【論文】原発政策は無責任政治の象徴

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「原発は安全」から「逃げられればいい」へ論点がすり替えられ、地元自治体へ避難計画策定が求められている。しかし、出てくる計画は「机上の空論」でしかない。

自治体の長をしていると、小中学校に招かれて子どもたちから質問をぶつけられることがある。例えば「なぜ、かすみがうら市はこんなに良いところなのに、人口が減るんですか?」とか、「もっと霞ヶ浦をきれいにして、世界中から観光客を呼べば良いのに」などなど。

子どもたちは、心に浮かんだ素朴な疑問を投げかけているだけなのだが、的を射ているだけに答えに窮してしまう。「それができれば苦労しないのよ」などとは言えないので、「あーそうだね、君が大人になったら、ぜひ力を貸してほしい」などとお茶を濁すことになる。

素朴でストレートな子どもで思い出すのが、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリ。彼女は15歳のときにスウェーデン議会の前で、「気候のための学校ストライキ」という看板を掲げながら、「大人がわたしたちの未来を台無しにしている」と抗議活動を行い、ワールドワイドな環境ムーブメントを巻き起こした。「大人は子どもたちに対して責任ある行動を取らなければならない」と、私たちは15歳の子どもに説教されてしまった。

同様に答えに窮する話の代表が、日本の原発問題に他ならない。

「なぜ、万が一の事故が起きたら国が滅びかねない原発を、推進するのか」

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3・11以前は、「原発は安全」とされていた。ところが、事故は起きた。とてつもなく悲惨な結果を伴って。

地震と津波、そして原発事故の複合災害であったことから、被害の評価は定まっていないものの、事故後に16万人が避難し、14年経過した現在も2万5000人が帰れない状況を見れば、どれほど多くの国民の人生を狂わせたか、どれほど国土を汚したか、説明は不要だろう。

この事故を受けて、日本は「原発依存をできるだけ低減させる」という考え方をベースとし、推進派と呼ばれる人たちも異口同音に「安全を最優先に」を枕詞に添えてきた。

ところが今般、経済産業省は新たなエネルギー基本計画案で、原発を「最大限活用」へと、基本的な考え方を大きく転換させた。既存原発の再稼働のみならず新設もOKという内容で、まさに経済優先、原発推進の帆を高々と広げた形だ。引き続き「安全が最優先」という枕詞がつくわけだが、その安全が強化されたわけでは、もちろんない。

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日本の原発の安全性については、原子力規制委員会がお墨付きを与えているように思われがちだが、それは間違い。規制委員会の田中俊一委員長(当時)の「規制委員会は適合審査を行うだけで安全を保証するものではない」との発言でも分かる通りだ。

規制委員会は、任意に設定した安全基準に、「計算上」その施設が適合しているかを判断するだけであって、「実際の運営がどうであるか」とか、「想定以上の地震が来たらどうなるか」などについては扱わない。つまり、現実の原発運営については、無責任の立場でしかない。

現在、再稼働の是非が問われている茨城県の東海第二原発(日本原子力発電)は、2018年に規制委員会から合格をもらっている。しかし先述のとおり、その内容は「計算上において適合している」ということに過ぎず、「安全に運転されるか」は誰も保証してくれない。ちなみに、東海第二原発の基準地震動は1009ガルとされているが、規制委員会は「計算上1009ガルには耐えられる」としているだけで、もっと大きな地震が起きた場合については、誰も責任は取らない。日本では2000年以降、1000ガル以上の地震が17回も発生しているのだが。

運営面でみれば、さらに不安は募る。東海第二原発は2022、2023年の2年間で8回も火災を起こしている。2年間で8回も火災が発生する建物は、世界中で他にあるのだろうか。原発は、停電が起きただけで、あるいは冷却水が断水しただけで過酷事故が発生するというのに。

加えて衝撃的だったのは、東海第二原発の防潮堤の施工不良工事だ。錆びた鉄筋がむき出しになった穴だらけの防潮堤が、内部告発を契機に明らかになった。内部告発の動きがなければ、表面を化粧で誤魔化して、安全性を象徴する見事な防潮堤として、誇らしげにPRされていただろう。お~恐ろしい。

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今回、編集部から依頼されたテーマが「自治体に課せられる避難計画の問題点」であったが、私は「その前に言いたいことがある」と申し上げた。「避難計画が前提というのが、そもそもおかしいのではないか」と。

「避難計画が前提」ということは、「安全ではない」ということを自ら認めていることに他ならない。「原発は安全」から、「事故が起きたら逃げればいい」へと、論点の「すり替え」が行われてしまったことに、私たちはもっと注目しなければならない。さらに今、「逃げられるのか」が問われている。

昨年3月、東海第二原発から30キロ圏内に位置する日立市が避難計画を公表した。その内容の最大のトピックは、「自家用車での避難が前提だが、自家用車で避難できない人の避難のために、バス750台が必要」というものだ。750台のバスがどこにあるのか、誰が運転するのか、などには触れられていない。日立市は人口17万人だが、東海第二原発の30キロ圏内には94万人が生活している。いったい、どれだけのバスが必要になるのだろう。小川春樹市長も「この計画ですべてに対応するのは難しい」と、正直な感想を述べている。

さらに問題なのは、この避難計画が発電所の単独事故を想定していることだ。東日本大震災でも分かる通り、原発が壊れるような事態は、複合災害の可能性が高い。道路は寸断、市民はパニックとなれば、避難どころか、救助さえ困難になることは火を見るより明らかだ。

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ある政治家が、私にこう耳打ちしてきた。

「正直、私も宮嶋さんと同じ思いですよ。でもいろんな支援者がいるんで…」と。

確かに、選挙に勝ってこそ政治家になれ、仕事ができるわけで、抱えるイシューは原発だけではない。しかし、原発の危険性、つまり住民の生命、生活、国土をいかに守るかという課題より、優先すべきテーマがあるのだろうか。「何のために政治やっているの?」と聞いてみたい。

今こそすべての政治家は、15歳の少女の「大人は子どもたちに対して責任ある行動を取らなければならない」という叫びを思い出してほしい。

そして胸に手を当てて自問してほしい。自分はその責任を取れるのか…と。

宮嶋 謙

1963年生まれ。出版編集者を経てかすみがうら市議2期。令和4年7月の市長選挙に立候補し、当選。同市の「非核脱原発平和都市宣言」を忠実に推進している。

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