【論文】高齢社会対策大綱を解剖する─目指す方向と問題点

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この間の政権の施策は庶民の感覚とかけ離れたものが多いですが、民意に沿わない政策はどのように強行されるのでしょうか。「高齢社会対策大綱」を読むとよく分かります。

はじめに

2024年9月に政府の定める「高齢社会対策大綱」(以下、「大綱」)が改定されました。政権の掲げる「全世代型社会保障」を進めるための一手段ですが、一読すれば、この間の国策である社会保障の後退ないし抑制=「自助・互助・共助・公助(恩恵)」化、少子化による人手不足対策としての年金抑制による高齢者の不安定就業および労働力としての利用、テクノロジーによる人民の情報収奪と管理などの思惑が透けて見えます。本稿では大綱の意図と問題点、警戒すべき点について考察します。

大綱が前提とする世論や社会状況認識の誤り

大綱は、冒頭で「大綱策定の目的」を示しています。日本で、世界に類を見ないほどのスピードで高齢化が進む中、高齢者の割合がこれまで以上に大きくなっていく社会を前提として、全ての世代の人々にとって持続可能な社会を築いていくために、年齢によって分け隔てられることなく、若年世代から高齢世代までの全ての人が、それぞれの状況に応じて、「支える側」にも「支えられる側」にもなれる社会を目指していくことが必要である、といった趣旨のことを述べています

そして「基本的考え方」として、「(1)年齢に関わりなく希望に応じて活躍し続けられる経済社会の構築」、「(2)一人暮らしの高齢者の増加等の環境変化に適切に対応し、多世代が共に安心して暮らせる社会の構築」、「(3)加齢に伴う身体機能・認知機能の変化に対応したきめ細かな施策展開・社会システムの構築」を挙げています。後に続く本論では、これらを実現するための分野別の施策を提示する構成となっています。

大綱は、「基本的考え方」の提示にあたって、その根拠を示しています。少し長くなりますが引用しておきます。

高齢化率の上昇に伴い、生産年齢人口は2040年(令和22年)までに約1200 万人減少することが見込まれており、労働力不足や経済規模の縮小等の影響が懸念されるとともに、地域社会の担い手の不足や高齢化も懸念される。

こうした中、約20年間で、平均寿命は男女共に約3歳延伸している。また、医学的にも、様々な科学的根拠を基に高齢者の体力的な若返りが指摘されて久しい。65歳以上の就業者数は20年連続で前年を上回って過去最高となり、就業意欲の高まりもみられている

このように大綱は、高齢者の「就業意欲の高まり」を指摘し、高齢者による経済社会活動への参画等の必要性を主張しています。しかし、高齢者の就業意欲は本当に高まっているのでしょうか。最初にその点について検討したいと思います。

大綱の「就業意欲の高まり」の箇所には、ページ下に小さく脚注で科学的根拠となるデータが示されています。

内閣府『高齢者の経済生活に関する調査』(令和元年度)

現在収入のある仕事をしている60歳以上の人について約4割が『働けるうちはいつまでも』働きたいと回答しており、70歳くらいまで又はそれ以上との回答と合計すれば、約9割が高齢期にも高い就業意欲を持っている

2019年度(令和元年度)の内閣府「高齢者の経済生活に関する調査」を根拠としていますが、これを読めば分かるように、「働けるうちはいつまでも」働きたい人は、60歳以上で、かつ、現在収入のある仕事をしている人のうち、約4割に過ぎません。また、「働けるうち」が何歳かは人によって異なります。この時点でかなり厳しい解釈であると言わざるを得ません。

同調査は60歳以上の人を調査対象としており、本来、回答者中には収入のある仕事をしている人も、そうでない人も含まれています。大綱が紹介していない元々の調査結果にさかのぼって、回答者全体(n=1755)の傾向を確認すると、設問「あなたは、何歳ごろまで収入を伴う仕事をしたいですか。又は、仕事をしたかったですか」に対する回答の割合は、「65歳くらいまで」が25・6%、「70歳くらいまで」21・7%、「75歳くらいまで」11・9%、「80歳くらいまで」4・8%、「働けるうちはいつまでも」20・6%、「仕事をしたいとは思わない」13・6%、「不明・無回答」1・9%、でした。こちらでは、「働けるうちはいつまでも」という人は2割ほどしかおらず、「仕事をしたいとは思わない」人も13・6%います。また、傾向としては、65歳、70歳…80歳と選択肢の年齢が上がるほど、そこまで働きたいという人は大きく減少していきますので、データの自然な解釈として、一般的には働くのはせいぜい70歳くらいまでかなぁ、という世間の雰囲気を感じ取らざるを得ません。

ちなみに、回答者1755人のうち、「収入のある仕事をしている」人は654名、「収入のある仕事をしていない」人は1101名です。同調査は、調査対象者選定にあたって、年齢構成にバイアスが生じないよう、一定の抽出作業を行っているそうですので、60歳以上の人のうち、仕事をしている人の方が少数派であるという現実が分かります。

政府はなぜここで、あえて「現在収入のある仕事をしている人」に絞って集計したデータを使用しているのでしょうか? おそらく、「働けるうちはいつまでも」の数字上の回答割合を少しでも増やし、「仕事をしたいとは思わない」と回答する者の割合をほぼ皆無となるように減らし、高齢者が「高い就業意欲」を持っているという印象を偽装したかったのでしょう。

参考にもう一つ、政府の類似の調査を紹介しておきます。2023年に厚生労働省年金局が実施した「生活設計と年金に関する世論調査」の結果です。ここでも「あなたは、何歳頃まで収入を伴う仕事をしたいと考えますか。既に退職し、今後働く予定のない方は、何歳頃に収入を伴う仕事を退職しましたか」という質問がされています。この調査は、先の内閣府の調査と異なり、18歳以上の幅広い年齢層の人を調査対象としています。

その結果は、「50歳以下」が7・8%、「51~60歳」14・8%、「61~65歳」28・5%、「66~70歳」21・5%、「71~75歳」11・4%、「76~80歳」6・1%、「81歳以上」3・6%、「これまで働いておらず、働く予定もない」2・0%、でした。60歳まで働くことを希望しない人も2割超いることが分かります。

また、同調査は「その年齢まで働きたい理由」を複数選択肢回答で質問しています。結果は、「生活の糧を得るため」75・2%、「いきがい、社会参加のため」36・9%、「健康にいいから」28・7%、「時間に余裕があるから」14・6%…と続きます。圧倒的多数でダントツ1位は「生活の糧を得るため」であり、2位の「いきがい、社会参加のため」をダブルスコア以上の大差で引き離しています。

なお、「高齢者の経済生活に関する調査」によると、仕事をしたい(もしくはしたかった)年齢として「80歳くらいまで」、「働けるうちはいつまでも」と回答した人の中で一番多かった就業形態は、「自営業主・個人事業主・フリーランス」でした。こうした人々は、一般に高齢期の年金は国民年金(老齢基礎年金)となりますが、この金額は極めて低い状況です。2022年度の月額平均で、5万6428円です

上記を総合すると、多くの人々は、そこまで高齢になって無理して働くことを希望していませんし、働かなければならないとすれば、収入を得るためやむなく働く人が多数派です。そこまでして、高齢期に無理に働かなければならない背景には、日本の低位な公的年金水準や医療・介護の重い自己負担等の社会保障抑制政策があります。

大綱は、「65歳以上の就業者数は20年連続で前年を上回って過去最高となり、就業意欲の高まりもみられている」としていますが、それは単に高齢者層の人口自体が増えているだけか、公的年金実質引き下げ政策の中で、自営業や不安定就業層の人々を中心に、無理してでも働かざるを得ない境遇の高齢者が放置され続けている結果でしょう。それを「就業意欲の高まり」などと、高齢者自らが心から働きたがっているかのように歪曲わいきょくするのは、詭弁きべんというものです。

また大綱は、雇用・就業の場以外のインフォーマルセクターにおいても「今後一人暮らしの高齢者や認知機能が低下する人等の更なる増加等が見込まれるとともに、人と人とのつながりの希薄化や、望まない孤独・孤立に陥るリスクの高まりも懸念されており、地域社会のつながりや支え合いによる包摂的な社会の構築が求められている」としています

大綱は、後述のように、地域のケアの問題を、ボランティアの動員によって解決しようという論調に傾斜しています。私は自身でも高齢者を含む地域の人々の地域活動への参加意向等を調査してきました。紙数の関係上、詳細は省きますが、現に地域活動に参加できない人の多くは事情があり、地域のケア課題を自助・互助で解決することが困難な状況が垣間かいま見えます。

大綱が狙う施策と実行手段

前置きが長くなりましたが、大綱は、前提となる社会の現状認識の段階で大きな誤りを犯しています。故に、それが打ち出す施策に妥当性はありません。政権(経済界・大企業と癒着した)は似非えせ科学によって印象操作をしながら、何を企んでいるのでしょうか。以下、分野別の基本施策について、主な点をごく簡単に論評しておきます。

(1)就業・所得

まず、「年齢に関わりなく希望に応じて働くことができる環境の整備」として、高齢期を見据えたスキルアップやリ・スキリング(再教育)の推進が掲げられています。同時に、仕事内容や働きぶりに合わせた賃金体系等のアウトプットに基づく評価や処遇の仕組みの整備が必要ともしていますので、無条件に高齢期の充分な賃金を保障するわけではなさそうです。一般に、高齢になればどうしても気力や体力は減衰してきますので、高齢者を低賃金(ないし報酬)の不安定就業層として、人材不足の穴埋めに都合よく利用しようとする思惑が透けて見えます。

大綱は、公的年金についても言及していますが、高齢期の生活不安の大きな要因である低位な給付水準の底上げについては一切触れていません。掲げているのは、「制度の安定的運営」です。日本の社会保障政策分野では、制度の安定・持続可能性のために、給付が引き下げられ、人々の生活が困難になっていく本末転倒な事態が指摘されて久しいですが、改める気は一切ありません。

公的年金の「マクロ経済スライド」導入により、政治的に現役世代の所得代替率5割にまで実質的な給付水準の引き下げが目指される中、代わりに提示されているのが、個人型確定拠出年金(iDeCo)などの私的年金による「自助努力」です。また、金融業界や金融経済教育推進機構(J-FLEC)と連携し、ライフプランやライフステージに応じた資産形成や、NISAの活用を促すとしています。資産の乏しい低所得高齢者世帯には、居住用資産を担保に生活資金を貸し付ける、都道府県社会福祉協議会の「不動産担保型生活資金」の貸与制度の活用促進を図り、借金によってしのぐよう誘導する有様です。

(2)健康・福祉

「健康・福祉」については、「生涯にわたる健康づくりの推進」「介護予防の推進」が掲げられ、本来権利である健康の義務への転化を感じずにはおられません。

介護保険制度については、お決まりの「持続可能な介護保険制度」が掲げられ、ケア保障の「自助」「互助」への変質を意図する「地域包括ケアシステム構築の深化・推進」が主張されています。同時に、必要な介護サービスの確保、介護サービスの質の向上の名のもとに、ICT等のテクノロジーの介護現場への活用等を掲げています。LIFE(科学的介護情報システム)などを通じた利用者情報収奪と政権による恣意的利用が懸念されます。

健康保険制度については、「持続可能な高齢者医療制度の運営」として、後期高齢者の窓口負担3割負担(現役並み所得)の見直し等について検討を進めるとしています。さらなる負担増の強行が懸念されます。

(3)学習・社会参加

上記のような施策は、人々の実態や声に基づいたものではありませんが、大綱において注意すべき点は、「学習・社会参加」という節が設けられ、あの手この手で、国策に沿うように人々のマインドを教化・改変し、動員していこうとする意図が見られることです。

たとえば、若年層の「加齢に関する理解の促進」として、子どもたちには初等教育の段階から、高齢者やボランティア活動への理解増進を図ることが掲げられています。また、「全世代型社会保障」の構築にあたって、早い段階からの「社会保障教育」も掲げられており、政権による歪められた社会保障観が教育制度によって子どもたちに植え付けられる危険性が懸念されます。

高齢者に対しては、社会教育施設や大学を通じたデジタル等のテクノロジーに関する学びの推進に取り組むとしています。デジタル機器に不慣れな高齢者や、必要としていない人々への押し付けが懸念され、先端テクノロジー利用を通じたデータ収奪による高齢者の国家による管理・統制が懸念されます。健康保険証一体化強行問題などで評判の悪いマイナンバー制度への理解促進、公的年金の実質引き下げを目指しておきながら「自立的で持続可能な経済生活の実現」をするために、金融経済教育の充実も図るとしています。

こうした「学習・社会参加」の場として、行政、企業、教育機関、NPO、地域住民を連携して機能させ、文字通り地域ぐるみで政権の意向に沿うマインドを人民に植え付けていく意図が読み取れます。

おわりにー高齢社会対策大綱への対策を

大綱からは、政府が社会調査から都合の良い前提を偽装し、その上に政権・大企業本位の政策を主張し、またその中で「学習」と称して、じわじわと政権に都合の良いマインドに人々を洗脳し、国家権力の下に行動を統合しようとする一連のプロセスが明確に見いだせます。

なお、大綱が根拠の一つとする内閣府「高齢者の経済生活に関する調査」ですが、内閣府が行う類似の調査に、「国民生活に関する世論調査」があります。同調査は、18歳以上の幅広い年齢層を調査対象としており、「政府に対する要望」を質問しています。2019年調査の1位の回答は、「医療・年金等の社会保障の整備」(66・7%)でした

しかし、60歳以上対象の「高齢者の経済生活に関する調査」の方は、国に対して公的年金を含む社会保障の整備や拡充を要望できる質問項目がなぜか設けられていないのです。代わりに、私的年金や貯蓄に関する意識形成を誘発するような質問が設けられています。

このように、国の調査においても、18歳以上の幅広い年齢を対象とした調査では、社会保障の整備を求める声が噴出しているのですが、60歳以上をターゲットとした調査では、そうした声すらあげさせず、老後の生活に対する自己責任感を誘発させ、かつ、得られた調査結果を恣意的に解釈し、政権の目指す政策を強行するための材料としています。ここから分かるのは、社会保障の改善に向けては、若年層と高齢層が手を取り合うことができる土壌は本来あるのですが、それが政権によって意識的に分断されているということです。

こうした政策遂行の「手口」が、住民の自治や民主主義に反することは論をまちません。政権の手口を織り込んだ上で、批判と抵抗を各分野で意識的に行っていくことが必要と思われます。それが自治というものです。

【注】

井口 克郎

1981年、石川県金沢市生まれ。金沢大学大学院人間社会環境研究科修了。専門は社会保障論。博士(経済学)。著書等:『社会保障レボリューション―いのちの砦・社会保障裁判-』(2017年、高菅出版、共著)、『災害復興と居住福祉』(2012年、信山社、分担執筆)。

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