【論文】全世代型社会保障改革が目指す「自助・共助・公助」型社会保障の本音


全世代型社会保障改革は、「全世代負担増」型社会保障改革だといえます。また、その根底には、自己責任論があり、人権保障の視点が欠落しています。自公政権の全世代型社会保障改革の全体像を批判的に検討します。

はじめに

2019年9月に内閣官房に設置された全世代型社会保障検討会議(以下「検討会議」)は計4回の会合を経て、2019年12月19日に第1次中間報告を公表しました。その直前に、自民党『人生100年時代戦略本部取りまとめ』(2019年12月17日)、公明党全世代型社会保障推進本部『安心の全世代型社会保障の構築に向けて(中間提言)』(2019年12月18日)が発表されましたが、第1次中間報告の内容は、自民党の『取りまとめ』と文言等も含めて内容はほぼ同じでした。また、同『取りまとめ』のベースとなったのは、2019年5月24日に経済産業省産業構造審議会2050経済社会構造部会が公表した『人生100年時代に対応した「明るい社会保障改革」の方向性(とりまとめ)』だと考えられます(その点は、本誌27ページ以降の濵畑論文を参照ください)。

検討会議は、2020年12月15日、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の拡大を受け半年遅れで最終報告を公表しました。しかし、最終報告にふさわしい形態を備えているとは到底いえません。そのタイトルは『全世代型社会保障改革の方針』としていますが、内容は社会保障を網羅的にカバーして方針を提起しているわけではありません。

本稿においては、検討会議の議論、報告書から見えてくる課題を俯瞰的に検討します。

検討会議、3つの報告書の関係性

第1次中間報告は、第5回会議(2019年12月19日)において取りまとめられました。同報告書は社会保障に網羅的に言及していますが、2点大きな問題が存在します。1点目は、障がい者福祉に関して全く触れていないことです。これは、第2次中間報告(2020年6月25日)、最終報告(2020年12月15日)においても同様です。当然社会保障は社会福祉を包摂する概念で、国民誰しもが障がい者になる可能性があるにも関わらず触れていないことには、何らかの意図があったと理解すべきです。それは、第2次中間報告で明らかとなりますが、社会保障分野に「生産性」の概念を全面的に導入する方針を明らかにしていることから理解できるように、新自由主義下では生産性の観点から不利となる障がい者を扱うことで、国民からの批判が当然起こるであろうことを認識していたがゆえに、あえて触れなかったと思われます。

2点目は、第1次中間報告では、第2次中間報告、最終報告で詳細に触れている少子化問題対策に一切言及していない点です。「少子高齢化の克服」との小見出しから、一定の問題意識を持っているとは思われますが、その実「全ての人が個性を活かすことができる社会を創れば、少子高齢化という大きな壁も克服できる」とし、全世代型社会保障を構築することで必然的に少子高齢化問題が解決できるとしており、きわめて楽観的な見通しの感は否めません。ただ、第2次中間報告、最終報告では2度にわたり詳細にその対策に触れていることから、国民からの批判をかわすべく慌てて言及した可能性があります。

第2次中間報告と最終報告は、触れられている課題の重複を避けてまとめられており、この二つの報告を合わせることで実質的な「最終報告」となっていると理解すべきです。

第2次中間報告は、第6回会議「介護サービスの生産性向上について」、第7回会議「フリーランスの調査結果、新型コロナウイルス感染症の拡大を踏まえた社会保障の新たな課題」、第8回会議「最低賃金、少子化社会対策大綱」を受けて、第9回会議でまとめられたことから、言及している分野が「労働」、「予防・介護」、「少子化対策」で、また、本来この時期に最終報告をまとめるはずでしたが、新型コロナ感染拡大でその目的がかなわなかったため、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大を踏まえた社会保障の新たな課題」との小見出しで2ページを割いて触れています。

最終報告は、タイトルが「全世代型社会保障改革の方針」となっていることから、全世代型社会保障の将来展望・改革方針を提起するだろうと思われましたが、実際は第2次中間報告とりまとめ以降の会議で議論された内容に言及するだけに終わっています。具体的には、第10回会議「少子化対策」、第11回会議「医療改革」を受けて、最終報告は「少子化対策」、「医療」に触れるにとどまりました。

また、新型コロナが世界的な課題であるにも関わらず、最終報告では、医療の項で数行言及しているだけです。新型コロナにおける国の無策の反映だと推察されます。

底流にある「自助・共助・公助」観

検討会議に貫徹する社会保障の基本的視点は、「全世代負担増」といえます。

第1次中間報告では、「年齢ではなく負担能力に応じた負担という視点を徹底していく」、最終報告では、「全ての世代が公平に支え合う」としており、その姿勢は一貫しています。いったい、この考え方の底流にある思想はどのようなものでしょうか。

筆者は、社会保障を「自助・共助・公助」の3層構造で捉える思想の延長線上にあるのが、全世代負担増の視点だと考えています。

これは、菅義偉首相が、自民党総裁選で社会保障を「自助・共助・公助」と3層構造で捉えたことから一躍脚光を浴びた標語となった感がありますが、検討会議第1次中間報告、最終報告にもその文言が見られ、自己責任を基調とした社会保障観です。

第1次中間報告では、「改革全般を通じて、自助・共助・公助の適切な役割分担を見直し」と言及。最終報告では、「菅内閣が目指す社会像は『自助・共助・公助』そして『絆』である。まずは自分でやってみる。そうした国民の創意工夫を大事にしながら、家族や地域で互いに支え合う。そして、最後は国が守ってくれる」としました。

自助・自己責任を強調する社会保障観は、自民党政権では1960年代以降一貫して見られます。ただ、「自助・共助・公助」の概念で社会保障をとらえたのは、公式文書では2006年版『厚生労働白書』が最初です。同白書では、「我が国の社会保障は、自助・共助・公助の組み合わせにより形作られている。もとより、人は働いて生活の糧を得、その健康を自ら維持していこうと思うことを出発点とする。このような自助を基本に、これを補完するものとして社会保険制度など生活のリスクを相互に分散する共助があり、その上で自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準、家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公助がある」と社会保障を3層構造で説明しています。

しかし、この3層構造論には大きな欠陥があります。私たちが暮らす資本主義社会では、そもそも「自助」という前提は成り立ちません。つまり、この社会においては、ほとんどの人々は生産手段(工場、機械、道路網、原材料等)を奪われているため、自らに備わった働くことのできる能力(労働力)だけを切り売りして生きていかなければなりません。従って国民は、常に失業、障がい、疾病、介護状態、保育等により労働力が一定程度制限される状態にあり、また定年退職、重い障がい、死亡、回復不可能な疾病等により労働力を喪失する恐怖にもさらされています。これらの課題は「生活問題」と呼ばれ、人々がこの生活問題を抱えることで、生活の糧である賃金(労働力の価値)が減少したり支出が増えたりし、生活が不安定となります。

この生活問題を緩和・解決するのが社会保障と呼ばれる制度・政策です。生活問題は、個人では回避することのできない「社会問題の一部」、具体的には生活過程に起こる社会問題です。社会問題の成立要件は、その原因が社会構造そのものにある、社会的広がりを持っている、国や行政が大きな関心を寄せているか緩和・解決に向けて何らかの施策を有していることです。従って、生活問題対策である社会保障の創設・充実の責任は、立法・行政等の権限を持つ国や自治体、また生産手段を所有する資本家(いわば財界)とならざるを得ません。

現代資本主義社会において、生活問題はいつでもどこでも起こり得る可能性があり、賃金(労働力の価値)のみしか得られない多くの人々にとっては、それに対し自助・共助で備えることは、そのための支出が増え、現実の生活を抑制的に送らざるを得ず実質的に不可能です。生活を安心・安定して送るためには、社会保障が公的に行われなければならないことは当然です。

社会保障を3層構造でとらえることはそもそも不可能ですから、自公政権の言い分は、社会保障における公的責任・資本家責任を捨象し、自己責任や住民相互の責任にすり替える都合の良い論理とみることができます。

また、人権の視点から社会保障を考えれば、人々の生活は、多くの場合国家により規制されますし、基本的人権は往々にして国家により侵害されます(もちろん、国家だけではなく企業や個人からも侵害されます)。立憲主義とは、国家による人権侵害を縛るために憲法が存在するという考え方です。つまり、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を送る「生活権」であり、それを「保障する」のは当然国です。従って、公が国民を助けるという「公助」の概念でとらえるのではなく、人々の当然の権利を保障すると理解すべきです。

例えば世界人権宣言(1948年)22条は「すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する」としており、社会保障を考える場合、常に「人権保障」の視点が重要だと教えています。

コロナ禍の非接触型ケア推進とデジタルテクノロジー・AIによる「生産性向上」の親和性

最終報告には、新型コロナ関連の項目は存在しませんが、当然新型コロナを前提にまとめられたと思われます。第3章「医療」で数行触れているだけで、コロナ禍で医療機関、国民が疲弊しているにも関わらずこの程度しか書き込めないのは、本検討会議議員の「無関心」の表れといえます。

しかし、第2次中間報告では「新型コロナウイルス感染症の感染拡大を踏まえた社会保障の新たな課題」との項目を起こし、約2ページにわたり記述しています。ここでは新型コロナ感染拡大と社会保障の課題について第2次中間報告を基に考察します。

第2次中間報告では、「感染症拡大防止に配慮した医療・介護・福祉の提供体制の整備等を推進する」ために、「オンライン診療やオンライン面会等の非接触サービス提供を促進するため、介護施設や医療機関等におけるタブレットやWi-Fi等の導入支援を強化する」としていることから、文面通りに理解すれば、感染症拡大を防ぐためにデジタルテクノロジー・AI化を進めるとしている、と理解できます。

しかし、本音がその点にあるのかは疑問が残ります。同じ第2次中間報告の「介護」の項では、「より少ない人数で介護サービスを提供する先進施設が存在している。こうした先進事例の全国展開を進める」、「更なる生産性向上を実現するには、AIを活用したケアプラン作成の自動化など、もう一段のイノベーションが必要」としており、本音は、デジタルテクノロジー・AIを用いて介護分野等での人員削減と生産性を向上させ、同産業を財界の新たなもうけ先として開拓することにあるといえます。

同報告の基となった第6回検討会議(2020年2月19日)では、櫻田謙悟経済同友会代表幹事が、「現場の課題を踏まえて、圧倒的な生産性向上と品質向上の両方を狙う」とし、その具体的姿として「例えば2025年に、現在の半分の職員で介護施設の運営を可能とするような圧倒的な生産性向上、品質向上を実現するためには、デジタルテクノロジーの活用と規制緩和を大胆に進めることで、介護現場を改革する必要がある」(第6回検討会議議事録)としました。 

日本で新型コロナがメディアで本格的に取り上げられ始めた2020年2月頃に議論した介護等における生産性向上やデジタルテクノロジー・AI活用論が、コロナ禍が本格化してもスタンスを変えることがなかったのは、新型コロナが「感染症問題」であったことに起因します。デジタルテクノロジー・AI活用の理由を、「生産性向上」から国民に理解しやすい「感染症拡大防止に配慮した医療・介護・福祉の提供体制の整備」にすり替えることができたからです。

確 かに、筆者も医療・介護・福祉分野におけるデジタルテクノロジー・AI活用が無意味だとは思いませんし、現場で働く労働者の安全・安心の確保、また利用者の便益につながるのであれば、その視点から導入が図られるのは大いに結構です。しかし、検討会議がいう「人員削減・生産性向上」の発想の下で、デジタルテクノロジー・AI活用が図られると、医療・介護・福祉分野の専門性が阻害される可能性が高いといえます。

デジタルテクノロジー・AI活用によって人員削減を図るのではなく、逆に医療・介護・福祉労働者のデスクワーク等の比重を適正化し、その分本業に十分な時間と労力を割けるように人を増やすべきです。

これらの医療・介護・福祉の業務は、労働者と利用者とのコミュニケーションを通して互いの発達を促す労働であり、余裕のある人員配置により十分な意思疎通が図られることが重要です。その根拠は、これらの労働の専門性をどのように理解するかに起因します。

一般的に専門性とは、その分野の専門知識、経験、ライセンスがあることと思われますが、それに加え「予見性」と「裁量権」を備えていることが極めて重要です。予見性とは、対象者とのコミュニケーションやケアを通じて、近い将来どのように変化(体調、気分、感情等)するか推測する能力です。また裁量権とは、労働者自らの判断で対象者に対して臨機応変に業務が遂行できる権利です。

将来、この専門性を必要とする部分にデジタルテクノロジー・AI活用が進めば、まさに医療・介護・福祉分野の労働者は、専門性を必要としない「単純労働」で構わないとの発想となり、誰にでもできるマニュアル労働に転化していく可能性があります。

つまり、医療・介護・福祉分野における専門性をデジタルテクノロジー・AIが代替する部分が大幅に拡大すれば、日本経済が少子高齢社会の下で縮小傾向にあっても、財界にとってはこの分野はおいしいもうけの対象となり得るのです。それは、櫻田経済同友会代表幹事の「圧倒的な生産性向上、品質向上を実現するためには、デジタルテクノロジーの活用と規制緩和を大胆に進める」との発言からもうかがえます。しかし国民は、平時の余裕のある人員配置が、新興感染症、災害が起こった時にも機能することを、今回のコロナ禍で十分知ったのではないでしょうか。

【注】

表 全世代型社会保障の本質に迫る…「自助・共助・公助」型社会保障の欺瞞

出典:全世代型社会保障検討会議『中間報告(第1次)』2019年12月19日、『第2 次中間報告』2020年6月25日、『全世代型社会保障改革の方針(最終報告)』2020年12月15日より筆者作成。

芝田 英昭

1958年福井県敦賀市生まれ。博士(社会学:立命館大学)。福井県職員、西日本短大専任講師、大阪千代田短大専任講師、立命館大学産業社会学部教授を経て2009年から現職。著書に『社会保障のあゆみと協同』2022年、『医療保険「一部負担」の根拠を追う』2019年、『新版 基礎から学ぶ社会保障』2019年、『高齢期社会保障改革を読み解く』2017年、編著に『検証 介護保険施行20年―介護保障は達成できたのか』2020年、共に自治体研究社。