国政府より大統領表彰を受賞。2023年、アーユス仏教国際協力ネットワークよりNGO大賞を受賞。著書に『在日コリアンを知るQ&A-多文化共生への55のヒント』(解放出版社)、共著に『朝鮮籍とは何か―トランスナショナルの視点から』(明石書店)など。

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