【論文】地下水ガバナンスへ向かって―現状と課題

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地下水と地域のつながりを見つめ直し、「地下水ガバナンス」の概念をヒントに、自治体の役割や住民参加の可能性を考えます。


地下水は古くから人間にとってなくてはならないものでした。例えば井戸水は日常生活の水源であっただけでなく、地域特有の文化や信仰とも深く結びつき、人々の暮らしの根幹を形成してきました。地下水は明確な所有者を持たず、地域住民が共同で利用し、時には管理してきたという点で「共有資源(コモンズ)」です。しかしながら、地下水は地表水と違って目に見えません。そのため、問題が起きてもそれが社会によって認識されにくく、また顕在化に時間がかかる傾向があります。こうした性質は、地盤沈下や水質汚染などの深刻な環境問題を引き起こす一因ともなってきました。近年では、新たな地下水に関連する問題が各地で浮上し、私たちの地下水との向き合い方が改めて問われています。本稿では、わが国における地下水をめぐる社会制度を振り返るとともに、今後一層重要となってくるであろう地域主体の役割について論じ、持続可能な地下水の保全・利用を考えてみたいと思います。

見えない地下水、制度化の遅れ

日本では、古くから各地に井戸や湧水を中心とした集落が形成され、地下水資源を共有する共同体が自然発生的に構築されてきました。こうした伝統的な共同利用の中には、地下水の使用に関する特有のルールや相互扶助の慣行によって維持されていたものがあることが知られています例えば、(遠藤 2018)。しかしながら、近代化とともに公共水道が整備され、人々が地下水と接する機会は次第に減少していきました。そして、戦後の日本経済の急成長は、都市への人口集中と工業用水・上水道用水需要の急増を招き、都市部や工業地帯を中心に地下水の大量揚水が行われました。そして、特に東京や大阪などの大都市圏では深刻な地盤沈下が発生する事態となりました。地盤沈下は一度起こってしまうと完全な回復が困難であるといわれています。なぜこのような事態にまで至ってしまったのでしょうか。理由は複合的ですが、一つには、地下水の利用を進めるための制度はあっても、守るための制度が欠如していたことがあるでしょう。開発と成長を重視する時代背景のなかで、保護は後手に回ったと言えます。また、その背景には、地下水に関する科学的理解が進んでいなかったこともあったと思われます。地下水は地中を流れており目に見えないため、地表水に比較して観測が困難です。さらに、先述のように、「人々と地下水のかかわりの減少」もあったかもしれません。蛇口をひねれば水が出るようになったことで、地域内での井戸の共同管理の必要性は次第に薄れ、地下水そのものに対する関心も希薄になっていったのではないかと想像されます。いずれにせよ、無計画な地下水利用による社会インフラや都市生活への影響が顕在化したことで、ようやく地下水の管理と保全の必要性が広く認識されるようになったのです。

法制度による対応

高度経済成長期に、地下水の過剰揚水による地盤沈下などの地下水障害が顕在化する中で、国の対応は遅れました。河川は古くから運輸や電力開発の重要手段であり、また治水上の必要性もあったため、国による管理の対象とされてきました。一方で地下水利用に対する介入は、長らく行われないままでした。そのひとつの原因に、地下水の法的性質に対する解釈が関連しているという指摘があります。民法206条は「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する」と定め、同207条は「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」と定めています。これを根拠とし、地下水利用権は土地所有権に附随するという解釈が存在してきました。この考え方に基づけば、土地所有者による地下水採取に対する規制は土地所有権の制限にあたることとなるため、規制に対して消極的な姿勢が続いてきたという見方です。

そうした中、地盤沈下被害の深刻化を受け、地下水採取を一部規制する法律が導入されました。1956年の工業用水法は、一部の工業地域における工業用地下水の揚水を規制するものです。しかし、この法律は工業用水のみに適用されるものであったうえ、工業用水の安定供給が第一義で揚水規制は二の次でした。また、1962年には「建築物用地下水の採取の規制に関する法律(ビル用水法)」が制定されましたが、既に地盤沈下が発生している地域で、かつ高潮や出水等による災害が生じるおそれがある地域のみが適用対象とされるなど、やはり規制対象は限定的でした。これらの法律では地盤沈下の抑制には十分でなく、両法の対象とならない大都市周辺や地方都市へ、被害は波及していきました。

その後、1967年には公害対策基本法が制定されました。同法は公害の範囲として、大気汚染、水質汚濁、騒音、振動、地盤沈下および悪臭の六つを掲げ、環境基準の設定や公害防止計画の策定等各種施策の総合的展開が図られました。そして1970~1980年代には、地盤沈下被害の深刻化を受けて、地下水に関する総合法を制定しようとする動きが活発化します。各省庁・団体から様々な地下水法案が提起され、中には地下水の「公水」化を指向したものや、地下水採取者に金銭的負担を課すことを提案しているものなど、先進的な内容を含むものもありました。しかしながら、結局立法化への合意は得られず、総合法の制定は日の目を見ずに終わりました。現在においても、地下水の総合的な保全を掲げた法律は存在していません。

2014年に水循環基本法が施行されたことは、地下水管理制度に一定の転機をもたらしました。同法は、健全な水循環の維持・回復を理念として掲げ、地下水を含む水を「国民共有の貴重な財産であり、公共性の高いもの」(3条の2)と位置付けました。さらに、2021年の「水循環基本法の一部を改正する法律」では、地下水に関する施策が水循環基本法に含まれることが明記され、国や地方自治体が実施する地下水施策の法的根拠が明確化されました。こうした水循環基本法の理念を、いかに地域レベルで解釈し制度として実装化していくかが、今後の鍵となっています。

地下水ガバナンス─参加型の地下水管理へ

日本での水循環基本法の制定に向けた議論と時を前後して、国際社会では、「地下水ガバナンス」という新たな地下水保全管理の概念が関心を集めました。1950年代には世界各地でダム建設などの大規模な水資源開発が行われ、自然環境が深刻な影響を被りました。それに対する反省として、1960年代以降は世界的に自然保護の機運が高まり、水資源においても「開発」だけでなく「管理」を重視すべきことが認識されていきました。国連人間環境会議(1972年)で示された「人間環境宣言」においては、水を含む天然資源は「地域住民の利益のために環境を保護し改善する必要性と開発が両立しうるように、統合的かつ協調的な方式を採用しなければならない」(原則13)とされ、「水と環境に関する国際会議」(1992年)におけるダブリン宣言では「水の開発と管理は、すべてのレベルにおける水利用者、計画立案者、そして政策決定者を含んだ参加方式を基礎とすべきである」(原則2)とされました。このように、水資源管理における多様な利害関係者の参加と連携を重視する考え方は「統合的水資源管理(IWRM Integrated Water Resource Management)」と呼ばれ、世界各地でその実践が進められてきたのです。

地下水ガバナンスは、関連する領域やセクター間の連携・統合、そして市民や民間セクターの参加といった、IWRMの中核的要素を継承する概念です。従来のように、地下水の物理的・化学的な状態を測り、その改善を図っていくだけのやり方ではなく、例えば河川管理、生態系保全、農業、エネルギー、防災など隣接する政策領域との関係や、文化的価値など多様な側面との接合が意識され、それらに利害関係を有する多様な主体の権利と参加が重視されます。こうした方針は、水循環基本法に掲げられた地下水の共有性、公共性と軌を一にしていると考えられます。地下水は、国や地方自治体が一元的に管理するのではなく、市民、企業など多様な主体がお互いに連携・協力しながら、共有資源としてみんなで考え、守っていくものへとシフトしています。

地域主体の重要性が一層高まる

水循環基本法の理念の実現に向け、地下水ガバナンスを実践していくにあたっては、地域ごとの取り組みがますます重要になってくるでしょう。実はわが国では、地方自治体が地下水政策を先導してきた歴史があります。前述の通り、国の法制度が十分に整備されない中、現場の問題に直面した都道府県や市町村が、各地域の状況に合わせて条例を制定するなどして、地下水保全制度を充実化させてきたのです。筆者が以前に実施した全国の地下水条例の分析(千葉 2019)からは、条例は国家法に比較して規制対象とする井戸の種類がより広範であるだけでなく、地下水利用者による採取量の測定・報告義務、地下水への影響を事前評価する義務など、地下水障害の発生を未然防止するための規定も充実していることが明らかになりました。また、行政区域内に数種類の指定区域を設けてそれぞれに異なる規制を課すなど、各地域の状況に合わせたきめ細かな対策が講じられていることもわかりました。また、揚水規制のみならず、地下水のかん養、災害時利用、地下水に関連する景観や生態系の保全など、国家法の存在しない多様な側面が、地下水条例によってカバーされていることが見えてきました。

さらに興味深いことには、水循環基本法制定の以前から、地下水を「公水」、「公共水」、「共有物」、「共有資源」、「公共の財産」、「市民共有の貴重な財産」、「共通の財産」などと定義し、地下水の共有資源としての性格を明記している条例が各地で見られたことです。例えば神奈川県秦野はだの市の地下水保全条例(2000年制定)は、「地下水が市民共有の貴重な資源であり、かつ、公水であるとの認識に立ち」地下水保全に取り組むと掲げています(1条)。こうした条例の存在は、地下水利用権を「土地所有権に附随する」とする一律的な解釈とは対照的に、地下水の性格は地域によってグラデーションがあることを示唆しています。

水循環基本法のもとでの地下水政策は、条例によって地下水政策の整備が進められてきた歴史を踏まえ、自治体による創意工夫に富んだ挑戦を一層促していくようなものであるべきです。

特に昨今の地下水に関連する課題は、かつての過剰揚水や局所的な水質汚染に比較して、より多面的で複雑な性格を有するようになっていると見受けられます。

三つほど例を挙げてみましょう。一つ目として、各地での休耕田や耕作放棄地の増加により、水田からの地下水かん養量が減少することが懸念されています。この場合は、直接的な地下水利用による影響ではなく、農業従事者の減少など、他の問題から意図せず派生した要因が絡んでいます。二つ目として、気候変動による降水・降雪パターンの変化が、地下水利用に影響を与える可能性が指摘されています(谷口 2005)。これも原因者と影響を受ける者の境界線が曖昧であり、特定主体の特定行為を規制することで解決できるものではありません。三つ目に、地下水位の低下ではなく、むしろ回復が新たな対策を要請している事例も見られます。例えば、地下水位が下がった時代に構築された地下構造物が、地下水位の回復によって漏水したり浮き上がったりする事態が発生しており(徳永 2015)、その対策に多額の資金が投入されています。今後は地下水を単に「守る」だけでなく、「守りながらどのように使っていくか」という視点も考えていく段階にきているのかもしれません。これは、制度の在り方に見直しを迫ると考えられます。

これらの例に限らず、画一的なトップダウンの規制がそぐわない課題が観察されるようになっています。地域住民の共有財産(コモンズ)である地下水を守り、どう活用していくのかは、決まった答えがあるものではなく、その水を共有する地域の主体で考え、決定していくべきことです。水循環基本計画では、流域単位を基本とし、地方自治体や国の地方支分部局、流域の利害関係者(事業者、団体、住民等)、有識者等から構成される「流域水循環協議会」を設置し、また、流域の特性を踏まえた総合的な「流域水循環計画」を策定するよう努めることを定めています。認定された 「流域水循環計画」は2025年3月時点で全国84計画まで増加しています。

福井県大野市は街のいたるところで水が湧き、豊かな地下水は人々の生活を支えています。写真はかつて殿様のご用水として用いられた「御清水(おしょうず)」。(筆者撮影)

こうした協議体や計画は、その枠組み自体に意義があるのはもちろんのこと、地域の課題や住民の声を掘り起こし、対話を重ねながら合意形成を図っていく過程そのものが重要な意味を持ちます。多様な主体の参加と連携は、耳ざわりの良いスローガンのように響きがちですが、相互の利害関係や立場の差を埋める努力が求められ、実現は容易でないのも事実です。行政に委ねたままにするのではなく、水を共有する市民が地域の現状や課題を共有し、互いの立場を尊重しながら協働的な対話を重ね、意思決定に関与していくことが求められています。

【参考文献】

千葉 知世

京都大学大学院地球環境学舎博士課程修了、京都大学博士(地球環境学)。『日本の地下水政策:地下水ガバナンスの実現に向けて』(京都大学学術出版会、 2019年)で2021年度水文・水資源学会学術出版賞受賞。専門は環境政策学。

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