【高知・四万十市】地域医療を切り捨てた先に何が起きているのか
四万十市立市民病院で働く立場から

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このまちで病気になったとき、安心して頼れる病院は残っているでしょうか。通院も入院も簡単ではない中山間地域で、公立病院は単なる医療施設ではなく、「命の最後の砦」です。その現場で働くものとして、今、見過ごせない現実があります。


全国各地で、公立病院の統廃合や機能縮小が進められています。「赤字」「非効率」「持続可能性」といった言葉が前面に出され、地域医療は数字だけで評価されがちです。しかし、現場で起きている現実は、それらの言葉ではとても語り尽くせるものではありません。言葉の裏側で、地域に暮らす人びとの命と尊厳が、静かに、しかし確実に削り取られています。

高齢化が進む中で、地域の病院ですら簡単にはアクセスできない状況が生まれています。かつて地域医療を支えてきた出張診療所や巡回診療も、医師不足や経営難を理由に次々と閉鎖されました。その結果、通院が必要かどうかを判断してもらう機会すら失われている高齢者がいます。医療に「つながらない」こと自体が、当たり前の風景になりつつあります。

私は四万十しまんと市立市民病院で働く中で、こうした現実を日常的に目にしています。病院に来られた時点で、すでに病状が進行している方も少なくありません。本来であれば、もっと早く診断され、治療につなげられたはずのケースです。医療へのアクセス格差は、そのまま命の格差となって表れます。

さらに深刻なのは、人としての尊厳が、住む場所によって脅かされているという事実です。誰にも看取みとられず、ひとりで亡くなられる方がいます。それは決して「不運な個人」の話ではありません。医療や介護につながれず、孤立の中で最期を迎えざるを得なかった、社会の責任です。

忘れられない患者さんがいます。独居で暮らしていた高齢の方でした。体調が悪化しても「迷惑をかけたくない」と受診をためらい、ようやく病院に来られたときには、すでに病状はかなり進行していました。もっと早くつながっていれば、違う経過をたどれたのではないか─そう思わずにはいられませんでした。

その方は、「ここがあってよかった」と何度も口にされました。遠くの大病院ではなく、この地域にある市民病院だからこそ、来る決断ができたのだと思います。退院後も通院を続けましたが、通うたびに体力は落ち、付き添う家族もまた疲弊していきました。医療は治療だけで完結するものではありません。そこには、生活があり、家族があり、地域があります。私たちは、そのすべてを背負うようにして患者さんと向き合っています。

必要な検査や治療を受けるためには、片道100キロメートル以上離れた中核市まで行かなければならないケースもあります。しかし、高齢で車を運転できない、公共交通機関も乏しい、付き添いを頼める家族もいない、そうした人たちは、そもそも病院に行くことができません。それでも国や社会は、「行けないのは自己責任」と言います。医療を受けることが、努力や自己管理の問題にすり替えられているのです。

そして、地域で高齢者を支えている医師や家族も、また高齢者です。地域医療を担う医師自身が高齢になりながら診療を続け、家族もまた自らの暮らしや健康を削って通院の付き添いや介護を担っています。その負担は、すでに限界に達しています。それでもなお、「効率化」の名のもとに医療資源が削減されれば、地域医療は音もなく崩れていきます。

私が所属する人工透析室での、透析患者の現実も深刻です。人工透析は、週に複数回、定期的に受けなければ命に直結する治療です。たった一日でも治療を受けられなければ、たちまち命の危険にさらされます。しかし、公共交通が脆弱ぜいじゃくなこの地域では、透析施設に通うために、高齢者が一人で長距離を車で運転せざるを得ない現実があります。体調が万全でない中で、「行かなければ命が危ない」「しかし行く道中も命がけ」という二重の危険を背負わされている状況に、胸が締め付けられる思いがします。

地域の調剤薬局とのネットワーク連携も、制度上はシステム化されていますが、現実には薬剤師不足が深刻です。そのため、医師の処方箋を形式的に確認し、いわば〝トレースする〟ことしかできない状況が生まれています。本来であれば共有されるべき服薬状況や生活実態、副作用の兆候などが十分に医療側へ戻ってこないまま、連携が成り立っていることにされています。顔の見える関係が築けず、患者を中心に据えた本来のチーム医療が機能していない現実があります。その結果、薬がうまく管理できなかった場合でも、制度の不備ではなく「患者の自己管理不足」とされてしまいます。本来は安全のためにと国が進めてきた医薬分業が、地域によっては、かえって責任を患者に押し付ける構造を生んでいるのです。

公立病院は、こうした現実を受け止める最後のとりでです。採算が取れるかどうかではなく、「必要だから存在する」医療機関です。新型コロナウイルス感染症の流行時、公立病院は地域医療の中核として機能しました。感染症医療、救急医療、高齢者医療。民間では担いきれない役割を引き受け、地域の命を支えてきました。その経験があるにもかかわらず、いま再び公立病院は切り捨ての対象とされています。

公立病院の問題は、医療従事者だけの問題ではありません。住民が安心して暮らし続けられるのか、地域で最期まで生きることができるのか、自治体が果たすべき責任とは何か。社会の根幹に関わる問題です。医療にアクセスできない地域で、「自己責任」という言葉を突き付ける社会であってはなりません。

地域医療の縮小は、単に「病床が減る」「診療科がなくなる」という話ではないのです。誰かが受診を諦め、誰かが付き添いに疲れ果て、誰かがひとりで不安を抱え込むという連鎖を生み出します。その先にあるのは、統計には現れにくい、静かな孤立です。私は現場で、その一つひとつの表情を見ています。だからこそ、地域医療を守ることは、命だけでなく、暮らしと尊厳を守ることなのだと強く感じています。

私たち医療現場で働く者は、地域医療を切り捨てた先に待っている現実をこれ以上見過ごすわけにはいきません。地域医療を切り捨てた先に待っているのは、効率的な社会ではなく、誰にも看取られず、必要な医療にもつながれず、命を守るために命がけの選択を強いられる老後が待つ社会です。そんな未来を当たり前にしてはなりません。尊厳ある暮らしを守るため、私たちは現場で起きている事実を伝え、公立病院と地域医療の必要性を訴え続ける責任があります。

岡上 則子

高知自治労連執行委員長。四万十市公務公共労組医療分会長。1994年、中村市立市民病院(現・四万十市立市民病院)入職。

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