自治労連が「公共を住民の手に取り戻そう」という運動方針を掲げたのは2022年。出発点で「公共」とは何かが議論されました。当初「公共とは皆のものであり、特定の個人のものではない」と定義付けられ、「私物化」された公共を取り戻すことが必要だと提起されました。当時の森友・加計問題に象徴される「行政の私物化」への対抗軸と考えられたのだと思います。
しかし、時の為政者による「私物化」以上に問題なのは、新自由主義により住民のいのちやくらしが脅かされていることだと議論は進みました。2000年代には「官から民へ」を掲げる小泉構造改革、さらに、安倍首相のもと骨太方針2015において「公共サービスの産業化」が打ち出され、今日まで自治体業務のアウトソーシングが推進されています。そこで、自治体業務を民間企業に委ねると何が失われるのかと考えた時に、民間企業はその性質上利益第一となり、住民のくらしや権利が脅かされることがありますが、直営は住民のくらしや権利第一であることから、取り戻すべき「公共」とは「住民のくらしや権利を保障すること」であるとの結論に至ったのです。
ただ、単純に民間委託・民営化された業務を直営に戻すということでは、「公務員が自らの権益を守ろうとしている」という誤解につながります。「公共」は公務・公共労働者が取り戻すのではなく、住民の手に取り戻すのだと、さらに議論は進みました。障がい者の権利を保障する作業所運動、子どもの成長発達と保護者の子育てと就労の両立を支える民間保育園、行政の手が届かないところまで住民に寄り添うNPOなど、さまざまな主体が公共を担ってきました。そのような主体からも公共は奪われてきました。とすれば、公共を取り戻す運動も幅広い担い手となる可能性があります。同時に、公務・公共労働者の働きがいや誇りを取り戻すことにもつながります。
ところで、最近「公共の福祉を守ろう」という呼びかけを耳にします。「住民福祉の増進」が自治体の役割(地方自治法1条の2)と定められているように、「福祉」を守ることは重要ですし、「住民のくらしや権利を保障する」という意味の「公共」は守るべきものです。
しかし、「公共の福祉」という言葉には特別の意味があります。日本国憲法のいくつかの条文では「公共の福祉に反しない限りにおいて」人権を保障しています(13条、22条、29条)。「公共の福祉」は、社会全体の利益であるとして、個人の人権を制限することができると解釈されていた時代がありましたが、今日では人権が衝突する場合の調整原理であるとの考え方が通説といわれます。
これに対して、自民党の憲法改正草案は、「国民は…常に公益及び公の秩序に反してはならない」と記しています。個人の権利の上に公益や公の秩序を置くものであり、全体主義と言わざるを得ません。「公共の福祉を守ろう」という言葉は「公益及び公の秩序」に結びつくおそれがあることを忘れてはなりません。
【参考】
日本国憲法改正草案(自由民主党)第12条(国民の責務) […]自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
日本国憲法第12条 […]常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
