「地域から鉄道が失われたらどうなるか」。鉄道事故に端を発した「マイナスの社会実験」により、鉄道会社、行政、市民の協同で誕生した「えちぜん鉄道」の成果と、社会資本としての交通網について考えます。
年間の利用人員が300万人以上、また路線長50キロ以上、四十数駅を持つ鉄道が、ある日突然運行できなくなりました。これは鉄道事業者であった京福電鉄が、半年の間に2度の正面衝突事故を起こしたことにより、国土交通省から鉄道の運行停止の命令を受けたことから始まりました。停止期間は2001年から2年間にわたり、この時初めて地域社会全体が、鉄道の社会的影響というものを直視することになりました。これが「マイナスの社会実験」です。
「車が正義」だった福井に起こったこと
福井県は1世帯あたりの自動車所有台数が日本一の車社会です。しかしこの車の密度の高さゆえに、鉄道と同じ輸送力でのバス運行というのは不可能であることがすぐに判明しました。道路上で乗降者の対応を行うバスは朝夕に渋滞を発生させ、バス利用を諦めた人たちが車通勤・車での送迎に切り替えたことがまた道路渋滞を悪化させるという悪循環が起こりました。この事態が長期化し、雪などの悪天候時は、始発に乗っても高校の始業時間に間に合わないなど、学校側にとっても深刻な事態が続発しました。通学手段問題は、中学生の高校進学の選択にまで影響を及ぼすものとなりました。教育熱心な土地柄もあって社会的な関心も非常に高まり、その結果としての住民運動も盛り上がりを見せました。これもまた、保守的で農村的性格が強い地域では経験のない現象でした。この住民たちの活動が、県も含む自治体の首長・議会を動かしました。
福井県職員として京福路線の存続問題の仕事に当たっていた時、鉄道で通学していた高校生の親御さんからいただいた手紙には、「事故を起こした会社はいらないけれど、鉄道は必要だ」と書かれていました。マイナスの社会実験により地域が気づいたのは、この点でした。2001年11月、沿線の9市町村長と福井県知事の間で、鉄道存続に関する基本合意がなされました。鉄道存続のためには新しい運行主体(鉄道事業者)を一から作ることが必要になっていましたが、方法論より先に、基本的な意思決定ができました。当時は法的な支援制度もない中、地域社会が自主的に一つの結論を導き出した画期的な出来事でした。
えちぜん鉄道発足からの年の成果
2002年9月、沿線基礎自治体が資本の約7割、残りの3割は県内の企業・団体、そして沿線住民の支援団体の出資により、えちぜん鉄道株式会社が設立されました。翌2003年の秋から鉄道運行が再スタートを切りました。これ以降、福井の新たな社会実験は、鉄道を「地域社会資本」として位置付け、鉄道事業者と自治体が共同して投資を行い、住民のための鉄道サービスを実施するというものとなっています。
えちぜん鉄道では、「地域共生型サービス企業」を企業理念として定め、利用者増加のための種々の積極策を考えて実行しました。これをリードしたのは民間から招聘された当時の社長であった見奈美徹氏と、初代の鉄道部長でJR出身の島洋氏です。長い時間をかけながら、地域と会社のつながりが広がり、有形無形のサポートが行政を含む地域全体に蓄積されていきました。これが地方鉄道の常識を覆すような結果を生んでいます。
鉄道と地域・行政の協力は駅に最も端的に現れています。2023年までに新駅として設置された駅は3駅、沿線自治体により登録有形文化財として大規模保存改修を行った駅が3駅など、連続立体交差事業も含め改修を行った駅の数は44駅中17駅に上ります。さらに、トイレの改修、パークアンドライド駐車場の新規設置も、上記の改修駅以外でも複数行っています。これらは全て地元市町と県も協力しての事業です。現在の沿線の5市町全ての総合計画および都市計画マスタープランでも、鉄道路線を軸にしたまちづくりを志向し投資を行っており、福井鉄道との相互乗り入れのように、交通ネットワークの拡充までもが図られています。
この間、乗客数は順調に伸び、コロナ前の2018年度は370万人に達しました。2025年度は北陸新幹線開業効果もあり400万人を超えました。さらに特筆すべきは、通勤定期客の増加です。パークアンドライドの駐車場、トイレも含め安心で快適な駅など、車社会においても、快適性のある施設に投資ができれば確実に成果は現れます。えちぜん鉄道活性化連携協議会の「令和7年度第1回協議会」(2026年2月)において、通勤定期がコロナ禍前の2019年度同期比で19・1%のプラスとなっていることが報告されました(福井市 2026)。この中には交通系ICカード導入による回数券の移行も含まれていますが、定期全体と回数券を含めた集計でも2019年と比較して9・3%の増加です。「車社会」福井で、開業以来一貫して車から鉄道への行動変容は続いており、地域のカルチャーまで変革した見奈美氏の功績は計り知れません。2020年に急逝されたのが惜しまれます。
経済学から考える交通と地方自治
筆者は、1992年から2008年までは福井県庁、そして2010年から2021年まで、えちぜん鉄道株式会社に勤務しました。県職員時代にはえちぜん鉄道の設立とその後の安全投資補助などの行政実務、えちぜん鉄道では株主でもある沿線自治体との折衝業務、連続立体交差事業や北陸新幹線工事関連協議、福井鉄道との相互乗り入れ等の社会的投資、そして安全の統括責任者としての業務に就いてきました。2021年にえちぜん鉄道を退職したのちは、2022年から金沢大学人間社会環境研究科博士後期課程に入学し、経済学の理論・手法による地域経済と社会資本の関係に関する研究を行っています。
鉄道と地域の関係を見るとき常に感じるのは、「木を見て森を見ない」現在の交通政策と地方行政の制度です。日本は鉄道を民間事業・独立採算としながらも、鉄道事業法は「公共の福祉」を要求します。事業性と公共性、低廉な料金と安全を含む高品質なサービスは本来両立しません。運賃でカバーできない事業者の赤字は、鉄道利用者の黒字でもあります。社会における鉄道廃線の社会的効果を統計的な手法を用いて分析した拙稿では、廃線は若年人口の流出につながり、地域の衰退を加速することを示しました(伊東 2025)。負担を嫌うがゆえに社会資本投資を忌避し、結果として人口を減らしては、地域としては元も子もないのですが、政策の背景となっている交通経済学にも、実は社会・市場そのものを支えるという交通利用者以外の役割について位置付けがありません。これが日本の縦割り行政と重なることで、現在の状況が引き起こされています。
誰のための地域交通か?─普遍的課題としての地方自治
福井の地域社会の経験は、2007年の地域公共交通の活性化及び再生に関する法律(以下、地域交通法)、2013年の交通基本法策定などの流れを先導してきたとも言えます。2020年の地域交通法改正では、各種補助制度活用のためには学識者を含む法定協議会設置と地域公共交通計画策定が必要となりました。「調査、分析及び評価の実施」にも努めることとされ、地方運輸局の開催する第三者評価委員会に評価結果を送付することが行われています。しかし、地域の交通を含む政策の、本来の「評価者」は誰でしょうか。近年、地方行政施策において、計画策定と補助要件化を通じた形での実質的な霞が関のコントロール強化への批判があります(今井 2018)。地域交通法についてもこの批判は当てはまるでしょう。
また、2023年4月の地域交通法改正では、法律の目的規定に「地域の関係者」の「連携と協働」が追加されました。確かに福井では鉄道事業者と行政が協力して目標達成を図るいわば「地域制度」というものが形成されています。しかしこれは、協力の義務化ではなく、負の社会実験を契機とする行政と鉄道事業者の役割・責任の明確化がベースとなっています。協力を目的化しても成果は生まれません。これが京福時代の利用促進策の現実的反省です。
さらに、2026年現在、地方にとっての最も深刻な交通の課題は、JRの地方路線となっています。これは、「全国レベルの社会資本ネットワークの内部補助・再分配の問題を県・道単位の議論で解決できるのか」という点に最大の難しさがあります。一つの県域内のえちぜん鉄道の場合は、地域内利害関係者のコンセンサスの余地がありました。しかしJR問題は、外国人株主も含んだ機関投資家が多くを占めるJRの株主と利用者、あるいは財源配分の権限を持つ中央と要求する地方自治体のような、根本的な対立構造を持つ問題であるという点から考える必要があります。このような状況での「連携と協働」が、果たして機能するのでしょうか。
何玏(2025)は、「行政が関与する他の生活サービス分野で、サービス設計にいちいち外部の大学教授や専門家が介入しないといけない分野はない。現状は、地域公共交通を取り巻く仕組みが複雑怪奇すぎて、外部の『伝道師』に依存しなければならない状態」であることを指摘するとともに、「地域公共交通をもっと一般的な、普遍的な問題として位置づけ、土木計画学はもちろんのこと、経済学・地方財政学・行政学のメインストリームの人に、メインストリームの手法を用いて扱ってもらう」必要性を述べています。現在の地方交通問題への対処には「交通の専門家」だけでは全く力不足であり、地方自治・地方財政の専門家としての行政職員が、現場の専門家としての地方交通関係者とともに取り組むべき課題になっているのです。
北陸新幹線が福井に延伸され、JR北陸本線の福井県内部分は、県が最大株主となる並行在来線会社、ハピラインふくいへと引き継がれました。まず行われたのは増便であり、次は新駅設置というサービス投資です。3セク会社だから不可避的に非効率になるわけではありません。社会的目的の設定の欠如とガバナンスの仕組みの欠如、自主的学習の不在が問題を生み出すのであり、民間企業でもこれは何ら変わりません。福井の鉄道は、地域経済学・地方自治・経営学への貴重な「社会実験の結果」をもたらしています。
【参考文献】
- 今井照(2018)「『計画』による国-自治体間関係の変化─地方版総合戦略と森林経営管理法体制を事例に」『自治総研』477号、53~75ページ。
- 伊東尋志(2025)「因果推論手法を用いた地方鉄道インフラの社会的影響識別の試み─2000年以降の地方民鉄路線存廃判断の基礎自治体への影響」『交通学研究』68号、41~48ページ。
- 何玏(2025)「第72回土木計画学研究発表会・秋大会招待講演資料」
- 福井市(2026)「えちぜん鉄道活性化連携協議会令和7年度第1回協議会」
